今日は7月7日。
本来なら、秋も本格的になる頃。でも、月が太陽に取って代わられてから、この日は夏が本格的に始まる日になったみたい。こんな日に夜空を見上げるなんて、ちょっとだけ皮肉な気分。おまけに雨が降ることが多いから、牽牛と織女が河を越え白鳥に乗り出会うことは、なかなか叶わない。
妹たちにせがまれて、霧雨の降る庭に出てみたけど、当然というべきか、星空は見えなかった。妹たちのうち、姉のP750はもうデビューを果たしていたけど、下の妹のP650はなかなかデビューの機会に恵まれなかった。
「もうすぐ、もうすぐだから、ね?」
ぷぅとふくれているP650をなだめてはみたが、そんな自分にため息をつく。
Matrox家の中では最も力ある者、とわたしは言われているけども、それは本当に家の中での話。外の世界には、わたしなんかよりもっとすごい人たちが、たくさんいた。負けないように努力はしてきたけども、泣きたくなるくらい負け続けた。いえ、実際に何度も泣いた。
妹たちは、わたしみたいに人見知りもしないし、明るくて元気な子たちだ。でも、その分、というのも変だけど、能力ではわたしには及ばない。わたしを追い越して欲しいとは思っているけども、それが事実。世間の評価も、こと能力に関しては決して良いものではないだろう。わたしがもっとしっかりしていれば…この子たちに、違う未来を見せてあげることができたかも知れない。でも、今となっては、もう。
妹たちに手を引っ張られながらそんなことを考えていたら、今日の七夕の天気が、自分にとっても似つかわしいものに思えてきて、笑ってしまった。おかしくて、おかしくて、涙がこぼれてきてしまった。
おかしくて。おかしくて。おかしくて、…おかしくて。
突然、ふわっと背中に暖かくて柔らかいものが覆いかぶさってきた。雨の降るひんやりした夜には、むしろ恋しいくらいの温もり。でも、ちょっと…重い。
「失礼ね、ぱふぃりあさん」
聞き慣れた、気だるそうな、あまり抑揚のない声。はっと振り向くと、紅玉をワインに溶かしたような瞳と、至近で目が合った。なぜか妖艶な輝きが浮かぶ。
「ら、ラデオンさん?」
ラデオンさんは、わたしの大切なお友だち。そして、我がMatrox家と並ぶ古くからの名門、ATI家の一族。彼女は「ATIの紅い瞳」と呼ばれる一族の徴を持った、とても綺麗で、ちょっと儚げな女の子。…そして、学校では彼女にとてもぴったりの称号で呼ばれている。
"紅薔薇のつぼみ"
と。物静かで神秘的な感じだけど、わたしの心の中の台詞にも突っ込むあたり、ちょっと変な人かも。
ぺし。
後頭部にラデオンさんのチョップが入った。びっくりして固まったわたしの頬から、流れていた涙をすくってくれた指があった。その指は…豪奢な金髪の少女のものだった。
「ジフォースFXさん…」
ラデオンさんと双璧と称される、ヌビディア家のジフォースFXさん。ラデオンさんとはいつも喧嘩みたいなことしているし、ちょっと高飛車だけど、本当はとっても優しい人。スタイルも抜群だし、なにより金髪が嫌になるくらいに綺麗。そのご自慢の金髪を維持するために、巨大で爆音を響かせるドライヤーをいつも持ち歩いているのは、公然の秘密みたい。
「バカね、妹たちの前で泣くんじゃありませんわ」
こつん、と拳でわたしの額を叩いた。彼女もその金髪に合わせるがごとく、学校では
"黄薔薇のつぼみ"
と呼ばれていた。
「あなたは、もっと自分を評価すべきだと思うけど? ぱふぃ」
その声に、はっと顔を上げる。聞き違うはずもない。お姉さまの声−。
「あなたにしかできないこと、あなたにならできることもあるわ。それを忘れないで」
テュラ・サバさま。わたしのお姉さま。もちろん、本当の姉妹じゃない。でも、本当の姉妹のような絆を結べた、大切な、たったひとりのお姉さま。青薔薇さま。
見ると、青薔薇さまたるお姉さまだけじゃなく、ラデオンさんのお姉さまの紅薔薇さまこと、アスロン家のバートンさま、ジフォースFXのお姉さまで黄薔薇さまのPentium4家ノースさまもいらっしゃった。
「みなさん、どうして…」
聖ドスヴイ学園の「薔薇の館」ならいざしらず、こんなところで薔薇ファミリーが揃うことなど…。
「呼ばれたのよ、あなたの妹にね」
さすがジフォースFXさんのお姉さまと言うべきか、ノースさまは相変わらず高飛車におっしゃる。
「最近ぱふぃーちゃんが落ち込んでるから、励ましてくれって」
バートンさまは、割と熱血な方。いつもサバサバした口調で、すごく気持ちいい。−でも。
「この子たちが?」
それにしても、聖ドスヴイ学園の姉妹制度に実の姉妹の話が絡むと、ちょっとややこしいかも。心の中で苦笑して、ずっとわたしの手を掴んで離さないP750とP650を見る。
すがるような、それでいて全幅の信頼を寄せる蒼い4つ瞳が、わたしを見つめていた。
そっか。
「…この子たちを支えられるのは、わたしだけなんですね?」
「そう。この子たちも不安なの。その不安を分かってあげて、なおかつ取り除いてあげられるのは、同じ血を分けたあなたにしかできないこと」
テュラ・サバさまは、噛み締めるようにおっしゃる。
「でも、わたしの力は…妹たちは、わたしよりももっと非力で…!」
「だったら何だと言うの?!」
怒声を上げたのは、ジフォースFXさんだった。
「テストの成績が良くったって! どんなにたくさん絵を描いたって、手に入れられないものはいっぱいあるんですのよ!」
いつものエレガントな様子からは想像できない怒り方だ。
「わたくしは、正直あなたが羨ましいのよ、ぱふぃりあさん」
え?
「あなたは、いつでも千年王国復興を目標に、ひたむきに頑張っている。そんな真っ直ぐな生き方が、とても羨ましいんですのよ。嫉妬すら覚えるくらいに」
すっと、ラデオンさんが気遣わしげにジフォースFXさんの肩に触れる。その手を握り返しながら、ジフォースFXさんは微笑んでくれた。
「わたくしがこんな生き方しかできないように、あなたはあなたの生き方でしか生きられない…ったく、似合わない説教なんてさせないで欲しいですわ」
でも、わたしはジフォースFXさんの「お説教」に、何度も救われている。
「ぱふぃ」
お姉さまが、優しく背中を抱いてくれる。
「能力だけならね、わたしも黄薔薇さまや紅薔薇さまには到底及ばないわ。でも、わたしは青薔薇でいられる。この意味、分かるわよね?」
「青薔薇さまを必要とする方たちがいらっしゃる…」
「そうよ。もちろん、あなたにもいるのよ、青薔薇のつぼみ」
そう。わたしは青薔薇のつぼみ。いずれジフォースFXさんやラデオンさんと並んで「薔薇さま」と呼ばれることになる…はず。
そう。
答えはここにあったんだ。
わたしは、しゃがんで妹たちに視線を合わせた。
「いい? P750、P650。あなたたちは、このわたしの妹なんだからね。絶対、大丈夫−。お姉ちゃんは、いつでもあなたたちの味方だからね!」
妹たちの表情が晴れるのと同時に。
雨雲に覆われていた空が。一気に晴れ渡った。
Xeonさまの気まぐれかしら…。
見上げた空には、天の川が横たわっていた。宝石箱を散りばめた空で、どれが牽牛でどれが織女か分からなかったけれど。
「まあ、あれだね。青薔薇姉妹はヘタレ姉妹ってことで」
「あう、しぼむ〜」
紅薔薇さまと青薔薇さまのいつもの漫才が始まる。それを冷ややかに見やる黄薔薇さま。こっちではいつの間にかジフォースFXさんとラデオンさんの喧嘩が始まっていた。カッカするジフォースFXさんに、淡々と返すラデオンさんと、これもいつも通りだ。
1年に1回というのも、それはそれで夢があっていいけれど。
もしも願い事が叶うなら。わたしには、1年中、こんな素晴らしい友人たちに囲まれている方が、ずっとずっと素敵だと、心の底から思った。
妹たちの手を引いて、わたしはそっと祈った。
−見ていてくれますか、ユーザーさま。