中国残留邦人問題経過  (A)         (資料索引)                                                                               

                                      [注] (No速ー )  孤児全協ニュース速報ー年ー番号                                                        
                                           (No資ー )  孤児全協資料ー年ー番号     
                                           (新資ーP)  孤児全協新聞情報ー当該年月号ページ
                                    
1931・9・18 満州事変勃発 (昭和6年)              
  32・3・ 1 満州国建国            
     10・5 第一次武装農業移民492名、神戸出発(永豊鎮入植、後に弥栄村)
  34・ 3・8 土竜山事件 (満洲国史(総論)、満洲開拓史ーP114)
  36・8・25 広田内閣七大重要国策決定
     (第六項 対満移民政策等[開拓移民 20年100万戸計画]) (満洲開拓史ーP181)
  37・7・7  日中戦争始まる 
    8・31 満洲拓殖公社 設立 (満洲開拓史)
   11・30 閣議決定 『満洲に対する青少年移民送出に関する件』 (満蒙開拓青少年義勇軍)
  39・9・1  ドイツ軍ポーランド進撃 (第二次世界大戦始まる)
  41・4・13 日ソ中立条約 調印
    7・2  関特演 発動
   12・8  太平洋戦争始まる 
  42・1・6  開拓第2次5か年計画決定
   11・1  大東亜省創設

1945(昭20)
    4・5  ソ連、 日ソ中立条約不延長通告
     ・11 ヤルタ会談(米英ソ)
    5・8 ドイツ降伏
     ・30 大本営、満鮮方面対ソ作戦計画要領(満州3/4放棄)
           [注]昭20・5,開拓団16万7091人、義勇軍5万8494人。計22万5585人<満洲開拓史-P899> 
     7・10 在満在郷軍人根こそぎ動員(25万/40万 戦争遂行に必要な輸送等の要員を除く全員。)
      関東軍から昭18・1〜20・、 13個師団南方転用、20・3 本土決戦の為7個師団
          および貯蔵軍需品の1/3内地等に転用)  
 ・6〜7・  中国本土戦線から4個師団を関東軍に転用
    7・26 ポツダム宣言(米英中)
    8・8 ソ連対日参戦通告ー(日ソ中立条約違反)    [モスクワ時間 17時=日本・満州時間 9日午前零時]             
           (ソ連参戦時期について=大本営判断ー今年初秋,関東軍ー翌46年解氷期) 
    8・9  ソ連軍 満洲侵攻開始
           (午前零時を期し各方面から一斉に侵攻 新京,ハルピン等爆撃。
             関東軍はソ連参戦を未だ知らなかった。)
     ・10 大本営命令=朝鮮は保衛,満洲は全土放棄も可
     ・10 ポツダム宣言受諾
     ・10 東安駅事件  関東軍が駅構内爆弾を爆破 避難中開拓団婦女子等700人余死亡
     ・12 麻山事件 哈達河開拓団 ソ連軍戦車に襲われ戦死,自決460余人
     ・14 葛根廟事件 ソ連軍戦車に襲われ開拓団婦女子等1000人以上死亡  

      ・15 終 戦

     ・16 大本営命令 即時戦闘行動中止
     ・17 ソ連極東軍総司令官  8・20,12時以降 戦闘停止通告(ラジオ)
     ・18 関東軍停戦命令(交戦中の各軍参謀長を新京に招致下達、
          しかし各部隊に容易に伝わらず、東寧,虎頭には8・26伝達
     ・27 佐渡開拓団跡事件 各地開拓団婦女子等2000余人ソ連軍戦車に襲われ死亡
      ・29 満洲・朝鮮在留邦人・軍人180万人ー現地土着、国籍離脱方針
     [大本営参謀所見報告、関東軍参謀長全面同意]    《 (モスクワー共同)→朝日、読売ー93・8・13》
     ・30 外地及び外国在留邦人引揚者応急措置要綱決定(次官会議)
      (財)満洲国関係帰国者援護会設立認可  
    11・19 GHQ命令−基金(3億)凍結、 業務停止
  21・3・15 引揚援護事業のみ再開許可   [(財)満蒙同胞援護会]として再発足   47・6・30 (解散)
    9・7 外征部隊及び居留民帰還輸送等に関する実施要領(閣議了解)
     ・17 瑞穂開拓団事件 495人自決  その他各地で開拓団惨劇相次ぐ
    9・1 東北地方日本人救済総会 設立
      (於長春 会長高崎達之助。11月,日僑善後連絡総処と改称)
         [8・22~23頃から  全満各都市に逐次『日本人居留民会』設立(40余カ所)]
                  (参照-日本人自治組織、中国側管理組織='99,3) 
    10・2  覚書(AG 370.05)GC・日本人の引揚に関する件 
    10・10 高崎密書(9・22付)東京に届く 「目下北満各地ヨリ集マレル罹災民ハ、
           ハルピン七万、新京五万・・。 ・・死者続出ノ模様ハ地獄ノ有様ニテ・・」 
     ・18 引揚責任庁・・厚生省(GHQ指令) 

1946(昭21)
     3・   中国国民政府軍瀋陽進駐ー日本人管理組織確立
     東北日僑俘管理処(中国側)− 瀋陽市日僑善後連絡総処
       ○○市・県日僑俘管理処 − ○○市・県日僑善後連絡処    
    3・13 引揚援護院設置(厚生省外局)
     ・15 引揚に関する基本指令(GHQ)
     4・  『日本人送還に関する三方協定』合意 =(3人小組-アメリカ・中国国民党・中国共産党)   [満蒙終戦史-P656]
          《徐焔著・1945年満州進軍》日僑分布状況=国民党統治地区 80万余、共産党解放区約28万、ソ連大連地区27万》
          <なお、趙安博・1983・4・2-人民日報>
    5・9 国府軍より奉天市日僑善後連絡総処に対し、全東北日本人引揚送還指令
     ・5  引揚第一船壷蘆島出帆  (5・15、奉天より・7・28、長春より  引揚第一列車出発)
    6・  満洲情況・・5〜6月引揚者の話し 「(開拓団の悲惨な情況の話しの後)・・
          開拓団は日本の国策移民として半強制的に満洲に送られて最低の生活を忍んできた人達です。
          それが・・悲惨のどん底に有る。この三十万名を政府としては、・・  
          たといいかなる事情があったにしても、第一位に優先的に救済策を考へねばならない
          ・奉天でも約三万近くの開拓民の中十歳以下の子供はバタバタ死んでしまって」 《昭21・? サンデー毎日》
   11・23 大連地区引揚第一船 大連入港
   12・19  ソ連軍管理地区日本人送還−米ソ協定

1949(昭24)
    4・26  衆参両院 引揚促進を決議
   10・1  中華人民共和国成立
     ・3  中国からの集団引揚中断


1950(昭25)
 6・25  朝鮮戦争始まる
10・25  中国人民義勇軍、鴨緑江を越え朝鮮戦争に参戦(残留孤児−韓国・中国両軍参加)

1951(昭26)
 7・10 朝鮮戦争休戦会談開始
 9・18 対日講和条約  49カ国 調印  ('52・4・28発効 中国代表は中華民国<台湾>)
1952(昭27)
 3・18 海外邦人の引揚に関する件(閣議決定) 
       講和条約発効に伴うGHQ指令に代わる措置 (永住帰国の根拠) 
              [注] 現時点では実状に合わないが、これを改める措置はとられていない
 4・28 中華民国<台湾>と平和条約調印
10・1  中国政府(北京) 残留日本人帰国援助表明 

1953(昭28)
 2・1  引揚者に帰還手当支給開始
 3・5 北京協定(<中国紅十字会ー日赤、日中友好協会、日本平和連絡会>
         の間に日本人帰国問題に関する協定 成立。集団引揚再開。 
         3・23,第一陣舞鶴着=合計2万6000余人)   
  ・16 中国引揚孤児対策要綱(於舞鶴、リスト作成写児童局へ) <[要綱]=『続々援護の記録』-P92>
 7・27 朝鮮戦争 休戦協定調印(板門店)
 8・1 未帰還者留守家族等援護法 公布

1954(昭29)
 4・1 引揚援護局(厚生省)設置・・・(引揚援護庁廃止)

1956(昭31)
 6・28 天津協定 (<中国紅十字会ー日赤、日中友好協会、日本平和連絡会> 
     戦犯335名, 中国人と結婚した残留婦人の里帰り,居留民の帰国その他)

1958(昭33)
 5・2  中国国旗侮辱事件 (長崎切手展)
 ・10 日中国交全面断絶   
 5・〜 中国,大躍進運動 大飢饉(人類史上最大の餓死 1300〜3500万人)

1959(昭34)
 3・3 未帰還者に関する特別措置法 公布(戦時死亡宣告・戸籍抹消 1万3600余名)

1961(昭36)
 6・1  引揚援護局を援護局と改称

1966(昭41)
 8・8  中国 プロレタリア文化大革命に関する決定(拡大中央委) 〜'77・8 
   
1971(昭46)
 4・  江戸川区  小松川2中,夜間部日本語教室 設置
 6・  葛西小,日本語学級 設置
1972(昭47)
 9・29 日中国交正常化 (於北京 共同声明)

1973(昭48)
 6・  日中友好手をつなぐ会 発足(肉親捜し民間ボランティア結集)
     中国帰国者三互会 発足(発起人呼び掛けは、夏)    
10・16 中国引揚者に帰国旅費支給(援発1052、改正54,6,5庶務151、60,3,29援発208)
 ・31 中国からの一時帰国者に対し旅費支給(援発1130、 改正62・4・7援発213)

1974(昭49)
 8・15 「生き別れた者の記録」第一回発表 本格的肉親捜し、民間の手によって始まる。         
        手をつなぐ会に寄せられた手紙、写真等を朝日新聞が協力、大きく掲載。
            (朝日縮刷版 P443    〜'81,1,13 <16回 >  [別表 肉親捜し経過参照])
1975(昭50)
 3・12 厚生省 公開調査(第1回 厚生省も肉親捜し始める。各紙協力。 朝日<P398>)    
    ( 〜第9回  '81・1・13  <別表>  第4回以降民間と合同発表)
11・22 中国帰国者の入国に際しては原則として外国人として取扱う
      (法務省管登9660 法・入管局登録課長 
     <改正 57・1・23 管登826・・原則不変、外人登録申請期間延長>)

1976(昭51)
 2・28 日中孤児問題連合会(旧孤児連) 発足 (ボランティア活動広がる) 
 6・8  在中国チチハル、身元未判明孤児(女性)就籍許可 
          (本人在中国のまま就籍の初ケースであつたが、単発に終わる。
                                         [長野家裁飯田支部50(家)720, 51・6・8])

 (中国情勢)
 1・8  周恩来死去
 4・5  天安門事件
 9・9  毛沢東死去  
10・7  4人組逮捕  (文革事実上終了)

1977(昭52)
 3・4  田川誠一議員、中国残留孤児問題について初めて衆・予算委で質問。
       鳩山外務、海部文部、渡辺厚生各大臣答弁。問題の全貌が国民の前に明らかにされた。 
 4・1  中国帰国者に日本語教材支給
    生活指導員制度実施(引揚者世帯、職業訓練校)
 8・12  中国 文革終結宣言(11全大会)
                     
1978(昭53)
 2・13 身元未判明孤児に就籍許可(小島文子事件 長野家裁飯田支部, 52(家)740号)          
   [注 大阪入管−52・2 国外退去命令、  53・1強制送還通告 「期限53・2・17」]   
      行政・司法の違い  話題呼ぶ。 <53・2・9ー朝日大阪。・2・13ー読売大阪,信州日報。 
       61・10ー毎日 祖国定住(13),新資ーP45。 山本敬三 「国籍  戦乱の果てに P184 
 3・31 帰国入籍後、人違いと分かった身元未判明孤児の就籍、一方戸籍訂正の申立の双方を
    許可し、孤児問題に明るい道を開いたものとして注目された(伊藤司事件)
         東京家裁52(家)8375,6562、 53・3・31
         <判例時報905。 53・4・4 朝日。 58・1・5 週刊新潮。 山本敬三P186>
 5・11 中国残留孤児問題 国会議員懇談会(超党派<共産党を除く>) 発足 
          (世話人代表 根本龍太郎<自民>  事務局長 山本政弘<社会> 、 各党議員)
 8・12 日中平和友好条約調印 
10・6  肉親捜しの根拠制定 『未帰還者等に関する調査及び処理実施要領について』
                                                          (援発88 援護局長通知)

1979(昭54)
 4・1  中国帰国者上陸時オリエンテーション実施
 6・5  一時帰国者が改めて永住帰国する際旅費支給(庶務151, 改正60・3・29援発208)

1980(昭55)
10・22  衆・外務委,田川誠一議員残留孤児問題を質問。伊東正義外相誠意をもって対処   
      答弁  <10・23ー朝日>
12・12  厚生省、残留孤児の総数 200〜300人とみる 。  <12・12ー読売>

1981(昭56)
 3・2 第1回 訪日調査 < 30/47, 63.8% >)
 4・15 中国帰国者 隣人殺人事件 (東京都荒川区) 
                         <4・16ー各紙。 中野謙二 中国残留孤児問題 P124> 
 9・9 全社協,定住化対策委員会  『中国帰国者定住化促進の課題と対策』・提言
             <受け入れ体制の必要条件の整備>

1982(昭57)
 2・   第2回 訪日調査 <46/60>→<45/60, 75.0%>   
        [このあと 中国帰国者の 養父母扶養問題、家族との離別等新しい悲劇解決の要あ
         りとして中国側 訪日調査をストップ ]
 4・6  中国帰国者に職業転換給付金制度適用
      (労働省業指発24,雇促発2。訓練手当等支給、事業主に訓練費支給)
 4・17  江東区 『日本語教室』開設 (自治体初) <4・18 ー各紙>
 5・24  東京都社会福祉協 中国帰国者『生活相談コーナー』開設 <5・23ー朝日>
 8・26  中国残留日本人孤児問題懇談会(厚生大臣諮問機関ー孤児懇)
    第1次報告 「早期解決方策」
11・29  中国残留孤児問題全国協議会(孤児全協)結成 <11・30 各紙,  No資58ー1> 
12・16  於大阪、民間定着センター建設の募金開始。国の施策待てず<12・16ー毎日(大阪)> 
  ・17 帰国孤児の妻 自殺(山形県鶴岡市、定着対策に問題投げかける)<12・18ー朝日>
 ・25 孤児全協 →各大臣 要望書 (早期解決、基本的事項の政府間交渉等)
    
1983(昭58)
 1・14 劉慶友 中国外交部領事司副司長談⇒孤児全協 
      (中国の家族との新たな悲劇不可、 里帰り方式も意義あり)      <No資 58ー1>
  ・18 養父母扶養費解決、訪日肉親捜し再開へ(日中事務レベル交渉妥結<No資58ー1>)
    2〜3 第3回 訪日調査 <25/45, 55.6%>
 2・25 混血孤児 肉親捜し訴え(厚生省に依頼 1200件) <2・25ー朝日>
  ・28 孤児全協 →援護局長 要望書(第3回訪日団全員に科学的血液検査採用)
                  全員にとの要望は容れられなかったが、一部に初めて実施された
                                 <3・1ー朝日,No資58ー3ーP7。  No資62ー5 P6>)
  3・10 第3回訪日孤児 10万円事件(厚生省、寄付金分配 従来の20万を10万にした
       為,孤児騒ぐ)      (朝日[解説]-3・13)
   ・14 本人在中国、身元未判明孤児就籍許可 (松本斗幾雄事件,熊本家裁58(家)153,   
       帰国実現初ケース(実質上)   その後の就籍、帰国運動の契機となる)      
  3・31 厚生省、孤児名簿配布(「肉親捜しの手掛かりを求めている中国残留日本人孤児」                
       732人 3分冊)                 <No資ー58ー1>
  4・8 [閣議了解]「中国残留孤児援護基金が行う、養父母等の扶養に関する援助,定               
       着促進事業に対する関係行政機関の協力」
   [注] インドシナ難民についての[閣議了解]は、基本方針,総合施策,組織,        
       実施機関等について定められている。
  5・29 中国 光明日報、日本は中国帰国者には『幻滅の天国』と、受入れ体制の不備報道             
                    <5・29ー光明日報,  5・30ー日本各紙  No資58ー4>
  8・18 中国帰国少女 列車に飛び込み自殺
       (8・19ー読売。 8・20ー中日 「母国は冷たくなかったか」 <No資58ー2ーP3>。 
           「もうーつの戦後 (11)  帰国者対策なお不十分言葉の壁、悩んだ少女死選ぶ」   
               <60ー8ー12, 朝日 新資ーP36>
 10・11  孤児全協 →入江新援護局長 懇談
         (親捜し子捜し、定着,年金,残留婦人,子女の教育,自費帰国者の差別撤廃等)                                      
                   <No速58ー5>
 11・8  中国帰国者 殺人事件(神戸)、情状汲み執行猶予5年
         (大阪高裁、帰国者の受入れ態勢,施策貧困と判断)
                    <No資58ー4 P3, 58・11・8ー朝日,>
 12・  第4回 訪日調査  <38/60>→<37/60, 61.7%>
  ・3    孤児全協 →援護局長 科学的血液検査 要望  ([答] 予算がない。 採血が倍必要) 
                 <No資62ー5  P7>   [注] 採血は 5cc→10cc  になるに過ぎない。
  ・16  孤児全協 →援護局長 要望 (第4回訪日団 全員に科学的血液検査実施。身元 
        未判明孤児の受け入れ等)  <孤児全協ニュース84ー4, No速58ー7>

1984(昭59) 
 2・1  孤児全協 →総理大臣 要望書(残留邦人問題に関する基本方針、総合施策の確立)
 ・1  中国帰国孤児定着促進センター開所<所沢> <1・31 援発82 、No資ー59ー5> 
 ・27 中国残留孤児の国籍取得を支援する会 発足
 2〜3 第5回 訪日調査  <27/50, 54%>
 3・17 中国残留孤児問題の解決に関する 口上書
            (日中政府間・養父母の扶養、帰国者の取扱い等)      <No資59ー3>
 4・11 特定求職者雇用開発助成金適用 (中国引揚者を雇い入れる事業主に対し、助成金
    支給 厚・業-調644、 労働省・婦発71,職発137,訓発73、業指22、雇促31 <No資59ー6>)
 7・24 孤児全協 →日本弁護士会連合会 要望書(各問題点について解決促進)
 ・30 孤児全協 →衆参両院 請願(援護法制定、連絡調整機関設置、戸籍、自立措置、
    養父母感謝、年金等)・・・[保留] 
 8・   全社協,定住化対策委員会  [『祖国の土を踏んで』 中国帰国者の現状と課題] 提言 
               < 各界専門家よりの問題提起と参考文献集>
 9・7  在上海 混血児就籍 許可(父・日、母・中、 大阪家裁59(家)1172、59・9・7)
10・4   伊東正義議員、孤児問題国会議員懇談会会長に就任。
      日中議員連盟(会長伊東正義)にも、孤児問題委員会設置、 孤児問題国会議員懇談会
   と協力問題解決に当たることとなった。(援護局長招致 事情聴取)
10・20 日弁連、中国残留邦人に関する人権侵害決議
      (→ 国会・政府 要望。「国籍,早期帰還、帰国者に対する戸籍,定着に関する特別
    立法を含む諸措置」) [従来人道的見地から取り上げられてきたが、初めて人権
    問題として決議、注目された]    <10・7ー各紙, No速59ー6>
10・31 中国側、孤児「調査のスピードが遅すぎる責任はすべて日本政府にある」と批判
         (黒竜江省 劉迎科領事担当責任者談 <10・31ー 毎日,新資59ー追加 P1> 
11・4  中国側は積極的。 「今までは日本側の方が積極的で、中国側は消極的だと聞いて
    いたが、まったく違っていた」 訪中の渡部厚相談 
       中国側,大量訪日調査提案、しかし厚生省,消極的 <新資59ー追加 P3>
       [注] 中国側提案は、度々の孤児全協要望とも一致。厚生省も後に大量訪日調査に方
            針変更  
  ・6  援護基金、日本に養父母招待(第1回 ,費用は(財)日本船舶振興会補助) 
                      <10・24ー各紙 No資ー59ー9>
 ・27 (財)法律扶助協会、国籍取得会に費用援助(@5万、  59・11・27ー 朝日)
11〜12 第6回  訪日調査   <39/90, 43.3%>
 ・28  板橋区議会→総理、関係各大臣 意見書[地方自治法99・2](特別援護措置法制定)
1 2・7 練馬区議会→総理、厚生大臣 意見書[同](特別援護措置法制定 行政窓口統一,
    連絡調整機関設置。身元未判明孤児の帰国,国籍。帰国者に対し→受け入れ体制,
       生活保障・年金、資格活用、自費帰国者差別撤廃。養父母感謝費全額国庫負担,
       全養父母へ)
          [注] 各地方自治体から同様要望相次ぐ。 殆ど容れられず。
 2・10 江戸川区 区外入学希望者 受け入れ拒否(今年度につづき来年度も。国の押し付
    けに抗議       <新資ー59,P13 、12・10ー岐阜日日>
  ・25 厚生省、身元判明孤児の修籍促進 →知事 (援発867<No速ー59ー11。  再会後46人
       の戸籍未回復 12・26ー各紙,新資ー59ーP14。>
      [参考 62・3・2  厚生大臣, 戦時死亡宣告取消職権申立]  <新資ーP22>
                                     
1985(昭60)
 1・1 改正国籍法、戸籍法施行
 2・1 東京弁護士会→東京都知事 要望書(帰国孤児子弟の高校入学特別措置)
                                                                   <No資60ー6>
  ・8 孤児全協 →中国残留孤児問題国会議員懇談会 要望書(問題全般について)
                [ 内容 後掲 60・4・15 厚生大臣宛とほぼ同様]
  ・9 帰国者 9000人 うち孤児350人
                   (朝日新聞調査 発表 「初の全体調査」)  <新資ーP7>
 ・12 沈陽孤児 →日本政府、全国民 公開要望書(厚生省、ボランティア団体、報道機関)
   (永住帰国、戸籍、身元保証人、再訪日等 <No資ー60ー3。 3・7ー 読売 新資ーP6>)
 2〜3 第7回  訪日調査  <40/90→39/90, 43.3%>
 3・29  未判明孤児の帰国援護ー旅費支給、身元引受人制度発足  (援発206、<No資60ー4、5>)
 ・29 中国帰国者の旅費 国庫負担(援発208。  改正 62・4・7, 援発212 <No資63ー2>)
 4・1  厚生省、[中国帰国孤児定着促進対策室]新設 <4・2ー朝日, 新資ーP1>
  ・15 孤児全協 →厚生大臣 要望書(問題全般について)
   1、 基本方針確立,援護法制定。 2、 総合的施策樹立,残留婦人も対象に。 
      3、 諸問題を63年度までに収束 [ 1) 肉親捜し61年度中, 2)永住帰国63年度迄, 
        3)自立定着対策 ]   4、 中国政府に協力要請,養父母感謝措置      以上要望 
        <注>  『 3-3) 自立定着対策内容』
             1) 国,地方、有機的システム
             2) 定着センター  第ー次 整備, 第二次(ブロック別数箇所) 新設
             3) 身元引受人制度  要再検討
             4) 日本語教育 ー次,二次センター後 継続
             5) 子女教育   実状に応じた全国的措置   
             6) 職業  職業訓練。  技能,資格特別措置
             7) 生活保障−生活保護法は実状不適,弊害大、別途援護要
              その他 国籍、 年金(実額確保)
 ・15 厚生省、帰国孤児実態調査 発表(59・10・1, 187世帯) <4・16ー読売 新資ーP4>
 ・5  厚生省、身元未判明孤児に永住帰国希望アンケート調査
      <注> 旅費申請書まで提出させた為、すぐ帰国出来ると錯覚し、家財処分、
   退職退学等早まる者が出て混乱した  <No資60ー4。4・6ー読売,新資ーP2>。
      帰国,待ちぼうけ半年、定着センターの収容力不足 <9・16ー朝日,新資ーP1>)
 4・26 引揚者子弟へのゆきとどいた教育の保障を求める 声明
       (孤児全協 郡司会長等各界有志138名 )
      有志 → 文部省・教育助成局長,海外子女教育室長 申し入れ書
                         (日語学級増設、高校進学の保障等) <No資ー60ー6>
 5・9 厚生省、再度帰国者に援助 (業ー664, 一時帰国したことのある者が、自費で永住
      帰国した場合、引揚証明交付,引揚手当支給 )   <No資60ー5>
  ・17 厚生省、肉親捜しのため訪中調査(第1回) <5・21ー読売,新資ーP2>
  ・27 孤児 2000人超す 訪日計画の手直し必至(中国側調査 <5・28ー朝日新資ーP8>)
  7・8 孤児全協 →孤児懇座長 要望書(委員宛諮問事項について)
       (孤児全協 →援護局長 要望書(孤児懇宛上記について配慮方要望)
 ・22 孤児懇、第2次報告(今後の施策の在り方)              <No資ー60ー7>
  ・24 来年度一挙 700人, 訪日調査終了めざす  <8・24ー朝日, 新資ーP22>  
  ・25 東京弁護士会 →関係大臣 要望書(法の制定、改正なく改善可能な諸施策 )
                                 <No資60ー8>   (第2次要望書  61・10・30)
  ・28 中国帰国者援護事業協力会(中援協) 発足   
      <7・1ー朝日。 7・11ー読売[婦人とくらし]。 7・26ー東京。7・29ー日経,読売。
    新資60ーP16 >
      [注] 1年足らずで事実上消滅、ボランティア活動と営利事業の関係の難しさいう
       課題の克服は出来なかった。
 8・15  チヤムス市に日本語教室 開設ー日中友好手をつなぐ会(ハルビン(福島引揚会)に
    続く2番目   
  ・15 沈陽孤児要望書(ホテル建設等・厚生省、ボランティア団体、報道関係宛)
                                             <No資60ー10>
 9・   第8回  訪日調査  <36/135>→<42/135, 31.1%>
11・1   身元引受人制度 法人に適用 (援発621<No資60ー15>)
  ・14 北鮮孤児肉親捜し、国も本腰(11・6,14ー朝日,11・17ー毎日社説  新資ーP38,39,37)
11・26 帰国を希望する中国残留孤児 国会友の会 発足 (衆・参 約200名)
      [『今後の活動方針』   身元引受人となる。 「定着促進特別措置法」「生活保護法に
    代わる特別手当制度」の議員立法等]   <No速61ー2>
     [注] 期待されたが、活動皆無のまま消滅した  
11〜12 第9回  訪日調査  <33/135, 24.4%>
12・18 孤児全協 →自民党 要望書(61年度予算ー 700人訪日。定着センター拡充)

(<1985> 内に)  中国 人民公社解体完了

1986(昭61)
◆ 1・16  沈陽日本総領事館 開設  <No速61ー2>
◆ 2〜3  第10回  訪日調査  <36/130>→<34/130, 26.2%>
◆ 5・9  厚生大臣訪中 養父母扶養費額等解決  <No速61ー7>
◆  ・9  養父母等に対する扶養費に関する 口上書 交換(日中政府間 )
                         <No資61ー6。   各紙 新資ーP1〜5>
◆  ・18 就職促進体制整備、所沢センター拡充      <5・18ー朝日,No速61ー8>
◎ 6・13 厚生省の「永住帰国急ぐな」問題化(訪日孤児・オリエンテーション資料 記載 
                              <6・13ー毎日, No速61ー9>  

     [同旨 援護局長談] 
  「Qーそのようなペースの受け入れ態勢だと、帰国希望者を中国で足踏みさせること
    になりませんか。」 
     「局長ー・・1,2年のうちに全員受け入れろという方もある。ですけど、中国において
     も日本の社会でも無理のない帰国というのは、ある程度、幅と期間をおいて計画的
   にやった方がいいんじゃなかろうかと。」  
   <曲がり角 中国残留孤児問題 「進路をきく」  60・11・25ーサンケイ, 新資ーP3>
    (その後早期帰国に方針変更。  「今後の重点課題となる・・帰国受入れ・・もまた時
   間との戦いであり、無駄に費やすことはできません。・・帰国が遅れれば、それだけ異
   なった社会での生活への適応性が失われる・・」  <孤児白書 P97 62,3 刊>
◆  6・   第11 回  訪日調査  <73/200>→<79/200, 39.5%>
◆  7・16 中部管区行政監察局、愛知県の帰国孤児援護体制の問題点指摘・・知事改善方回答
        (孤児問題、初の行政監察 )  < No資61ー11,  7・16 ー 朝日 No速61ー11>
◆  8・6 養父母扶養費 第1回支払い(87名分)
◎ 8・14 中国山西省 残留日本人100〜200人(旧軍人,女性) <8・14ー毎日、新資ーP12>
◆ 9・  第12回  訪日調査  <59/200>→<63/200, 31.5%>
◆ 9・12 厚生省、帰国者実態調査 発表(61・2・1 調査。    第1回,59・10・1 調査。          
         都道府県定着対策実施状況 調査ー60・4・1 ) 
                         <9・13 ー読売 No速61ー14。   9・13ー朝日 新資ーP32>
◎ 10・13 東弁、中国残留邦人に関する要望書<第2次> → 政府、国会
     (一時帰国、永住帰国者対策。 中国永住者,即時帰国出来ない者についての対策。 
       残留婦人に対する特例。)  [含要法律改正]      
                    ( 第1次要望は60・7・25)
◎ 10・22 残留婦人の人数 初めて明らかにされる(10・22 衆・法務委,厚生省答弁。
     <No速61ー17>)            一時帰国  約2700名 
          永住帰国  約1000名
                在中国   約3500名 
◆  ・25 厚生省、13歳以上も訪日調査参加認める   <10・25ー毎日,新資ーP3>
         [注] 孤児の定義は12歳以下、この措置は特例のようで、13歳以上は自己の意志で
          残ったとする基準は変えられていない               
◎ 10・27  福岡県帰国者自立促進協議会 発足 (大手企業、商工団体、国際団体代表
     等で構成、幅広い活動を計画,民間有力者を結集したボランティア団体は初めて)
                                     <10・28ー西日本,新資ーP31>
◆ 10〜11  第13回  訪日調査  <30/100>→<32/100, 32%>
◆ 11・11  サブセンター・大阪 開所(日中友好手をつなぐ会支部中心、民営委託の第一陣。
     来年度全国5箇所予定)       <9・19ー毎日, No速61ー15>
◆ 12・15 所沢センター拡充 完成  (180家族/年)                      
       [注] 孤児全協からの度々の拡充要望に対し、その必要無しとされて来たが、よう
     実現を見た。しかし、早期大量帰国には反対時点の計画であった為、完成時にはすで
     に不足が明らかとなり、150家族/年分をサブセンターに頼らざるをえなくなった。
◆ 12・  第14回  訪日調査    <14/42>→<15/42, 35.7>
   
1・16  在中国 日中混血児 2000人 
    <就籍希望相次ぐ 1・16 ー毎日。 大半再会拒否,2・17 ー東京, 新資61ーP8、9>
 ・17  国籍取得支援会 → 援護局長 要望書
       (訪日孤児に就籍説明等ー容れられず。  後に実現)
 2・25 東京都、中国帰国子女,公立高校入試別枠受験 開始(全国初の措置,枠2校 30人
          [ー橋,深川] に対し54人が受験、問題となる <各紙  新資ーP7,11,12> )
 3・6  孤児全協 →都教育庁 要望     [日本語教育を考える会、父兄外共同] 
      (2次募集、実効ある措置等)  <No速61ー4>
     (62年は、枠15人×4校[ー橋,深川,北,南] 51人全員合格。神奈川、長野、福岡各県も実施) 
                     <新資ー62ー1,2ーP23〜25>
 4・1  神奈川帰国者自立センター 発足 <No速61ー5>
  ・9  国籍支援会→厚生省 要望([答]必ずしも早期帰国が良いとはいえない。帰国順 
    は訪日順としているが変えられない、国籍取得者も同じ。 自費帰国→民間引き受
    けなら順番繰り上げ可)        <No速61ー6>
  ・28 身元未判明帰国第一号の孤児、身元引受人の元を去る。その後も事件が続き社会
     問題化。かねて身元引受人制度について懸念してきた問題が現実のものとなった。 
                  <4・28 ー朝日  新資ーP25。  8・31ー朝日  新資ーP15>
  ・22 『肉親の9割が(帰国)拒否』『整わない国の体制』  < 朝日, 新資ーP14>
 6・2  孤児全協坂口顧問、水田援護局長と懇談(政府方針確立,早期帰国と民間センター
    活用,身元引受人,生活保護等)            <No速61ー8>
 7・9 孤児全協→東京都知事 要望書(企画調整機構、統一窓口等(東京都夜間中学研究
   会連名)      < No速61ー11>
      [注] 62・2・5  都中国帰国者対策協議会 設置
 ・18 孤児全協、木戸 新援護局長と懇談(早期帰国,民間センター活用,帰国順,死亡
   孤児遺族,混血児,本格的実態調査等)<No速61ー12>
 8・5 『祖国へ帰れ 妻よ子よ』於中国死亡孤児最後の絶叫 「わが憂い断腸の如し」  
   <8・5ー東京新聞,中国孤児たちの戦後(1) 新資ーP33>  (遺族の帰国を手配すると
      の援護局長言明(前項7・18)、その後数回の折衝に拘わらず、ついに実現せず 
 9・9 日中両政府が日本人と未確認の孤児に就籍許可(東京家裁61(家) 7695, 61・9・4) 
                                   <61・9・9ー朝日, 新資ーP15>
10・9 孤児全協 → 年金局 問い合わせ 
     [問] 沖縄県民の年金実額確保(米国占領期間について一部国庫負担、保険料追加納入)
   が政令で実施されると報道されている。中国帰国者について同様の問題があるが 
   (日本の主権の及ばない外地に放置。改正法による空期間では実額が確保されない)
    政令で処置出来ないか。         
   [答] 中国帰国者については、政令では出来ない。法改正が必要である。   
    <No速61ー16  帰国孤児年金に係る件。  沖縄県民に対する政令ー10・9ー朝日>
・  ・13 身元未判明孤児就籍申立棄却(国籍取得運動却下初ケース。 李鳳琴事件 東京家裁
     61(家)5581,  61・10・13)  <61・10・17 朝日  新資ーP13>
       (抗告事件 東京高裁61(ラ)655,   原審判取消,就籍許可  62・6・8 )     
10・20 国籍取得会 → 援護局長 要望書  (国籍取得代理人として援護基金活用提言
     容れられず)
12・15 中国帰国者 自殺 七つのケース                 <12・15ー東京 新資ーP11>

(1987--昭62)
 1・16  16都道府県 中国帰国者対策協議会 発足   < No資ー62ー6 >
 2・5  東京都中国帰国者対策協議会 設置(定着自立促進援護施策の充実強化、連絡調整,
    会長 副知事、委員 局長6 その他 <No資ー62ー7。 1・8ー朝日 No速62ー1>)
 2・  社会党、中国帰国者対策部会設置      <No速ー62ー7>
 ・9  国籍取得支援会→厚生省 要望書(国籍取得支援の援護ー 援護局長努力方回答)
◆ ・23 第15次 訪日調査 <28/104  26,9%>  
◆      厚生省肉親捜し概了と発表  しかしその時点でまだ多数の身元未判明孤児が
      中国にいることが分かっており、厚生省の発表意図に疑問がもたれたが、その秋以降     
     『補充調査』として訪日調査継続

 3・2  厚生大臣、[戦時死亡宣告取消]申立⇒東京家裁 修籍手続き中 
            (初のケース, <3・3 ー毎日 「応じない肉親」増えて  新資ーP22>)
◆ ・31 厚生省、孤児白書発表(これまでの足跡とこれからの道のり)     <新資ーP4>
◆ 4・1 総務庁行政監察局、中国帰国者定着対策の監察決定(実地調査予定 第4四半期         
      期待されたが、後に取りやめ他に予算転用
  ・1  文部省、中国引揚子女用「教育の手引」配布(小、中学校編)
      (在籍約2000人、 引揚毎年約300人  <4・7 朝日 新資ーP25>)
◆・7  帰国旅費の手続き改正 (援発212,要件緩和 <60,3,29 援発208 改正>
              一時帰国、再帰国者の援護改正 (援発213 <48,10,31 援発1130 廃止>)
  ・13 厚生省、肉親捜し協力に [感謝状]
      (ボランティア、報道関係等 68団体, 個人 68人 <No速62ー5,  新資ーP3>) 
 ・23 厚生省  実務家会合  (第1回,  1回/月予定)      <No速ー62ー5> 
 ・29 厚生大臣訪中  訪日調査協力に謝意  <新資ーP1,2>
 5・6  厚生省  中国帰国孤児・精神保健問題研究班準備会合(第1回)
             <62・2・10,ー毎日  No速62ー3。   62・3・11ー朝日  新資ーP5> 
  ・20 異文化適応教材・「入郷髄俗(中国帰国者の日本社会への適応をめざして) 
          ビデオ付き」 全社協 発刊      
        <2・1ー 読売, 新資P3。 3・10ー 朝日新資ーP46。 3・13 佼成 新資ーP14。
         5・28ー朝日 新資ーP21>
 7・6 16都道府県 →政府 要望書( 定着自立促進の為の国の基本的措置及び都道府県          
                     援護施策経費の確保等)
  ・24  身元未判明孤児肉親調査委員会(キャラバン隊、第1回 )  <8・25ー日経>
 9・17  帰国孤児代表→政府 要望書(定住先は希望地に、国の費用で戸籍を) <9・18朝日>   
  ・21 フィリピンにも忘れられた『残留孤児』              <9・21ー 朝日>
 9・29 所沢センター修了式中止 定住地のことで孤児反抗,( 社会的反響大) 
      <9・22ー朝日,解説「不満膨らむ定住地抽選」。 9・30ー各紙「当日情況」10・12ー毎
      日ー社説 「・・造反を生かして」。 11・6 朝日ー解説 「・・反抗の背景」。11・20ーサンケ
     イ投書 「遠藤誉さんの提案実現を」。 61・3・29 毎日ー記者の目>     (新資ーP4 )
10・29 身元未判明帰国孤児の就籍、国籍取得支援会に厚生省協力約束   <10・30ー朝日>
◆11・  第16次 訪日調査  (第1回  補充調査)    <10/50  20%>
  ・11 国立大学協会 中国引揚者等子女の入学者特別選抜 実施発表
                                                    <63・1・11ー朝日論壇>
       新潟大学、東京都立大学 選抜募集要項 発表
  ・19 中国帰国孤児、人権救済申立→ 法務省人権擁護局、日弁連宛<11・20 毎日外各紙>
12・16  都道府県→ 政府 要望   [ 63年度予算    1 援護事業の充実 (1) 2次センター  
     (2)自立指導員制度拡充 (3)福祉事務所体制措置 (4)住宅確保 (5)子女教育特別措置
    (6)就労促進特別措置 (7)就籍特別配慮  
       2 援護施策の対象拡大     3 自治体経費配慮

(1988--昭63) 
 1・11  [朝日論壇-石田きよ子(高校教諭)] 帰国子女「特選」に配慮望む
 2・9   中国帰国者の人権を守る会 人権救済追加申立
       孤児全協 人権救済意見書→ 人権擁護局長
  ・23 フィリッピン 残留孤児、混血二世 厚生省本格調査      <2・23ー毎日>        
       人数約1万人                  
                          <3・9ー毎日>
◆ ・27  第17次訪日調査(第2回補充調査) 50人+ 再調査 5人 <13/50 26%, 4/5>
 3・10 中国側、 集団訪日調査打切りか ? <読売他>
 ・18 訪日調査さらに2年継続 ー 日中政府確認 (63年度100人規模予定)<3・19ー朝日>
 4・5  台湾人元日本兵へ 弔意金・見舞金 200万円ー予算決定 
                                     <4・5ー朝日ー時時刻刻,4・6ー毎日・記者の目>
 ・8   自立研修センター( 第2次センター) 15カ所決定 (山形、埼玉、千葉、東京、
      神奈川、長野、愛知、大阪、京都、兵庫、広島、高知、福岡、長崎、鹿児島)
       研修期間ー 1次センター 4カ月、 2次センター 8カ月
 ・31 中国帰国子女の大学進学、修学11年でも受験資格認める(不足の1年に対し、
       帰国孤児1次、2次定着センターを教育機関として文部省が指定、厚生省は必要教科
     の教師を派遣)                                          <6,1ー朝日>
      ([注]多数の既帰国子女についてどうするか、差別にならないよう別途解決する必要
         があると思われる)
  ・30『帰国子女の教育続けたい』転勤不服申し立て・・元葛西小,善元教諭 <5,31ー朝日>
      [関連=中国帰りの子ら困ったー<3,30ー朝日>。  転勤させないでー<4,2ー毎日>。
        涙のお別れ会ー<4,16ー毎日>]
 5・14  肉親が帰国拒否の孤児−保証人あっせんー厚生省     <−朝日>
◆6・23〜7・7  第18次訪日調査(第3回補充調査) <12/35,34.3%  再0/2>
◆ 7・3『中国帰国孤児適応状況検討会』近くスタート=厚生省         <7,3ー読売>
           疫学研究班(中川泰・国立精神神経センター精神保健研究所部長及びスタッフ)
       臨床研究班(江畑敬介・東京都立松沢病院医長及びスタッフ)
       [関連=<62,2,10ー毎日>、<3,11、8,7ー朝日>]
  ・11 サハリン朝鮮人、再会費用公費負担予算要求=外務省 <7,11ー毎日>
      [関連=<62,6,16ー朝日>。 一時帰国ソ連前向き検討<63,6,12ー毎日>。 <9,5ー朝日>]
  ・21 東京都立大 来春中国帰国子女特別入試実施(特別枠4学部9人)
    63年度国立新潟大に続き、公立大では初めて。   <7,22ー毎日>
 7・30  中国帰国子女特別入試=東北大医学部       <7,30ー朝日>
 8・13  中国ウルムチの残留婦人帰国                     <9,27ー朝日>
  ・19 サハリン残留日本人、初の一時帰国        <9,19ー朝日>
 ・21 中国帰国孤児の人権救済申し立て”門前払い”=法務省人権擁護局<9,22ー読売>
10・27 中国帰国孤児の人権救済申し立てを”人権侵害事件"として取り上げ、調査開始
         =日弁連                           <10,27ー朝日。  解説ー10,28ー朝日>
[日本テレビー6・30]『帰郷』−帰国孤児が問う「親子とは」

1989 (昭64・平成元)
 2・6  山西省残留日本人 帰国支援に民間組織               <2,6ー朝日>
          [関連=国共内戦に巻き込まれー<61,8,14ー毎日、 新資ー61,8 p12>]
◆  ・24〜3・10 第19 次 訪日調査 (第4回補充調査 9/57  15.8%) 
◆ 3・10  身元判明孤児の永住帰国身元保証人、肉親でなく、ボランティアでも許可
                               <3,10−毎日>     [関連=63,5,14ー朝日]
 4・  中国帰国者へ広がる大学の門 
     (特別選抜枠=室蘭工大工、東北大医、新潟大工、鳥取大農、高知大理、長崎大経、   
      琉球大教育。 都立大人文、法、理、工、        <4,4ー朝日>
5・4  天安門事件・中国北京 (血の日曜日)
  ・27 孤児二世殺人事件 (ドラゴングループ)
    暴走族乱闘死傷<5,29ー朝日>。 中国籍17歳逮捕<5,30ー朝日>。  残留孤児二世
    だった暴走族<5,31ー朝日>。 鑑別所からの手紙<5,31ー朝日> 
      [関連]  7,21(二世)殺人、殺人未遂、窃盗、銃砲刀違反、少年院送致=千葉家裁決定
                   (過剰防衛)         
              9,18 抗告事件 原決定取り消し。差し戻し=東京高裁決定  (正当防衛) 
         9,21 殺人事件分離、殺人事件保護処分に付さない=千葉家裁決定 
         10,18  窃盗、銃砲刀違反、少年院送致=千葉家裁決定
         12,20  抗告事件 原決定取り消し。東京家裁に移送=東京高裁決定
         90,3,  保護観察決定=東京家裁
                                                                 <以上ー各紙>
◆ ・31 肉親が身元保証人とならない身元判明孤児に『特別身元引受人』を斡旋
         (援発411,援護局長→都道府県知事、庶務対267,厚生省庶務課長→民生部長)
           [関連=88,5,14ー朝日]
◆ ・21  孤児二世に地方体験、都内集中に歯止め = 厚生省来年度から <9,21ー朝日>
   8・12 中国帰国者に特別の援護法を(自立支援に生活保護法は不向き)
      元福祉事務所査察指導員要望              <朝日ー論壇>
 ◆ ・18  孤児二世、大学受験資格修学年数補う措置決定=文部省、厚生省 <10,18ー官報。朝日>
         文革時修学1年短縮の為、日本の大学受験資格無し  [関連=63,6,1ー朝日]
    ・30 中国残留婦人集団里帰り、ボランティア団体『春陽会』招待 <10,31-読売,朝日>
        [関連=9,21-読売.『論点』。10,10-読売。10,30-読売.『広がる民間支援』]    
◆12・8  中国帰国孤児自立対策委員会設置=厚生省援護局
     帰国孤児とその家族について、定着自立状況を研究し、その特性を踏まえた効果的な
         指導方法について調査研究する
                検討期間  2年
                委員 専門家 5(社会福祉、産業社会、精神衛生、文化人類、日本語)  
                社会福祉協議会、評論家、定着センター  各 1、  計 8
         中国帰国孤児自立促進対策研究会 = 委員会指示による研究、報告      
                専門家 8、  実務者 5   計 13
 3・18 サハリン残留韓国人問題、日韓議員が合同調査へ              <3,19ー朝日>
 4・12 サハリン残留韓国人留守家族、初の現地訪問                   <4,12ー朝日>
 8・15 在韓被爆者補償問題急浮上                  <8,1ー朝日>
    [関連]・17 韓国与党、サハリン残留補償対日要求決定         <8,18ー朝日>
              ・28 日本外務省、補償問題は日韓基本条約既決着、人道的に対処                                                         
                                 <8,29ー朝日>
◆8・26 フィリピン残留孤児の国費一時帰国援護制度化=厚生省
       (756人中、条件合致対象者1名のみ)
    フィリピン日系混血二世来日援助=民間団体(3年間、毎年20人)<10,27-毎日,朝日> 
1990 (平 2)
◆   里帰り大幅拡充−老齢化進む残留婦人[一回/10年を再検討-厚生省]  (朝日-4・27)
 1・10  タイ残留日本人2名帰国(マラヤ共産党反英独立運動参加)
 2・15   第20次 訪日調査(第5回 補充調査 12/46,26.1%  再調査 0/3
         山本慈昭師死去−<中国残留孤児の父>訪日調査孤児到着の日に  (各紙-)
 8・7     海外残留邦人を考える会(自民党)発足
         会長戸井田三郎、 副会長大鷹淑子、 代表世話人佐藤信二  (衆・35名、参・14名)11〜12
      第21次 訪日調査(第6回 補充調査 4/37   10.8%)
        二世の自費帰国は無理−訪日孤児国に訴え、裕福家庭の学生には支給の矛盾 (朝日-12・9)
        苦闘する二世たちー生活保護外され恒例の親支える、20年前の施策・・変更のとき
        (毎日[記者の目-大高和雄]-3・15)

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