中国残留邦人問題 経過 (B) (中国帰国者問題同友会) [注] <No速ー> 孤児全協ニュース速報ー年ー番号 <No資ー > 孤児全協資料ー年ー番号 <新資ーP> 孤児全協新聞情報ー当該年月号ページ 1931・9・18 満州事変 (昭和6年) '32・3・1 満州国建国 10・5 第一次武装農業移民492名、神戸出発(永豊鎮入植、後に弥栄村) 34・3・8 土竜山事件 36・8・25 広田内閣七大重要国策決定 (第六項 対満移民政策等 <開拓移民 20年100万戸計画>) 37・7・7 日中戦争 ・8・24 満蒙開拓青少年義勇軍(長野県)100名東京出発 39・9・1 独軍ポーランド進撃(第2次世界大戦勃発) 41・4・13 日ソ中立条約調印 ・7・2 関特演(関東軍特別大演習)発動 ・12・8 太平洋戦争突入 42・11・1 大東亜省創設 (1945--昭20) 4・5 ソ連、 日ソ中立条約不延長通告 ・11 ヤルタ会談(米英ソ) 5・8 ドイツ降伏 ・30 大本営、満鮮方面対ソ作戦計画要領(満州3/4放棄) 7・10 在満在郷軍人 根こそぎ動員 ・26 ポツダム宣言(米英中) 8・8 ソ連 対日参戦通告ー日ソ中立条約違反 ・9 ソ連軍 満州侵攻 ・10 大本営命令 → 朝鮮保衛、満州は全土放棄も可 ・10 ポツダム宣言受諾 ・15 終 戦 ・29 満洲・朝鮮在留邦人・軍人180万人ー現地土着、国籍離脱方針 [大本営参謀所見報告、関東軍参謀長全面同意] <(モスクワー共同)→朝日、読売ー93・8・13> ◆ ・30 外地及び外国在留邦人引揚者応急措置要綱決定(次官会議) ◆ (財)満洲国関係帰国者援護会設立認可。 11・19 GHQ命令−基金(3億)凍結、 業務停止 S21・3・15 引揚援護事業のみ再開許可 [(財)満蒙同胞援護会]として再発足 (S47・6・30-解散) 9・1 東北地方日本人居留民救済総会 設立 (11月 日僑善後連絡総処) ◆ ・7 外征部隊及び居留民帰還輸送等に関する実施要領(閣議了解) ◆ 10・2 覚書(AG370.05)GC・日本人の引揚に関する件 ◆ 10・18 引揚責任庁・・厚生省(GHQ指令) (1946--昭21) ◆ 3・13 引揚援護院設置(厚生省外局) ◆ ・15 引揚に関する基本指令(GHQ) ◆ 4・ 『日本人送還に関する三方協定』合意 =(アメリカ・中国国民党・中国共産党) <徐焔著・1945年満州進軍> 日僑分布状況=国民党統治地区 80万余、共産党解放区約28万、ソ連大連地区27万 <なお、趙安博・1983・4・2-人民日報> 5・5 引揚第一船 壷蘆島出帆 (5・15、奉天より・7・28、長春より 引揚第一列車出発) 11・23 引揚第一船 大連入港 (引揚人数ー昭和22年までに、満洲 104万人、 大連 22万8000人、中国 159万6000人 (1949--昭24) ◆ 4・26 衆参両院 引揚促進を決議 10・1 中華人民共和国 成立 ◆ ・3 中国からの集団引揚中断 (1950--昭25) 6・25 朝鮮戦争始まる (1951--昭26) ◆ 9・18 対日講和条約49カ国調印(52・4・28発効 中国代表は中華民国<台湾>) (1952--昭27) ◆ 3・18 海外邦人の引揚に関する件(閣議決定・講和条約発効に伴うGHQ指令に代わる措置) ◆ 4・28 中華民国 <台湾> と平和条約調印 10・1 中国政府 <北京> 残留日本人帰国援助表明 (1953--昭28) ◆ 2・1 引揚者に帰還手当支給開始 3・5 [北京協定] (<中国紅十字会ー日赤、日中友好協会、日本平和連絡会>の間に日本人帰国問題に関する協定成立。集団引揚再開 ) ◆ ・16 中国引揚孤児対策要綱(於舞鶴、リスト作成写児童局へ) 7・27 朝鮮休戦協定調印 ◆ 8・1 未帰還者留守家族等援護法公布 (1954--昭29) ◆ 4・1 引揚援護局(厚生省) 設置・・(引揚援護庁廃止) (1956--昭31) ◆ 6・28 [天津協定] (<中国紅十字会ー日赤、日中友好協会、日本平和連絡会> 戦犯335名, 中国人と結婚した残留婦人の里帰り,居留民の帰国その他) (1958--昭33) 5・2 中国国旗侮辱事件 (長崎切手展) ・10 日中国交全面断絶 5・〜 中国,大躍進運動 中国飢饉 (1958〜'61 餓死者2千万?) (1959--昭34) ◆ 3・3 未帰還者に関する特別措置法 公布(戦時死亡宣告・戸籍抹消 1万3600余名) (1961--昭36) ◆ 6・1 引揚援護局を 援護局 と改称 (1966--昭41) 8・8 中国 プロレタリア文化大革命に関する決定(拡大中央委) (1972--昭47) ◆ 9・29 日中国交正常化 (於北京 共同声明) (1974--昭49) 8・15 肉親捜し民間の手で始まる 第1回「生き別れた者の記録」 日中友好手をつなぐ会、朝日新聞協力発表 <朝日縮刷P443> (1975--昭50) ◆ 3・12 厚生省 公開調査(第1回 朝日縮刷<P398> 〜第9回<別表>) (1976--昭51) 1・8 中国, 周恩来死去 4・5 天安門事件(清明節) 9・9 毛沢東死去 10・7 4人組逮捕 (文革事実上終了) (1977--昭52) 8・12 中国,文革終結宣言(11全大会) (1978--昭53) 5・11 中国残留孤児問題 国会議員懇談会 発足 ◆ 8・12 日中平和友好条約 調印 ◆10・6 肉親捜しの根拠制定 『未帰還者等に関する調査及び処理実施要領について』 (援発88 援護局長通知) (1980--昭55) 10・22 衆・外務委,田川誠一議員 孤児問題を初めて取り上げ。伊東外相誠意をもって対処答弁 <10・23ー朝日> (1981--昭56) 3・2 第1次訪日調査 <28/47(59.5%)→30/47(63,8%)> (---別表) (1982--昭57) 2〜3 第2次 訪日調査 <45/60 75%> [注]判明人数はその後変動あり(厚生省発表) このあと養父母扶養・家族との離別問題化、新しい悲劇解決の要ありとして 中国側訪日調査をストップ ◆ 8・26 中国残留日本人孤児問題懇談会ー厚生大臣諮問機関 [第1次報告「早期解決方策」] (1983--昭58) ◆ 1・18 [養父母扶養費]解決、訪日肉親探し再開へ(日中事務レベル交渉妥結<No資58ー1>) 2〜3 第3次 訪日調査 <25/45 55,6%> ◆ 4・1 (財)中国残留孤児援護基金 設立 ◆ 4・8 [閣議了解](中国残留孤児援護基金に対する関係行政機関の協力) 12 第4次 訪日調査 <38/60 63,8%> (1984--昭59) ◆ 2 ・1 中国帰国孤児定着促進センター開所<所沢> <1・31 援発82 、No資ー59ー5> 2・25 第5次 訪日調査 26/50(52.0%)→27/50(54,0%) ◆ 3・17 中国残留孤児問題の解決に関する [口上書] 日中両国政府交換 (養父母の扶養、帰国者の取扱い等) 訪日調査再開の目途つく <No資 59ー3> 11・6 援護基金、日本に養父母招待(第1回) <10・24ー各紙 No資ー59ー9>・ ・22 第6次 訪日調査 <39/90 43,3%> 訪日調査再開 (1985--昭60) ◆ 1・1 改正国籍法、戸籍法施行 ◆ 3・29 未判明孤児ー帰国受入 [身元引受人]制度発足 (援発206、<No資ー60ー4、5>) ◆ 4・1 厚生省 [中国帰国孤児定着促進対策室] 新設 <4・2ー朝日, 新資ーP1> ◆ 5・9 厚生省、 再帰国者に援助 (業ー664) <No資60ー5> ◆ ・17 厚生省、肉親捜しのため訪中調査(第1回) <5・21ー読売,新資ーP2> ◆ ・22 孤児懇、第2次報告(今後の施策の在り方) <No資ー60ー7> [参考] 『第1次報告 「早期解決方策」'82,8,26』 (法の制定,改正なく改善可能な諸施策 <No資ー60ー8> 第2次、61・10・30) ◆ ・24 来年度一挙 700人訪日 調査終了めざす <8・24ー朝日, 新資ーP22> ・12 第7次 訪日調査 <39/90 43,3%> ・27 孤児人数 2000人超す 訪日計画の手直し必至(中国側調査で解る) <5・28ー朝日,新資ーP8> 9・3 第8次 訪日調査 <41/135 30,4%> 11・1 身元引受人制度 法人に適用 (援発621) <No資60ー15> ・14 [北鮮孤児]肉親捜し、国も本腰 <11・6,14ー朝日, 11・17ー毎日社説 新資ーP38,39,37> ・19 第9次 訪日調査 <33/135 24,4%> ('85年内に) 中国 人民公社解体完了 (1986--昭61) ◆ 1・16 沈陽日本総領事館 開設 <No速61ー2> ◆ 5・9 厚生大臣訪中 [養父母扶養費額]等 解決 <No速61ー7> ◆ 5・9 養父母等に対する扶養費に関する [口上書] 交換 (日中政府間 <No資ー61ー6 各紙 新資ーP1〜5>) ◆ ・18 就職促進体制整備、所沢センター拡充 <5・18ー朝日,No速61ー8> ・16 在中国 日中混血児 2000人 ・26 第10次 訪日調査 <37/130 28,5%> 6・1 第11次 訪日調査 <78/200 39,0%> 8・6 養父母扶養費 第1回支払い (87名分) 8・14 中国山西省 残留日本人100〜200人(旧軍人,女性<8・14ー 毎日、新資ーP12>) 9・3 第12次 訪日調査 <63/200 32%> ・12 厚生省 [帰国者実態調査] 発表(61・2・1 調査) <9・13 ー読売 No速61ー14,9・13ー朝日 新資ーP32> ・14 第13次 訪日調査 <32/100 32%> 10・22 [残留婦人の人数] 初めて明らかにされる (10・22 衆・法務委,厚生省答弁) 一時帰国 約2700名, 永住帰国 約1000名, 在 中 国 約3500名 <No速61ー17> ・25 厚生省、13歳以上も訪日調査参加認める(孤児の定義=13歳未満 ) <10・25ー毎日,新資ーP3> 11・11 サブセンター・大阪開所 民営委託の第一陣 (日中友好手をつなぐ会支部中心) 来年度全国5箇所予定 <9・19ー毎日, No速61ー15> 12・15 所沢センター拡充, (180家族/年) <No速ー61ー18> 12・ 第14次訪日調査 <14/42 33,3%> (1987--昭62) ◆ ・31 厚生省、孤児白書発表(これまでの足跡とこれからの道のり) <新資ーP4> ◆ ・13 厚生省、肉親捜し協力に [感謝状] (ボランティア、報道関係等 68団体, 個人 68人 <No速62ー5, 新資ーP3>) ◆ ・23 厚生省 実務家会合 (第1回, 1回/月予定) <No速ー62ー5> ◆ ・29 厚生大臣訪中 訪日調査協力に謝意 <新資ーP1,2> ◆ 5・6 厚生省 中国帰国孤児・精神保健問題研究班準備会合(第1回) <62・2・10,ー毎日 No速62ー3。 62・3・11ー朝日 新資ーP5> 1・16 16都道府県 中国帰国者対策協議会 発足 < No資ー62ー6 > ・23 第15次 訪日調査 <28/104 26,9%> 厚生省肉親捜し概了と発表 (その後も訪日調査続くー厚生省の意図不明) 7・6 16都道府県 →政府 要望書 (定着自立促進の為の国の基本的措置及び都道府県援護施策経費の確保等) ・24 身元未判明孤児肉親調査委員会(キャラバン隊、第1回 ) <8・25ー日経> 9・17 帰国孤児代表 →政府 要望書(定住先は希望地に,国の費用で戸籍を) <9・18朝日> 11・ 第16次 訪日調査 (第1回 補充調査) <10/50 20%> ・19 中国帰国孤児、人権救済申立→ 法務省人権擁護局、日弁連宛<11・20 毎日外各紙> 12・16 都道府県→ 政府 要望 [ 63年度予算 1 援護事業の充実 (1) 2次センター (2)自立指導員制度拡充 (3)福祉事務所体制措置 (4)住宅確保 (5)子女教育特別措置 (6)就労促進特別措置 (7)就籍特別配慮 2 援護施策の対象拡大 3 自治体経費配慮 (1988--昭63) ◆ 3・10 中国側、 集団訪日調査打切りか ? <読売他> [関連] 3・18 訪日調査さらに2年継続 ー 日中政府確認 (63年度100人規模予定)<3・19ー朝日> ◆ ・8 自立研修センター( 第2次センター) 15カ所決定 (山形、埼玉、千葉、東京、神奈川、長野、愛知、大阪、京都、兵庫、広島、高知、福岡、長崎、鹿児島) 研修期間ー 1次センター 4カ月、 2次センター 8カ月 ◆ 12・23 中国帰国孤児生活実態調査 概要 (62,11,30・厚生省) [関連]=62,11,30調査 2・9 中国帰国者の人権を守る会 人権救済追加申立 孤児全協 人権救済意見書→ 人権擁護局長 ・27 第17次訪日調査 (第2回 補充調査) 50人+再調査5人 <13/50 26%, 再 4/5> 6・~ 第18次訪日調査 ( 第3回補充調査) 12/35 34,3% ・21 東京都立大 来春中国帰国子女特別入試実施(特別枠4学部9人) 63年度国立新潟大に続き、公立大では初めて。 <7,22ー毎日> ・30 中国帰国子女特別入試=東北大医学部 <7,30ー朝日> 10・11 中国残留孤児養父母来日=援護基金 <10,4ー朝日> (1989 ー昭64・平成元) 1・14 残留孤児の訪日延期検討ー大喪の日避けたい = 厚生省 <1,14ー朝日> 外務省が強硬要請 <1,14ー朝日> ・17 訪日調査日程 変えぬ = 厚相言明 <1,17ー朝日> [関連=ニュース三面鏡] <1,16ー朝日>] 2・6 山西省残留日本人 帰国支援に民間組織 <2,6ー朝日> [関連=国共内戦に巻き込まれー <61,8,14ー毎日、 新資ー61,8 p12 >] 2・~ 第19次訪日調査 (第4回補充調査) 9/57 15,8% 再調査 2/3 3・10 身元判明孤児の永住帰国身元引受人、肉親でなくボランティアでも許可 <3,10-毎日> [関連=<63,5,14ー朝日>] 5・4 中国 天安門事件・(血の日曜日) 5・31 肉親が身元引受人とならない身元判明孤児に『特別身元引受人』を斡旋 (援発411,援護局長→都道府県知事、庶務対267,厚生省庶務課長→民生部長) [関連=<63,5,14ー朝日>] ・16 養父母来日=援護基金 12・8 中国帰国孤児自立対策委員会設置=厚生省援護局 (1990 ー平2) 2・~ 第20次訪日調査 (第5回補充調査) 12/46 26,1% 再調査 0/3 11・~ 第21次訪日調査 (第6回補充調査) 4/37 10,8% (1991ー平3) 11・~ 第22次訪日調査 (第7回補充調査) 5/50 10,0% (1992 ー平4) 11・~ 第23次訪日調査 (第8回補充調査) 4/33 12,1% 訪中 0/7 (1993 ー平5) ◆ 12・15 日中政府・[口上書] (中国残留邦人の帰国問題) ◆ 12・15 永住帰国を希望する中国残留邦人の帰国の促進について (3年以内全員帰国) (厚生省) (別紙) 特別身元引受人制度の改善について (参考) 中国残留婦人等に対する帰国意向調査の回答状況 (5・11・30現在) ◆ 〃 特別身元引受人制度改正 (社・援発600、 平元7・31 援発411廃止) (別添) 特別身元引受人制度実施要領 ◆ 〃 「特別身元引受人制度実施要領」の取扱いについて (社援対662) ◆ 〃 永住帰国旅費改正 (社援発601、 平4・4・9 援発216廃止) 9・5 残留婦人12人強行帰国 (社会問題化・その後も帰国続き、議員立法の契機となる) [関連][記者の目-井上志津] 孤立感強く中国に帰りたいー強行帰国の残留婦人 <毎日-95・8・18> 10・~ 第24次訪日調査 (第九回補充調査) 4/32 12,5% 12・23 中国残留邦人・帰国・自立に「援助法」 自民小委が立案今国会提出へ <12・23-毎日> (1994 ー平6) ◆ 4・6 「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律」 (法律30号) 公布 <議員立法> ◆ 7・29 中国孤児・婦人の帰国条件−大幅緩和を検討 <朝日-> (再帰国五年実施。 七〇歳以上毎年検討中) ◆ 10・1 中国残留邦人支援法、 施行規則(厚生省令63号) 施行 ◆ 11・9 国民年金法等の一部を改正する法律 (法律95号) 公布 (中国残留邦人支援法に 「第13条 (国民年金の特例)」 挿入。 施行平成8年4月1日) 11・22 第25次訪日調査 (第10回補充調査) 4/36 (11.1%) (1995 -平7) 4・27 サハリン残留邦人一時帰国−今回で8回目、 5・20 未確定残留孤児を訪中調査(厚生省)− 訪日調査に参加できない9人 5・21 残留邦人、今も遠い祖国−『全員帰国方針』から1年半 <朝日-> 7・31 中国残留邦人なお2千人(孤児630人余、残留婦人1300人余)−永住帰国-孤児1890人、残留婦人300人。 <読売-> 10・26 残留邦人の早期帰国 計画遅れ1年延長へ 希望者まだ850人 定着センター間に合わず <毎日-> 10・31 第26次訪日調査 5/67 (7.5%) 血液鑑定 6人 11・8 故郷の村が『引き受け人』−埼玉・荒川村<郭淑範-高野好子> <朝日-> 12・25 「身元引受人や指導員不足」 3割以上の県訴え。 12・29 フィリッピン残留日本人二世2125人 3割が戸籍謄本所持 <朝日-> [投書] <山永妙子>孤児2世の留学制度作れ(朝日-12・6) [連載] 1・1〜14 『母の国』ー<郭炳君> @〜L (朝日-「50年の物語りー22話」-大久保真紀) [連載] 12・5〜9 『50年後の祖国で』@〜D 『ボクの満州』ー漫画家たちの敗戦体験ー[中国引揚げ漫画家の会] 亜紀書房刊 (赤塚不二夫、上田トシコ、北見けんいち、高井研一郎、ちばてつや、古谷三敏、森田拳次、山内ジョージ、横山孝雄、石子順) 『ボクの満州原画展』ー8月3日〜8月8日 於紀伊国屋書店本店 主催-ボクの満州原画展実行委員会 『ボクの満州』を語る会ー8月7日 於紀伊国屋ホール 後援-厚生省・(財)中国残留孤児援護基金 『まんしゅう地ぞう』(童子)開眼法要(西多摩霊園帰国者の墓−11月19日) 発願-まんしゅう地蔵建立委員会 デザインーちばてつや、彫像-和泉成治、題字-井上翆園 (1996ー 平8) 2・6 「日本人と認めて」 (フィリッピン)父の祖国へ切々と 報復の恐怖、出自隠し続けた戦後 (読売-) ◆ 4・1 永住帰国・中国残留邦人等への国民年金特例措置施行 保険料免除期間について、 自己負担分追納に対し『生活福祉資金』貸付 4・12 中国帰国者への国民年金特例スタート、でも思わぬ明暗 (読売-) 日本国籍の残留婦人は61年以降全期間免除期間、中国国籍の残留婦人は82年以降 [関連] 残留孤児らに保険料貸付−都が年金本人負担分低利で (読売-6・7) 8・22 日本戸籍ない残留邦人望郷の訴え実り来月3人が訪日(福建省) (読売-[日中ジャーナル])大阪帰国者センター(理事長竹川英幸)帰国者会館建設−2世、混血孤児援助 (読売-4・27) 〃 中国に教科書贈ろうー「恩返し」帰国者、毎年6万冊 (毎日-5・3) 帰国後、厳しい生活−読み書き会話に「不自由」 6割、失業率11%、相談相手なし2割(筑波大調査) (朝日-5・26) 幻想に生きる中国人帰国者−アリストパネス・カンパニー 「日本漂流」 (読売-5・15) 27回訪日調査 4/43 (9.3%) (1997 ーH9) 青少年義勇軍の『故郷』史実伝える記念館計画−侵略・開拓・・出身者も複雑 (朝日-[平和を訪ねる]-8・18) 『まんしゅう母子地蔵』建立応援漫画展 3月29日〜4月6日 主催-まんしゅう地蔵建立委員会、まんしゅう地蔵建立応援団 後援-紀伊国屋書店、新宿高島屋、松屋浅草 『母子地蔵』 奉安開眼法要(浅草寺) 4月12日 発願-まんしゅう地蔵建立委員会、デザインーちばてつや、彫像-和泉成治、碑文-森田拳次、 養父母来日−恩・愛・涙 (各紙-9・24) [連載]はじめの一歩−常盤寮の25年 (読売[森太]-10・21~) 1) 明日夢見て孤児ら奮闘、 2) 2つの教室かけもち、 3) 言葉と障害克服し自立、 4) 帰国体験生かし支援、 5) 巣立つとき表情穏やかに [偽孤児] 残留孤児の家族装い入国−虚偽書類の100人確認(大阪入管) (読売-12・16) [関連]『偽装親族』を大量摘発ー福岡(4家族16人)、大阪(18人、残留資格認定-1290件不交付)、横浜、東京 (朝日-98・1・8) 28次訪日調査 3/45(6.8%) 偽孤児1人、訪日後日本人孤児取消(訪日調査初のケース) (1998 -H10) ◆ 集団訪日調査今秋限り、今後は個別訪日ー厚生省方針 (読売-4・4) ◆ 帰国事業縮小へー定促センター3ヵ所閉鎖 (朝日-5・23) ◆ 正式名は『昭和館』ー戦没者追悼平和記念館 (朝日-12・16) 『紅梅の塔』−終戦時満洲で果てた人達の慰霊塔開眼式(紅梅の会会長村上米子) (各紙[埼玉版]-3・16) [夜間中学] 夜間中学に国際化の波−中国残留邦人の2、3世ら外国籍、生徒の7割 (朝日-2・9) [連載] 巣立ちの春にー小松川2中夜間中学 (1~4) (読売-3・24〜) [連載] 永住−中国から日本へ (毎日ー[山本紀子]10・26~30) @職なく密入国の壁もー生活保護世帯 39% A3Kの部屋に13人家族ー「就労」 求め親族も殺到 B孤立・・・募る望郷の思いー自分は一体、何者なんだろう C居場所求め仲間連ねるー帰国者の子・・いじめの洗礼 D“真ん中”の苦しみ、強さー23世たちの 「祖国」 29次訪日調査 3/27(14.8%)→4/27(17.4%)→6/27(22.2%)[血液鑑定結果] (1999 -H11) ◆ 訪日調査前に訪中調査(6月〜7月 2班)−日本人孤児確認のため (朝日-6・15) 帰国者支援2団体(日本サハリン同胞交流協会・中国帰国者定着促進友の会)交流深め広がった視野 (朝日[ミニ時評]-1・4) 戦争、いじめ、暴走・・・連鎖−残留婦人、孫(怒羅権) (朝日[百年のことー第一部 家族写真ー6]ー1・7) 工場人生夢見た泣いたー北朝鮮引揚、水俣、日産(出向) ( 〃 ー4 -1・5) [入院保険金詐欺] 中国で入院と保険金を不正請求−支払い1億円(永住帰国者、家族) [関連] (読売-2・23)、 (読売-2・24)、(読売-2・24)、(読売-3・4)、(読売-3・27)、 (読売-4・12)、(読売-4・12)、 (読売-4・13)、(返還民訴=全額弁済決着。読売-8・21) 永住帰国の3世、服役後も入管施設に拘束3年 (朝日-5・31) [関連] 23世の非行問題-あいまいな法的地位 実刑1年超で退去対象、帰る場所なく深刻 (朝日[主張・解説-真鍋弘樹、大久保真紀]-97・7・30) 2人に仮放免を許可へー法務省入入国管局 (朝日-6・8) 2・3世、服役後、強制退去前提の拘束、実情に沿わぬ入管法 (朝日-[大久保真紀]ー6・22) 残留孤児1、2世−リストラの対象に (毎日ー[小国綾子]ー6・11) 夫が不法入国容疑、入管施設に収容−「困った」残留婦人3世と子供 (朝日-6・28) 中国帰国者を支援する女性−母子地蔵 (毎日[浅草寺千年の物語り]7・15) 残留孤児と3女逮捕−3女の夫殺害(バラバラ事件) [埼玉] (朝日-8・4) 『中国養父母感謝の碑』除幕式−デザインーちばてつや、彫像-魯迅美術大学、中国瀋陽ー『9・18記念館』 (朝日-8・21) [連載]−日本人の証言-中国・1945 その後 [波瀾の大地] (読売ー8・10〜) 中国残留、従軍や労働−国共内戦下、辛酸なめる (読売-8・10) ([1]侵攻の日)([2]満映の少女)([3]地底を生き抜く)([4]八路軍の捕虜政策)([5]捕らわれた操縦士) ([6]飛行部隊の決断)([7]国慶節の空)([8]養父母感謝の碑ー帰国後の苦難)([9]八路軍にわか看護婦) ([10]異次元の軍隊ー八路軍)([11]八路軍→朝鮮戦争参加)([12]残された兵士・山西省)([13]幻の残留命令ー山西省) ([14]戦犯としてー生体解剖)([15]満鉄マン(最後まで運転シベリア抑留、天蘭線建設)([16]祖国で(帰国孤児らの親代わり) [波瀾の大地]ー電話手紙で相次ぐ反響 無念今も忘れない (読売-8・28) −八路軍の対応美化し過ぎだ、虐殺に近い例も 戦争は惨め、4カ月の長女は収容所で死んだ ◆ 訪日調査見直しー中国現地調査拡充、手掛りの少い孤児永住帰国してから (朝日-9・4) 訪日調査20人、来月訪日−身元未判明孤児集団調査最後 (朝日-10・9) 最後の集団訪日調査団来日(30次) (各紙-11・2・夕) [解説-大久保真紀] 今回の節目に、厚生省に責任ある対応を求める (朝日-11・2) ー(対応の遅れは、政府のこの問題への意識の低さが最大の原因) 中国残留孤児とはー[子どもの ニュース・ウイークリー] (読売-10・23) もう一度日本にー病気で中国に、国費で帰国できず [大連] (朝日-9・3) 残留孤児呼び寄せ2世の夫、妻と無理心中・放火−夫の孤立なぜ、離婚は離日 [江東区] (朝日-9・17)日本国籍取得1000人超すー身元未判明孤児 (朝日-10・8) 満蒙開拓団の「基地」にー旧七生村 (朝日-[我がまち20世紀-日野市]ー10・19) [社説] 二世の自立に支援を (朝日-11・2) 永住帰国果たせず無念の死−最後まで「日本」「日本海」<29次 王茂隆> (朝日-11・1) 樺太は混乱と餓死の手前−終戦直後、邦人の手紙 (読売-9・6)