魔の一週間         2001/02/10
 月初めの数日は、私にとって重要なスケジュールが占める期間だ。普段もっとも体調に気をつけている筈なのに、先週末から右わき腹がしくしく痛み出して、だんだん痛みが増して、床に横になるのも辛くなり、月曜日迄何とかこらえて、朝一番に、近くの病院へ行った。血液検査と尿の検査をして、痛み止めの薬だけを貰い出勤した。何とか仕事をこなして、夕方会社を出る頃から、又妖しくなりだした。電車は無事だったが、バスがいけなかった。乱暴な運転で車体がガタンと揺れたとたん。息がつまりそうになった。バスを降りて家までの距離の長かった事。
 翌日は、用心の為、会社の近くに新しい病院が開業して、新しいタイプのユニークな病院との事で興味を持っていたこともあり、予約を取って、行ってみた。そこは、昨年5月迄、私達総務と営業が使っていたビルのフロアーを病院用に改造したもので、ついつい中を見回してしまった。
 医師は、私に対する問診内容を、パソコンに入力していた。胸のレントゲンを前からと痛みのある側の側面からと2枚撮った。丁寧に見てくれたが、昔の結核の後が石灰化している以外特に異常は見られないとの事。帰りにカルテを(PC入力したもの)を渡してくれた!こんな事、初めてだ。
又、インターネットを通じて、いつでも自分のカルテが閲覧できるらしい。
 URLは http://www.plata-net.com  風邪の受診の際は、先にインターネットで症状を知らせておけば、病院の滞在時間を短縮できるとの事。
 会計の時間を待っている間に、ハーブティーのサービスまであった。とにかく型破りな病院ではある。でも私の症状の原因は自宅の方の病院の検査待ちということに。
翌日の血液検査の結果は、内臓には異常は無いが、どこかに炎症の反応があるとの事で、抗生剤を出してくれた。腎臓か胆のうのいずれかに石ができている可能性があるので、後日エコーをかける事になった。
 痛みの原因を除去した訳ではないので、薬で痛みは収まっていても、呼吸が時々苦しくなって、駅の階段を上った後は、ハッハッハと小刻みな息になり歩くのもゆっくりしか歩けない。ふと昔みた光景が脳裏に浮かんだ。小学高学年の頃クラスに転向してきた男の子がいて、其の子の一家は、私の家のはす向かいの家に間借りをしていた。都会から越してきたらしく、母親は、垢抜けた当時にしては、珍しくすらりとした背の高い人だった。彼女は、胸を病んでいたのか、道路を横切って来て、私の家の角を曲がり、裏の家に用事があって行くらしかったが、短い距離を、そろそろと歩みが遅く、時々立ち止まっては休み休み歩いていた。
 暫らくして彼女は小学生の二人の男の子を残して亡くなった。私は少しづつしか歩けない身になって、其の時の彼女になったような錯覚を起こして、後に残す子供達のことを思い苦しい胸が、余計に苦しくなった。どんなにか心残りだった事だろう。今の私の子供達はすでに成人していて、私がいなければという心配は無いのがせめてもの慰めだ。
 この週の一番大事な日は金曜日。親会社と前期から連結決算をするようになって、会計システムも協力会社が足並みをそろえて、同じシステムを導入する事になり、其の2回目の説明会が、あった。親会社は最寄駅から、結構遠いので、用心の為、早い昼食を取って、時間の余裕をたっぷりとって出かけた。ゆっくり、ゆっくりと自分に言い聞かせて、無事到着。
 長い一週間だった。今日は、うそのように体が軽くなっていた。朝一番に病院へ行ったが、エコーは、火曜日にと言う。おそらく前日夕方から絶食しなければならないのに、私に指示をしていなかった為と思われる。なんと言うことだ!
 でも症状が収まってこうしてパソコンに向う事が出来るのだから、まあ良しとしよう。
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