訛りなつかし         2001/02/01
「故郷の 訛りなつかし 停車場の 人ごみの中に そをききに行く」
石川啄木がこのうたを読んだ頃は、テレビもなく、情報が今のように発達していなかったし、東北から都会へ出て来ると言う事は、まず人とのコミュニケーションの手段である言葉に苦労した事と
思われる。
私は中学生の時に福島県から、家族と共に東京へ移転してきた。環境の変化はさほど苦にならなかったけれど、暫らく学校で話すことが出来なかった。アクセントに自信がなかったからだ。答えが解かっていても手が上げられない。それでもいつとなく、級友達の話の輪の中に交わるようになっていった。言葉に対する劣等感も薄らいだ頃、国語の時間に朗読をさせられた。前後は忘れたが「柿食えば、鐘が鳴るなり 法隆寺」の句の、カ、キ、と言葉を発したとたん、わっとクラス中が沸いた。今にして思えば「蛎食えば・・・」と読んだのだろう。以来、柿、と蛎の発音恐怖症で、なるべく、この言葉は避けて通るようにしている。
 昔の会社の同僚に青森出身の人がいて、ひ、とへ、の区別があやふやで、カナタイプで打つ伝票に平塚をヒラツカ、か、ヘラツカか悩んだ挙句、ヘラツカと入力してしまうのだった。何度も同じ事をするので、私は密かに彼女の事を「ヘラちゃん」と呼んでいた。
 先週テレビを見ていたら、あるバラエティ番組でお国訛りを標準語に矯正しようと言う試みをしていて、男女一人づつに課題の文章を、パソコンに音声入力をさせていた。標準のアクセントから外れると別の文章が入力される。「恐くない」が「5枠内」、「ひしひし」とが「C、C、C」のようになってしまう。その二人は、アクセント辞典を、書店で見つけて参考にしたり、音楽の先生に発音を楽譜に書いてもらったりと、悪戦苦闘の末、正しい文章を、入力する事が出来た。
 手入力なら、訂正も簡単だが、音声入力となると、私も自信が無い。何度も何度も同じ言葉をアクセントの高低、強弱、を探りながらの作業になって、はた迷惑な事になり兼ねない。
 訛りをキャラクターの一部として活躍しているタレントさんも見かける今日、あまりお国訛りを気にしなくなって来ているようだ。
最近は、地方でも、標準語を話す人が多くなって、その土地特有の言葉を話すのは、お年寄り
ばかリといった感がある。少し寂しく思う。
 今では、停車場に行っても、ファッションも、言葉も、画一化されて、故郷を偲ぶ光景にはお目にかかれないかも。
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