◎◎ 写真をクリックすると amazon.co.jp につながります

 巨石好きならご存じの方も多いだろう。ピーター・ウィアー、オーストラリア時代の秀作「ピクニック at ハンギングロック」(1975)。1900年2月14日、セント・ヴァレンタイン・デイにオーストラリアで実際(?)に起こった女生徒失踪事件の映画化である。
 ピクニックに出かけた名門女子学園の生徒たち数名と女教師が、奇岩が林立する標高約150mの岩山ハンギングロックで忽然と姿を消してしまう。
 アボリジニの聖地で起こったなんとも不思議な神隠しの物語は、教師マクロウが、岩山に向かう馬車の中で語るミステリアスな台詞から始まる。

たった100万年前 かなり新しい噴火だわ マセドン山を囲む岩は
3億5千万年は前のもの 珪土質の溶岩が 深部から押し上がったの
粗面岩が粘性の強い状態で突き出した 急斜面のすりばち山でね
地質学的には新しいの やっと100万年ね

100万年も待っていた 私たちを


 教師の許しを得て、マリオン、ミランダ、アーマ、イディスの女生徒4名がハンギングロックを登っていく。途中で、彼女たちは靴を脱ぎ、ストッキングをも脱ぎ、裸足となって登っていく。やがて山の中腹で4人は睡魔に襲われたかのように眠りにつく。まどろみから覚めるとイディスは「気分が悪い」と訴えるが、このとき、すでにミランダ、アーマ、マリオンの魂はすでに異界をさまよっているかのようで、イディスの言葉に誰も耳をかさない。恐怖にかられたイディスはころがるように山を下りる。イディスの下山と同時に、女教師マクロウは3人を追ってハンギングロックに登っていく。そして彼女たちとマクロウは、ハンギングロックに吸い寄せられるに姿を消してしまう。

 この映画を観ていて、日本の神隠し譚と様子が異なることが気になった。映画の前半で、主人公のマリオン、ミランダは完全に消えてしまう。後半はどうなってしまうのか、思わず余計な心配をしてしまった。
 泉鏡花の『龍潭譚(りゅうたんだん)』、柳田国男の『遠野物語』『山の人生』、仙童寅吉の『仙境異聞』などの、日本の神隠し譚を映画化すると、こうはいかないはずである。日本の神隠しには天狗、狐、山姥など、いわゆる魔物の類が必ず登場するが、ハンギングロックには、このようなオドロオドロしい気配(トカゲがでてくるが)はまったくない。すべてが超常現象、超自然的な出来事として進行していく。
 ハンギングロックから、マリオンとミランダが、下界の生徒たちを眺めつぶやく台詞。

あの人たち いったい何をしているの?
まるでアリよ 目的のない人間がなんて多いのかしら
たぶんあの人たち 自分でもわからない役割をはたしているの

物事はみな 始まり そして終わる 定められた時と場所で ほらっ!

 これは、神の側から発せられた言葉であり、「ハンギングロック」=「神」という構図ができあがっている。日本の場合は「ハンギングロック」=「磐座(いわくら)」となる。「磐座」は神が降りてくる「場所」であり、「神」そのものではない。ゆえに、このようなダイレクトな超常現象は、日本ではあまり起こらないのである。
 100年前に起こったオーストラリアでの神隠し事件は、神への畏怖を啓示しているが、神なき時代、現代の神隠しは=「犯罪」である。これがもっとも戦慄的であり、おぞましい。

 空気、風、匂いまでも彷彿させる極上の映像に見とれつつ、上質のエロス、ミステリーを堪能できる希有の作品である。巨石ファンはくれぐれもお見逃しなく。