||| 神 と 自 然 の 景 観 論 |||



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講談社学術文庫
2006
 「磐座(いわくら)は常に風景の核であり、信仰空間の要であった。それは人々を吸引し、時に厳しく拒む神の座なのである。古代人は、土くさいが汚れのない嗅覚で風景の核をとらえて、そこに神を見た。磐座は本来、人為的な力では動かすことのできない岩であり、石であった。石のもつ不動性、不変性が人々を惹きつけてきたのである。……」(p121〜122より)

 「巨石巡礼」では、「聖性地形」の一つとして「磐座」を取りあげているが、本書のメインとなっている第2章「地形と信仰の形成」では、岬・浜・洞窟・淵・滝・峠・山の結界点・磐座……(以下は目次を参照)など、日本人が魂のやすらぎを感じ、そこに神を見出した特異な景観として、16の「聖性地形」が集録されている。
 さらに第1章では、人々に諸害・畏怖を与える「環境畏怖要因」として、火山、地震、湖口・河口の閉塞と氾濫、暴風にまつわる事例。第3章では、松、杉、椎などが織りなす「聖樹の風景」。第4章は、樹木や水の汚れに対する「民俗モラル」。第5章は天岩屋、高千穂、笠沙岬などにまつわる「神話の風景」。そして最後の第6章では、甲州の山村で展開される「道祖神祭りの風景」を考察。本著掲載写真は180点余(写真も野本氏撮影)に及ぶ。
 これほど大部の著作である。おそらく取材カ所は数百を超えるだろう。そのすべてを自らの足で歩き(野本氏はクルマの免許を持たないので、歩いて調査されている)、地形環境を観察し、ムラの人々の話を聞く。こうした緻密なフィールドワークから生まれた情報量は膨大であり、まさに赤坂憲雄氏が述べるとおり「聖なる景観をめぐる百科全書」といえる。

◎◎◎
 本書のなかで野本氏が提唱する「信仰環境論」とは、「日本人はどんなものに神聖感を感じ、いかなる景観のなかに神を見てきたのだろう」という問いかけからはじまっている。日本人が生成してきた多様な信仰と環境のかかわりについて考察するなかで、「日本人に神を感じさせ、神聖感を抱かせてきた地形要素」を、野本氏は「聖性地形」と表現している。
 「聖性地形」とは、あくまで自然環境に属する気候、気象、地質、地形と動植物をさすもので、神社社殿などの歴史的建造物は一切含まれていない。神は社殿に鎮座しているのではなく、山や森などの自然のなかにいると考えられ、それも特定の箇所に常在するものではないと考えられているためである。

 本書は、この「聖性地形」をめぐる壮大な旅のドキュメントといえるが、自然地形のなかに神や意味を見い出す感性は、都会と田舎など、暮らしている環境や時代によって大きく異なっている。古代人のような鋭敏な感性はもはや現代人には失われているとも思え、一元的ではない。
 「聖性地形」をめぐる野本氏のアプローチは、現地に足を踏み入れ、我が身をもって「聖性地形」 を体感することであるという。
 「聖地・神座となりうる地形を想定するのではなく、日本人が古来、聖域・神々の座として守りつづけてきた地形要素と、それを核とした聖なる場をたずね歩くうち、筆者は帰納的に「聖性地形」を確認できたように思う」 と本書[緒言]に記している。

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 赤坂氏は解説のなかで、「いつの日にか、その旅の軌跡を丹念に辿りなおす者が現れたときに、この人が柳田国男や宮本常一に並び称される旅の民俗学者であったことが、はじめて世に知られることだろう」と記している。  「巨石巡礼」では、せめて「磐座」の部分だけでも、野本氏の旅の軌跡を辿っていきたいと思っている。

◎以下は目次◎◎
緒言 信仰環境論の視角
第1章 環境畏怖要因と信仰の生成
 1 火山と地震
 2 湖口・河口の閉塞と氾濫
 3 暴風・悪霊の防除――鎌の民俗をめぐって
第2章 地形と信仰の生成
 1 岬
 2 浜
 3 洞窟
 4 淵
 5 池
 6 滝
 7 峠
 8 山の結界点
 9 磐座
 10 地獄と賽の河原
 11 川中島
 12 離島――鳩間島へ
 13 神の島――沖ノ島へ
 14 立神・先島・湾口島
 15 温泉
 16 山
第3章 聖樹の風景と伝承
 1 松
 2 杉
 3 椎
 4 栃
 5 タブ
 6 ガジュマルその他
第4章 環境保全の民俗と伝承
 1 樹木保護の民俗と伝承
 2 水の汚れと池主退去伝説
第5章 神話の風景
 1 天岩屋
 2 高千穂
 3 笠沙岬
 4 鵜戸
第6章 道祖神祭りの風景―甲斐の太陽

あとがき
解説 赤坂憲雄

◎◎◎
本書の原本は、1990年11月に白水社より刊行された
『神々の風景 信仰環境論の試み』である。