◎◎ 写真をクリックすると amazon.co.jp につながります


集英社新書
ヴィジュアル版
2009/4
 世界遺産に登録されている熊野(紀伊山地の霊場と参詣道)は、日本でも有数の聖域であり、古来人びとはこの地を訪れてきた。縄文時代から記紀の時代、中世、近世、近代を経て、今もなお多くの人が熊野に足を運んでいる。なぜ人びとはこの地域に惹き付けられるのだろうか。神仏混淆と言われる熊野の深層には、いったい何があるのだろうか。世界各地の聖地を研究してきた宗教人類学者と地元出身の写真家が、さまざまな文献や精力的な現地取材をもとに、熊野の本当の魅力を明らかにする決定版。(カバー袖 内容紹介より)

◎◎◎
 新書版だが全ページカラー。植島氏と木村伊兵衛賞受賞の写真家・鈴木理策氏のコラボによる異色の熊野紀行。
 タイトルに「世界遺産」と付いているが、本書には世界遺産に登録されていない、いわば取っておきともいえる熊野が数多く紹介されている。
 巨岩・岩壁をご神体とする神倉神社、丹倉神社、神内神社、太郎坊権現、岩屋堂や串本の矢倉神社、潮御崎神社。古座川流域の奇岩怪石や滝の拝などなど。従来の熊野ガイド本ではお目にかかれない、知られざるパワースポットが続々に登場する。

 「熊野には名も知られていない聖地が無数に分布している。それらには産土(うぶすな)の神々が宿っているわけなのだが、それらの神々は、「産土神」とか「土着神」とか「地主神」とかいう名称とはうらはらに、けっして一ヶ所に常住することはないのである。聖地と呼ばれる場所をマップにたとえると、神々はそれらを結ぶライン上を大きく移動している。そして、移動する際のメルクマール(目標)となるのが特殊な磐座(いわくら)である。神々はそうした巨石に座を移すと、そこで人々に何事か託宣のようなものを与えて去っていくのだった。……」(はじめに 7頁より)

◎◎◎
 本書の構成は断片的であり、まとまりがなく、学術的な体裁をなしているとは言いがたい。しかし、見方を変えると、まことにもって変幻自在。神々の気配をひたすら追いつづける旅紀行として読めば、はなはだ示唆に富みスリリングな記述にあふれている。
 著名な神社や寺院、旧跡を訪ねて、あたりまえのように「ここが聖地」と認識することはナンセンスである。聖地に足を踏み入れ、自らの直感をたよりに、思索し、問いつづけていくしか、聖地をそこに感じることはできない。

 「神を感じるとは、自分の中に何かが入り込んでくる経験ではないかと思う。自分がマイナスにならないと神の入り込む余地はない。普段のプラスである自分をやめなければならない。そのためには、いつも思うことだが、話をしない。お願いをしない。触る。温度を感じる。気圧を感じる。湿度を感じる。聴く、匂い感じる、風を感じる、感覚を開く、そして、自分の前のものだけを見ることである。そうしないとなにが変化したのかを感じることはできないだろう。」(46頁より)

◎◎◎
 本書を持って熊野に出かければ、「自分はどんなことを感じるのだろう」と試してみたくなる。
 野本寛一の『熊野山海民俗考』に次ぐ熊野本の秀作と思う。

◎◎以下は目次◎◎

はじめに

神仏習合
熊野の深部へ
籠もり(incubation)
神地
石の力
熊野古道
花山院
小栗判官
一遍上人
熊野の託宣
熊野の神はどこから来たのか
神武天皇
海の熊野へ
補陀落渡海
熊野と高野山
熊野と伊勢
神々のパンテオン
社殿構成
串本、古座を歩く
潮御崎神社
「嶽さん」
修験道とはいったい何か?
玉置神社
潜在火山性
祭事
熊野の神はずっと移動し続けたか?
熊野と出雲
熊野の神は大地に眠る
おわりに

『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』
植島啓司[著]/鈴木理策[写真] 集英社新書ヴィジュアル版(2009)