右の巨石のてっぺんが弥山の最高地点。
上下とも弥山山頂の巨石群。
宮島に向かう連絡船から、弥山(みせん)山頂の右手に、昨年(2005年)9月6日に発生した土石流の爪跡が見える。同年5月には、空海が宮島に渡り、弥山での修行の際に焚かれ、1200年後の今日まで途絶えることなく燃え続けるという「消えずの火」がある霊火堂が火災にあい消失した。災難続きの宮島である。
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宮島は南北10km、幅3.5km、周囲30kmの広島湾南西部に浮かぶ島で、最高峰・弥山の標高は、昨年10月に改定されて535mとなった。これは、写真1番上の右にある巨石が山の一部と認定され、5mプラスされたことによる。
「厳島神社」のご神体は海の女神・市杵島姫(いちきしまひめ)命、田心姫(たごりひめ)命、湍津姫(たぎつひめ)命の宗像三姫神である。神社の鎮座は推古朝といわれるが、史書に現れるのは811年(弘仁2)『日本後記』の「伊都岐島(いつきしま)」で、ご神体の市杵島(いちきしま)姫命の訓みが「いつきしま」とも訓めることからこの名がついたとも考えられる。古くから神の島と崇められているため、現在でも島内には墓地がなく、埋葬は対岸の大野町で行われている。
文殊堂横の巨石
左が「くぐり岩」、右は石洞に不動明王を安置した「不動岩」。
今回、登りはロープウエーを利用する。
ロープウエーから眺めただけでも、巨石は山の至るところに点在している。
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獅子岩駅から弥山山頂に向かう。弥山本堂前にある霊火堂は再建工事中。霊火堂のすぐ後ろにも巨大な石がある。文殊堂横の巨石を過ぎ「不動岩」、石のトンネル「くぐり岩」をくぐると、まもなく弥山展望台に到着する。
山頂からの展望で目をみはるのは、駒ヶ林の斜面にところせましと並ぶ花崗岩の巨石群である。中には長さ40〜50mはありそうな巨石も見られる。これら巨石群は、海上からも十分眺めることができるだろう。海の民が、巨石を航海の目印としつつ、目印=磐座とする図式が、厳島を神の島と崇めたはじまりではないだろうか。
「干満岩」。○の部分に小さな穴があいている。
弥山山頂から眺めた駒ヶ林。右端の巨石は長さ40〜50mありそうだ。
巨石がところせましと並ぶ駒ヶ林山頂。
獅子岩駅から弥山展望台まで約30分。展望台でうどんを食べ、しばし休息。
下山は、大聖院コースが山崩れで通行止。大元コースを歩く。
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歩きはじめてほどなく、弥山七不思議のひとつ「干満岩」がある。巨岩の側面にあいた直径10cmほどの穴に水が溜まっている。この水が潮の干満に合わせて増減するという。標高500mの地点にあることを考慮すればたしかに不思議だ。
「舟岩」「疥癬岩」を過ぎ、大日堂を過ぎると、駒ヶ林の巨石群が間近に迫る。テレビアンテナのように突き出た白骨林と、山の斜面を今にも転げ落ちそうな巨石群がつくる奇観。風光明媚な安芸の宮島のイメージとは異なる荒寥とした風景が広がる。
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駒ヶ林から5分ほどで、弘法大師が修行したと伝えられる岩屋大師竜穴に到着する(気をつけていないと行き過ぎてしまう)。弘治元年(1555)、厳島の合戦の際、毛利元就に対する陶晴賢(すえはるかた)の家臣弘中兄弟が自刃をしたといわれるところ。
中は真っ暗で何も見えない。入ってみると中は意外に広い。山岳修行者の窟籠りには格好の石窟。
ここから海に浮かぶ大鳥居まで、ひたすら歩くこと1時間余。巨石は山の斜面の至るところにゴロゴロと転がっている。
山間の巨石群から海辺の壮麗な社殿群を巡り足は棒に。太古から現代まで、はるかな時空を一気に駆け下りた疲労感と重なる。
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2006年3月27日撮影
弘法大師が修行したと伝えられている「岩屋大師竜穴」。
「岩屋大師竜穴」内部(ストロボ使用)。
巨石群は山の麓まで延々とつづく。
【案内板】