日本神話の約3分の1を占める出雲神話は、高天原(たかまがはら)を追放された須佐之男命(すさのおのみこと)が、新羅(しらぎ)を経て、出雲の斐伊(ひい)川の上流部にある鳥髪山(現在の奥出雲町と鳥取県日南町の県境に位置する船通山(1,142m)に比定されている)に降り立つ場面からはじまっている。
『古事記』によれば、そのとき、須佐之男が川を眺めていると、川上から箸が流れ下ってきた。須佐之男は上流に人が住んでいると思い、川を上ってみると、一軒の家があり、そこで老夫婦と一人の娘が泣いていた。名前を聞くと、老夫は足名椎(あしなづち)、老女は手名椎(てなづち)、そして娘は櫛名田比売(くしなだひめ)だという。泣いている訳を尋ねると、以前は8人の娘がいたが、毎年、越(高志、現在の北陸地方)から恐ろしいヤマタノオロチがやってきて、娘を1人ずつ食われてしまい、ついに末娘の櫛名田比売ひとりになってしまった。今年もヤマタノオロチがやってくる時期となり、それで泣いているのです。という。
話を聞いた須佐之男は、天つ神である自分の出自を老夫婦に明かし、櫛名田比売との結婚を条件に、ヤマタノオロチを退治することを申し出た。
みごとヤマタノオロチを退治した須佐之男は、櫛名田比売とともに住む土地を探し、鳥髪山から北東に約15km離れた須賀の地にやってきた。
当地に来て、ここは自分の心がすがすがしくなる土地だといって、「須賀」と命名し、そこに日本で最初の宮殿「須賀の宮」を建てられた。そのとき、美しい雲が立ち昇るのをみて、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を
という歌を詠まれたという。
出雲の地名も、この歌の「出雲」が起源といわれいるが、他にもさまざま説があり、定説とはなっていない。
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須我神社の背後にそびえる八雲山(424m)の中腹に、当社の奥宮とされる「夫婦岩」の巨石が鎮座している。当社から北東に約2km離れたところに八雲山登山口があり、ここから「夫婦岩」まで約400m。途中にある禊ぎ場「神泉坂根水」で手を浄め、杉木立に囲まれたゆるやかな坂道を登っていく。
夫婦岩は大中小の3つの石からなり、それぞれの石の前には注連縄を張った竹が立てられている。須我神社の主祭神である親子3神を神格化したものといわれ、中央の一番大きな石が須佐之男命で高さは5.3m、幅4.5m、厚さ4.3m。向かって左の中くらいの石が妻の櫛名田比売で高さ2.6m、幅2.6m、厚さ1.2m。右側の小さい石が二神の子である清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)で高さ1.6m、幅1.8m、厚さ1.3mである(石の大きさは『出雲の神々ー神話と氏族』上田正昭=編 筑摩書房を参考にした)。
3つの石が寄り添う姿は、夫婦岩というよりも、仲の良い3人家族をかたどった親子岩のように見える。
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須我神社は、須佐之男がヤマタノオロチを退治したのち、稲田比売と暮らした「須賀の宮」とされ、のちに神社になったと伝えられている。
伝承からすると、相当な格式と由緒をもった古社と思われるが、当社の創祀年代は不詳で、『延喜式神名帳』にも記載はなく、『出雲国風土記』に「須我の社」(神祇官に在らず)の記述があるのみで、ヤマタノオロチに関わる伝承が一切記されていない。
当社の由緒には、かつて、この地方には12の村があり、須我神社はこの地方の総氏神として信仰されていたと記されている。『出雲国風土記』の中で、須佐之男の伝承は4カ所あるが、もっとも詳しい伝承地は、須佐神社の鎮座する飯石郡の須佐郷(現在の出雲市佐田町)である。記紀神話や風土記の伝承からみて、この地方の総氏神が須佐之男命であったとは考えにくい。
『出雲国風土記』の大原郡海潮(うしお)郷の条に登場する宇能治比古命(うのじひこのみこと)、あるいは須義禰命(すがねのみこと)のどちらかが、この地方の氏神であり、当社の祭神だったのではないだろうか。
山と神社の関係を考慮すれば、当社の背後に位置する八重山は、祖霊神を祀る神奈備山として崇敬され、古代には夫婦岩を磐座として祭祀が行われていたものと考えられる。
本来の祭神は出雲の地方神であったが、後世にヤマタノオロチ伝説の影響により、須佐之男命と櫛名田比売に付会されたものと推察する。
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最後に、蛇足かもしれぬが記しておく。
漫画『水木しげるの古代出雲』(角川書店)に、水木氏特有のリアルな描写で、まるまる 1 ページを使って夫婦岩が掲載されている。夫婦岩の前で、梅原猛氏と邂逅する虚実とりまぜた設定がおもしろい。
おや? そこにいるのは……
ああ 水木センセイ
あっ 梅原サンじゃないですか
こんな所で 何してるんです?
私も古代出雲ファンなんです
それで色々と調べているんです
なるほど“古代出雲王の流竄(るざん)”ですな
この磐座には スサノオとクシナダヒメと
その御子神が宿るのです
この山頂からは 眼下に宍道湖や意宇(おう)平野
安木の方まで眺めることが出来ます
大山や三瓶山 天気が良ければ
隠岐島まで 一望できるのです
ほほう
ちなみに、絵は写真を元に描かれたものだが、その元の写真は梅原猛の『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』(新潮文庫)に掲載されている写真が使われている。
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2016年4月26日 撮影
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八雲山登山口。ここが奥宮参道入り口となり、 登山向けの杖も用意されている。 標柱には「須佐之男命御岩座夫婦岩まで 約四〇〇M」と記されている。
途中にみそぎ場「神泉坂根水」があり、 そこから夫婦岩まで200m。
「八雲文学碑の径(みち)」とも呼ばれ、 参道の両脇には数多くの歌碑が立ち並んでいる。
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