木下闇の中、古木に寄り添い鎮座する磐長姫の磐座「月水石神社」。

 月と水と石の神社。「がっすいせき」と読むらしい。「超古代史への旅」ホームページに掲載されている地図のお陰で、迷うことなく辿り着くことができた。

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 月水石神社は、小さな社があるだけの物寂しい神社だが、祭神は磐長媛(いはながひめ・古事記では石長比賣)である。私は桜巨木も追っているので、サクラ語源説の木花ノ佐久夜比賣(このはなさくやひめ)に対する磐長媛を余所にできない。記紀の中では大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で、木花ノ佐久夜比賣の姉である。天孫邇邇芸命(ににぎのみこと)が、笠沙の岬で木花ノ佐久夜比賣に求婚したとき、父の大山津見神は姉の磐長媛を副えて奉たが、その姉は醜きによりて親許に帰されてしまう。なんとも不憫な媛である
 しかし、当神社の由来では、磐長媛はイザナギ、イザナミの第四御子であり、この地で病没し、石と化して、筑波山の守護神となる――とあり、これは記紀の伝承とはまったく異なる。
 たんなる社主の勘違いか、あるいはこうした外史が存在するのか?
 記紀での磐長媛のその後の消息は不明である。しかし、ここが彼女の終焉の地であり、石への変身譚を伴うこの伝承は興味深い。
 月は「陰」、水は「命」、石は「永遠」を象徴する。「月水石神社」は磐長媛を祀るにふさわしい神社ではないか。妙に納得させられる。
 ついでにもう一つ、深田久弥の「日本百名山」に筑波の「ツクは月のことで、この地に月の神が鎮座していたために、月の神のいます平野の意でツクハという名が生まれ。初めは付近一帯の地名であったが、それが山の名に移された」とある。
 「月水石神社」の神こそ、筑波を代表する神かも知れない。

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 ここから数分で「飯名神社」に着く。


「月水石神社」の看板から脇道を入ると社が見える。


【謎の案内板】


「飯名神社」の巨石。足下にダルマが転がっている。


中央の立石が男根石といわれるもの。高さは約1m。
 「飯名神社」のご神体は拝殿裏の高さ約4m、幅10mの巨大な磐座である。石の中央に亀裂があることから女石に見立てられ、地元では「飯名弁天」と呼ばれ親しまれている。対して、女石の上に乗る高さ1m、幅30cmの立石(メンヒル)が男石である。
 陰陽石伝承をもつ神社だが、女石と立石では存在感がまるで違う。創建当時、ご神体は巨石だけだったのではないだろうか。

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 創建について「飯名神社由来紀」には、『常陸国風土記』に「其の里の西に飯名の社あり」とあることから、風土記成立の奈良時代の和銅から養老にかけての年間(713〜723年)以前だろうと記されている。ついで、康正2(1456)年には、祭神を宇気母知神(うけもちのかみ)としている。宇気母知神は、保食神とも呼ばれ、穀物・農業の神であり、稲荷神社に多く祭られている神である。その後、万治3(1660)年、弁財天造立、祭神、市杵嶋姫(いちきしまひめ)命とある。弁財天は、神仏習合に際して、市杵嶋姫命と同一とされ、神社の祭神となり、元は水神だったとされる。そういえば、 ご神体のすぐ裏手には、筑波山を源とする細流が流れ込んでいた。
 このように、飯名神社は磐座をご神体とする素朴な信仰から、稲荷の神へと変わり、いつしか女体信仰が強まるなかで「飯名弁天」と呼ばれるようになったのだろう。

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2005年10月23日撮影


飯名神社は別名「臼井の弁天様」と呼ばれている。


飯名神社参道。旧正月の第1巳の日には例祭が行われ、
商売繁盛の神として多くの参拝客を集めるという。


【案内板】