神内神社から北西に約5km。紀宝町大里の「京城跡(みやこのじょうあと)のすぐ近くにある」という。
地域情報サイト「み熊野ねっと」を情報元にこの地を訪ねてみた。町教育委員会が設置した「京城跡」の案内板を見つけるまでは順調だったが、案内板を読んでも肝心かなめの京城跡がどこにあるのか分からない。
農作業をしているお婆さんに尋ねてみた。
斎ケ丘(いつきがおか)神社は知らないが、「京城跡」は、石段の途中にある山道(獣道?)を登ったあたりではないかと教えられるが、お婆さんも行ったことはなく自信はなさそうだ。半信半疑で上がってみるが、薮は濃くなるばかり、数百メートルでこれ以上は進めないと引き返す。
お婆さんも心配だったのだろう、引き返すのを待っていて、名前は分からないが、毎年春に例祭をおこなう神社が近くにあるという。そこに行ってみると、これが正解!!
石積みの階段の先に、彫りの深いモアイ像のような形の巨大な岩壁が見えた。
神内神社の野生味はないが、玉石を敷きつめた聖域は、手入れも良く、気持がいい空間になっている。石垣で囲われた社域には、岩壁の前に小さな祠が3つあるばかり。由来等が記された案内板もない。後日、町役場から送っていただいた資料を転載しておく。
【祭神】
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
神産巣日神(かみむすびのかみ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
【本殿】
神明造(三殿)
【祭日】
三月初牛
【由緒】
創立昭和二十六年二月七日、当社は赤い鳥居をくぐりて荒い急な石段を登ると、いとも壮厳なる大岩石の中腹に太古から鎮座と言い伝えられている。斉ケ丘とは七里四方に一か所という霊地で、昔日の如く祀らば郷内繁栄すと霊夢を見ること度々なれば、熱心な信者たちの総意によって報本反始の大礼を以て祭典を行っている。
(『紀宝町誌』紀宝町誌編纂委員会 より)
太古にはじまる自然信仰の場が、民俗神・産土神となって受け継がれ、昭和26年、戦死者を弔う祖霊神となって再興されたのか。由緒文中の「報本反始」とは、祖先の恩に報いること。
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2011年4月29日 撮影
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玉石が敷き詰められた社域に赤い祠が3つ置かれている。
風情ある石積みの階段。上に見えるのが磐座。
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