社殿はなく磐座がご神体の天龍神社。磐座の前に二の鳥居が起てられている。
【天龍神社】(新宮市南檜杖)
 新宮市街から熊野川に沿って西方に約3km余、国道168号線沿いにある日本土石工業(株) 生コンクリート部 新宮工場の入口から天龍神社一の鳥居が見える。
 鳥居の前にロープが張られている。立入禁止ということか? 周囲に立て札、貼り紙等の注意書きは見られない。
 ロープをまたいで中に入ってみるが、参道は荒れるにまかせたまま。足場は悪く、落石等の危険もあるのだろう。ロープの正体は、荒廃の極に達し、捨て置かれた区域を示すものであった。

 丹倉神社で、そこにいて気持ちがよくなる神社と、悪くなる神社があると記したが、ここは気持ちが悪くなる方の神社だ。まったく人の手が入らず、ゴミの捨てられた荒れ放題の神社は、もはや浄域とはいえない。
 磐座の前に二の鳥居があるが、枝の枯れたか細い木々が密生していて、境内といえるスペースは下生えのなかに埋もれている。これでは神の依りつく余地もない。

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 磐座信仰の霊地が、次代に継承されることなく、現代で失われてしまうことは寂しい。
 大げさかもしれないが、自然のなかに神を感じることで、幾星霜にもわたり続いてきた、森と人間の「共生」関係が壊れてしまったことを意味している。

 縄文期にはじまる日本人の自然観の変貌は言うまでもないが、それでも無社殿祭祀の霊場を大切に守り、謙虚に対座し手を合わせている集落はたくさんある。いちばんの要因は過疎だろう。高齢化と人手不足で里山の手入れができなくなり、山が枯れていく。
 放置された人工林はあまりにも見苦しい。



岩の隙間に収められた祠。
なかに「天龍大神霊」と書かれている。


天龍神社入口の鳥居。車が走る道路が国道168号。


稲荷神社。玉石の敷かれた拝所。
【稲荷神社】(新宮市熊野川町日足)
 天龍神社からおよそ15キロ、国道168号線を熊野川沿いに遡ると、トンネル手前の左手に赤い鳥居が見える。
 こちらも天龍神社と同様、国道沿いの閑散とした場所にあるが、石段を上った先には、無社殿祭祀の形が残された「磐境(いわさか)」を見ることができる。

 磐座信仰にも見えるが、自然石でつくられた祭壇の印象が強い。野本寛一氏の『石の民俗』には「磐境は、岩や石を用いて、神を迎え、祭る神聖な場を標示し、区画する施設的なものである」とある。
 ご神体としての磐座ではなく、山そのものがご神体であり、神の依りつく場所として、人の手によって区画された祭場であろう。

 石段と鳥居は近年につくられたものだろうが、神社の歴史はかなり古いのではないだろうか。石灯籠には享保六年(1721年)の銘がある。

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2011年5月1日 撮影



稲荷神社の石段。


国道168号線、トンネル手前の側道を下りたところに稲荷神社の赤い鳥居が見える。