前不動と中不動。中不動には細長い岩が付属している。


前不動の前にある不動明王拝殿。
 県道197号線から、山の中腹から突き出た威容な岩塊が見えてくる。不動岩(389m)に至るみかん畑のくねくね道でも迷う心配はない。

 不動岩は前不動、中不動、後不動の3つの岩から構成されており、車で前不動の麓まで上がることができる。下から見上げる不動岩の威風堂々、雄々しくそそり立つ様は、まさに圧巻であり、岩の高さは約80m。80mは24階ほどの超高層ビルに匹敵する。
 中不動と後不動には、遊歩道を使って登ることができ、そこからの眺望は絶景である。

 不動岩には、おもしろい伝承が残されている。
 不動岩の西北にある彦岳(355 m)は権現山とも呼ばれ不動岩とは異母兄弟であった。母は実子の不動岩ばかり可愛がっていたが、ある日、母は首引きの力比べをして、勝った方に宝物の3つの玉を授けると言う。2人は首に紐をかけ、力をふりしぼって戦ったところ、彦岳が勝ち、不動岩の首が一ツ目神社の上の丘に飛んでいってしまった、というもの。



中腹の岩が前不動、山頂の岩が後不動。


中不動の頂上から見た前不動の後ろ姿。
 さて、不動岩の首が飛んだ一ツ目神社とは、熊本県内屈指の古社である薄野一目(うすのひとつめ)神社(山鹿市久原)のことで、社記には、蒲生の不動岩と彦岳権現が首引きをしたとき、わが子の首引きを案じていた母神の目に、首引きの大綱の端が当たり、一目を失ったので、その母神を祀ったとある。

 祭神は天目一箇命(あめのまひとつのみこと)であり、採掘の神として祀られている。菊池川流域には古代製鉄遺跡も広く分布し、一ツ目神社の周辺では、昔から良質な砂鉄がとれていたという話もあるという。
 不動岩の名の由来は、平安時代、山伏たちがこの山中にこもり、不動明王を本尊として祀り修行したことに由来するといわれ、現在も不動岩の麓には不動明王の拝殿がある。

 不動明王の炎を背負う像容が、製鉄の火につながることから祀られたとも、考えられるのではないだろうか。

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2011年9月 撮影


不動明王拝殿の中にある真っ赤に塗られた明王像。