拝ヶ石巨石群。左に聳える立石が高さ7mで巨石群中で最大の石。

 河内町(かわちまち)に入って、県道101号線に「拝ヶ石(おがみがいし)」と記された小さな案内板が一つあるのみ。気をつけないと迷ってしまう。

 巨石群は拝ケ石山(447.8m)の山頂付近にあって遊歩道として整備された山道を、およそ15分ほど登っていく。 訪れたのは、午前8時半を過ぎた頃。撮影はピーカン、逆光、木下闇の三重苦となった。
 撮影は午後からとしたいが、今日中に帰らなければならない。今回の取材は、書籍化のために急遽決行したもので、時間の余裕がまったくない。

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 案内板(最下段の写真)には、
「……昭和初期の調査では先史以前の巨石文明の遺跡として新聞に掲載され脚光を浴びましたが、昭和60年の旧河内町の調査により中世の宗教遺跡・修験の道場跡と考えられるようになりました。
 最近、ペトログラフ(古代岩刻文字)の研究家により、この巨石群から古代シュメール系やケルト系の岩に刻まれた古代文字と思われるものや方位計が回転するなどの磁気異常の存在が発見され、この古代ロマンと謎を秘めた『拝ケ石』に新たな注目が集まっています。」とある。

 ペトログラフや古代シュメール系、ケルト系、磁気異常などの、謎めいた言葉が多いが、それらを脇に置いても、十分に見応えのある巨石群である。


拝ヶ石遊歩道。巨石群には正面の階段を上っていく。


祠には不動明王像が祀られている。


祠のかたわらに横たわる大きさ6.5mの巨石。かつては直立していたが、地震で倒れたという古老の伝承がある。
 巨石群は、山頂と山腹の2つのグループに大別される。
 山頂石は6つの石からなるストーンサークルともいわれるが、人為的に配列された巨石記念物と見るには無理があるように思う。山腹の巨石群は、十数個の石が祠を取り囲む形でコの字型に並んでおり、古代祭祀が行われていたことを彷彿させる場所である。

 昭和5年(1930)に考古学者の鳥居龍蔵が、ここで鎌倉・足利時代のかわらけ(素焼きの陶器のこと)を採集している。また、昭和60年の調査では、中世のものと思われる土師器細片2点が出土している。見つかった遺物はわずかこれだけで、中世の宗教遺跡・修験の道場跡という見解が導き出されたとすれば、少々心もとない。

 伝承の一つは、弘法大師が石の上に上がり、三ノ岳(681.3m)を拝んだというもの。南北朝時代の肥後(熊本県)の武将菊池武重が、石の上に上がって一ノ岳(金峰山、665 m)を拝んだというものもある。
 当石の名の初出は、寛永14年(1637)『東門寺村地撫御帳』に記載されている「おかミノ石(拝みの石)」で、当時から、拝ヶ石が磐座としてではなく、遙拝所として祀られていた場所であったという見方が強いようだ。

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2011年9月 撮影


山頂の巨石群にある「亀石」。


【案内板】