岩手県名の由来となった三つの巨石。石の高さは約6mほど。






裏側より眺める。
 由緒ある古刹が集合する名須川地区。その中でも市内最古といわれる東顕寺(とうけんじ)の脇の一郭に三ツ石神社はある。周囲の名刹に比して、少々殺風景ともいえる佇まい。思いなしか、時代に取り残された感を漂わせている。
 境内の奥にそそり立つ三つの巨石が、岩手県名の由来となった「鬼の手形石」。その由来は以下の通り。(岩手県ホームページ【文化情報大事典 > 生活文化 > 地名の由来】を参考)

 三つの大石は、岩手山が噴火したときに飛んできたといわれ、三ツ石様と呼ばれて人々の信仰を集めていた。
 昔この地方に住む羅刹(らせつ)という鬼が、里人や旅人に悪さをするので、里人が三ツ石様に「どうか鬼をこらしめてください」とお願いしたところ、たちまち三ツ石様が羅刹を大石に縛りつけてしまった。羅刹は「もう二度と悪さはしません。二度とこの里にも姿を見せません」と誓ったので、約束の印として、三ツ石に手形を押させて逃がしてやった。岩に手形…… から岩手と呼ぶようになった。


 伝承には、岩手山の噴火により飛来したとある。たしかに、降ってわいたように忽然を姿をあらわす巨石を前に、飛んできたと考えてもおかしくない。しかし、少し周囲を見渡すと、市内の至るところに手形石と同じ花崗岩の巨石を散見できることに気づくだろう。ここから約1km圏の盛岡城跡公園。みごとな石垣は、盛岡産の花崗岩を積み上げたもので、園内の烏帽子岩は高さは6m以上もある。さらに、盛岡地方裁判所前の「石割桜」も、長径7.5m、短径3.7m、高さ1.5m、周囲21mという花崗岩の巨石だ。やはりここは花崗岩丘陵上の自然石が露出したものと考えたい。

◎◎◎
 鬼の手形石には、三ツ石様が田村麻呂に、鬼が蝦夷に転じた伝承もある。三人の蝦夷が降伏し、服属の証に、岩に手形を押したというもので、歴史性・地域性がプラスされたパターンである。

 山形県長井市に、樹齢1200年の「伊佐沢の久保桜」と呼ばれる桜があり、ここに田村麻呂と地元の豪族久保氏の娘お玉との悲恋物語がある。この種の伝承は東北地方全域に流布しており、寺社の建立にまつわる伝説は50例以上もあるという。しかもその分布は、山形、秋田、青森など、田村麻呂が足を踏み入れたとは考えられない地域までに及ぶ。
 東北人にとって、征服者である田村麻呂を賞賛する伝承がこれほど多く残されているのか、不思議でならなかった。

 岩手大学教授・高橋崇氏は、「その理由を田村麻呂の人柄に求め、田村麻呂は恩威並び行ったとし、武力一辺倒ではなく蝦夷に産業・宗教などの面で教化し、恩恵を与えたからである、とする考え方もある。或いは、蝦夷がエゾ = アイヌとなるので、いつしか正確な史実が忘れられ、前述したように信仰と結びついた田村麻呂伝説を、蝦夷の子孫も抵抗なく受け入れるようになったのかも知れない。」(日本「神話・伝説」総覧)と説明しており、高橋克彦氏『火怨』の田村麻呂も、このような「蝦夷の英雄」にふさわしい人物として描かれている。
 また、田村麻呂が京都に清水寺を建立したことから、清水寺や鞍馬の毘沙門天の信仰が、東北地方に広まる過程で、田村麻呂伝説が形成されたとも言われるが、果たしてこれだけの理由なのか。田村麻呂伝説の最大のミステリーである。

◎◎◎
2008年4月26日撮影

手形の痕跡は、写真中央部の苔のあるあたりらしいが、
今となっては明確は場所は分からない。




【案内板】