過疎のためだろうか、境内の手入れはとどこおっており「荒れ神社」になる一歩手前といったところ。
昭和6〜7年頃までは石の上にお堂が建てられていたという。
呼石大明神の大岩。私の実測では、長さ約14m、幅約6m、高さは約2.7mだった。
夜鳴石周辺には、蛇石または唐櫃(からと)石と呼ばれる横割目の入った石があるというが、
鬱蒼とした茂みのなかでは見分けがつかない。
「呼石大明神」が記されたGoogleの地図をプリントして持ってきたが、周囲に目印となるものがないので用を成さない。地元の人に道を尋ね3人目の案内でようやく辿り着けた。
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役場からもらった資料(『いしどりや歴史散歩』菊池邦雄著 平成8年)によると、境内の石は「夜鳴石」といわれ、部落のほぼ中央の丘の北側中段にあって、長さ約13m、幅約7m、高さは約3mとある。「夜鳴石」にまつわる伝承のあらましは──。
今から650年ほど前、無底禅師(黒石町の正法寺開祖)が布教のために奥州へ下り、黒石の地に庵を建てた。庵の近くには沼があり、沼には鎮守の神霊である鎮守姫(お池峰ともいう)が住んでいた。
禅師は、黒石の地を仏法の霊場とするよう祈ったところ、突然沼の土手が破れて水が北上川に流れ出した。そのために鎮守姫は住むところがなくなり、滝田の権現堂山にきて一晩に千の沢をつくって居住の場所につくろうとする。使いの天狗たちを働かせて999沢までつくったところで、夜明けを告げる鶏の鳴き声が聞こえ、鎮守姫は早池峰山の方へ去っていった。
鎮守姫が沢づくりをはじめた際、大石が呼び声を上げた。その声によって山の麓の石まで皆頭を権現堂山に向けたということから、この大石を夜鳴石と称し、これより呼石の地名が起こったといわれている。
要は、鎮守の神であった沼の女神(水の神)が、仏法の教化にやってきた高僧に追立てをくらい、千の沢づくりで抵抗するが、最後の一つのところで、鶏が鳴き夜が明け、仏法に負けて、女神の住みかである早池峰山にひっこんだという話。
大石が上げた呼び声が何を意味するものかは不明だが、鳴き石と称されることから、鎮守姫の悲運をおもんばかっての泣き声と解したい。
腑に落ちないのは、ここに出てくる黒石の地とは、現在の奥州市水沢区の黒石町であり、呼石大明神とは直線距離でもおよそ40キロ、早池峰山とは60キロも離れていること。黒石町正法寺の創建は貞和4年(1348)、無底良韶(りょうしゅう)によるもので、東北地方における曹洞宗の本寺である。近くには蘇民祭(裸祭り)で知られる黒石寺(こくせきじ)がある。すでに仏教の拠点となっていた黒石に、無理に話を継ぎ合わせたように思えるが、いかがなものか。ちなみに、滝田の権現堂山は、呼石大明神から北東2キロの地点にある。標高476m。
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伝承をもう一つ。こちらは柳田國男『遠野物語』の語り部・佐々木喜善(ささききぜん、1886〜1933)が著した『東奥異聞』に記されている。
昔、天から三人の姉妹神が降りてきて、八重畠村の呼石に泊まった。明朝もっとも早く目覚めた者が、北上山地の最高峰・早池峰山(1917m)に飛んでいってその主神になろうと約束して眠りについた。
末娘はずる賢く、眠らずにいて鶏が鳴くといち早く早池峰に飛んでいった。次に目覚めたのは真ん中の娘で、花巻市湯本村の麓山権現に飛んでいきそこの神となった。最後に起きた長女は、妹たちがいないので、妹たちの名を声のかぎりに叫んでみたがを返事はない。姉の叫びは、石に反響して自分に返ってくるだけだった……。
それからその土地を呼石というようになった。
あきらめた姉は村の胡四王山(183m)に飛んでいきその山の神となった。
文中の「八重畠村」は昭和30年(1955)の合併で消滅した八重畑村(やえはたむら)のこと。
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これと同類の伝承が『遠野物語』(第二話)にも見られる。
「大昔に女神あり、三人の娘を伴ひてこの高原に来り、今の来内(らいない)村の伊豆権現の社あるところに宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃(ひそか)にこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛(ろっこうし)と石神とを得たり。」
六角牛は、遠野の東にある六角牛山(1294m)、石神は附馬牛と達曾部(たっそべ)の間にある石上山(1038m)のこと。
脚色が異なるが、あらすじはほぼ同じ。いずれも最後は早池峰山に帰着している。
呼石、麓山権現、胡四王山、六角牛、石神などは、霊山・早池峰山をほめ讃えるための眷属で地であり、早池峰山を遙拝するため特別な場所だったのではないだろうか。
呼石の上にあがれば、そこから秀麗な早池峰山の姿が望めたのではないかと思うが、残念ながら確認していない。
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2013年4月28日 撮影
基壇の上に設けられた社。
神社の祭神は弁財天といわれている。
神社境内。お堂の裏に祠、その後方に呼石がある。