道路脇に立つ鳥居。案内板の上方に達磨石が見える。



 用水に沿った細い道から、道路脇に立つ朱い鳥居と案内板が見えた。目を凝らすとその奥に、祠とダルマ型の巨石が鎮座している。石の大きさは高さは2mほど。いわゆる形状石の類だが、あまりにダルマに似ているので、天然の奇石か、人工の手を加えたものなのか、古色蒼然としていて判別するのはむつかしい。

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 案内板に記された石神社の由来には、「別名奥州の達磨石(女石)」と書かれている。すると男石が付近にあるものと察するが、達磨石の左手傍らに、高さ1mほどの注連縄を巻かれた石があった。これが男石か??(写真右)
 続いて案内板には、明和9年(1772)に仙台藩編纂の地誌『封内風土記』と江戸後期の国学者・保田光則の『新撰陸奥風土記』に、石神社にかかわる記載があること。
 さらに『前谷地旧記』に、寛延3年(1750)に村の瓜を買っていった二人の山伏を神様であるとして石神社を祭ったとする伝承が記されているが、神社の創建年および達磨石の謂れは記されていない。

 石神社の祭神は豊石窓神(とよいわまどのかみ)と櫛石窓神(くしいわまどのかみ)。この二神は、共に天石戸別神(あめのいわとわけのかみ)の別名で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に随伴して日向(ひゅうが)の国の高千穂に降臨した天孫族に属する神である。
 天の「いわと」は、天の岩戸神話に基づく石屋戸のこと。異界への出入り口を意味し、他界から侵入しようとする悪鬼、邪霊を断つ「門の神」の役を担う。天手力男命(あめのたぢからおのみこと)とともに石とのかかわりが深く、柳田國男の『石神問答』にも「石神を豊櫛二神なりと云ふこと往々聞く所なり」とある。

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 ダルマといえば「七転び八起き」。起上がり小法師のダルマが世に広まったのは江戸時代中期以降のことといわれる。石神社の「達磨石」に人工の手を加えたと仮定するなら、おのずとその時期も、縁起物のダルマの形状が広まった中期以降となり、瓜を買っていった山伏の伝承、約260年前の寛延3年と符合する。
 「達磨石」が天然の奇石であっても、その信仰がダルマにあやかることから生まれたなら同様であり、石信仰としてはさほど古いものではないだろう。

 手足のないダルマの形状は、禅宗の始祖・達磨大師が壁に向かって9年間にわたる座禅修行をおこない、これによって手足が腐ってしまったという伝承による。伝承はきびしく壮絶なものだが、タマゴ型に似たその形状は、どこかほのぼのとして、心を和ませるものがある。
 祈願対象としての歴史は浅くても、ダルマの形状には大地からわきあがる力を感じる。一見の価値ある奇石であることにまちがいない。

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2013年4月26日 撮影


達磨石の脇にある注連縄を巻かれた石。
これもご神体のひとつだろう。


明治41年、石神社の北約1kmの地点にある
龍口(たつのくち)神社に合祀されるが、
祭神も異なることから、
旧来通りの独立した神社として崇拝されている。

達磨石を背面から見る。


【案内板】