▲同伴者に足をもちあげてもらい、やっと上に登ることができた。
 橿原市南妙法寺町。貝吹山の東峰、岩船山の頂上付近(標高約130m)に、飛鳥地方で最大の巨大石造物がある。
 急な上り坂を5分ほど登る。交通の便が悪いため訪れる人は少ないのだろう巨石の周囲は篠竹が生いしげっている。東西の長さ11m、南北8m、高さ(北側面)4.7mの台形で、頂部分の2カ所に方形の孔がくり抜かれている。
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 巨石の所在は江戸時代から知られており『大和名所圖會』(下図)にも、少し誇張されたスケールで描かれている。圖會と比べてみると、岩船周囲の景色がだいぶちがっている。圖會では台形の形がきれいに描かれているが、現在の巨石は山の斜面に沿って西南側が半分くらい土に埋もれている。
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 石の種類は花崗岩(石英閃緑岩)で、重量は考古学者 森浩一の推定で約800トン。松本清張『火の路』では、斉藤国治博士(元東京天文台長)のメモから引用されて「岩船の体積―317立方メートル。総重量―840トン(花崗岩の密度を2.65として)」とある。昨年出版された『飛鳥発掘物語』河上邦彦著(産経新聞社・2004.10)では推定160トンと記されている。なんと5分の1の軽さになってしまう。何かのまちがいだろうか?
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▲奥の孔に比べ、手前の孔の水が少なくなっている。
石にひびが入っているためで、加工途中にひびが発見され、
横穴式石槨造りは中止され、未完成のまま放置された。
というのが河上邦彦氏の説。

▲『大和名所圖會』6巻, 5
 これだけの巨石をどうやって運んできたのか。これも先達たちを悩ませた大きな謎の一つだ。『石の考古学』奥田 尚著(学生社・2002.10)では、「移動説には疑問がある」としている。一つには800トンもある石を引き上げることができたのかということ。昭和53年、藤井寺市三ッ塚古墳の周濠から巨大な木製の修羅(ソリ)が発見された。これを復元して石を運ぶ実験が行われたが、結果、この修羅で運べる重さは50トンぐらいで、一人が出せる牽引力は40kgほどであったという。このデータをもとに単純計算すると、60トンを運ぶのに1,500人、100トンで2,500人、800トンであれば2万人となる。さらに、この重量に耐える材木があるのかということ。
 二つ目は、現地で石材が加工されていること。なぜ、重い重量のまま運んで、後に加工するのか、石棺材でも必要な寸法の部分だけを切り出し、現地の古墳内では調整加工ぐらいしかしない。石棺などの運搬では考えられないという。
 また、益田岩船の登り口付近に、明治から大正時代にかけての石切場跡があった。このことは岩が露出していないが、地表下には露岩があることを示している。これらのことから、石材は現地に露出していた石を加工したもので、移動した石ではないとしている。
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2004年4月6日撮影

▲東側(左)と北側(右)側面は、不規則な格子状の刻み目がついていて、加工途中であることがわかる。


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