【中国残留邦人・写真集−(現地・引揚・肉親捜し・定着)】
在外邦人引揚の記録−この祖国への切なる慕情 撮影-飯山達雄(満州)、三宅一美(朝鮮)、
毎日写真部 毎日新聞 S45 208 (庵)
小さな引揚者ー[S21・7、引揚船で逆にコロ島→奉天潜入。 当時の現地の悲惨な実情を伝える]
飯山達雄 草土文化 85 104 (庵)
敗戦・引揚の慟哭[写真集-遥かなる大陸<第三集>] 飯山達雄 国書刊行会 S54
[浜口タカシ]
37年目の再会(中国残留孤児の記録) 朝日新聞 82 127 (庵)
[第2次訪日調査団・成田、肉親対面、別離。調査資料、孤児の訴え、インタビュー、当時の証言]
再会への道 [第3次訪日調査団] 朝日新聞 83 104 (庵)
二つの祖国 [第 4、5、6次 訪日調査団] 神奈川新聞 84 128 (庵)
祖国よ母よ [第 7、8、9次 訪日調査団。 中国東北部を訪ねて。養父母来日] 神奈川新聞 86 136 (庵)
私は日本人 [第10、11、12次 訪日調査団。現地ルポ。養父母来日] 神奈川新聞 86 136 (庵)
ドキュメント日本(激動の日々35年)二つの祖国 写真展 87
私の祖国 戦後50年・中国残留孤児の記録 [付、1次~26次名簿・写真、付判明・未判明、帰国、死亡]
中国残留孤児援護基金 朝日新聞 95 256 (庵)
[関連] 残留孤児を撮り続け5年ー(毎日-86・12・13)。 [編集手帳]-(読売-86・12・17)
祖国に生きるー[中国残留孤児帰国者自立生活の記録、1次~29次名簿・付判明・未判明、帰国] 浜口タカシ
中国残留孤児援護基金 98 253 (庵)
[関連] 肉親捜しの記録、自立への足跡写真集にー厳しい道のり浮く彫り(神奈川新聞-98・11・24)
報道写真家の目−ドキュメント戦後日本の[歴史の瞬間] 日本カメラ社 99 175 (庵)
シャオハイの満州 江成常夫 集英社 84 350 (庵)
[訪中6回、200人以上の孤児と面会。標題を<シャオハイ(子供)の満洲>としたのも弱者に皺寄せされた
歴史の不条理を、その言葉に託したかった]
[関連] 江成常夫 第4回 『土門拳賞』 日本人が戦後忘れてきてしまった存在を追う執拗なジャーナリストの目
毎日グラフ 85,3,24 (庵)
土門拳賞を受賞して 「個人にとっての国家と、人間への問いかけを」 (毎日-85・3・13)
[関連] 写真集 まぼろしの国・満洲 江成常夫 新潮社 95 155 (庵)
残された日本人 新井利男 径書房 86 239 (庵)
[孤児からの手紙(200通余)。自己証明(傷、アザをカメラにさらし)。残留婦人。捨てられた民。中国の旅。懐念-祖国]
[関連] 「読書」 (朝日-86・3・3)。 残留孤児カメラで追う (毎日-86・3・6)。 残留孤児写真展 (毎日-87・11・14)
私は誰ですか [81/3〜90/3 訪日調査・身元未判明孤児肖像写真] 新正 卓 刊行委員会 90 1235(庵)
[関連]
残留孤児写真刊行にカベ 遠藤満雄ー「記者の目」 毎日−85・5・10。
身元未判明孤児肖像写真完成 「雑記帳」 毎日−85・7・26
写真家の善意通じず 厚生省、さんざん待たしてネガだけ貸して 遠藤満雄ー「記者の目」 毎日−87・7・11
厚生省の感覚を疑う 「記者の目」 を読んで 毎日−87・7・29。
「ひと」ー(朝日-90・5・30)
父母の国よ「中国残留孤児たちはいま」ー国賠訴訟に立ちあがる 鈴木賢士 大月書店 05 159(庵)
孤児問題は戦後60年、未だに未解決。帰国孤児の8割が訴訟提起。
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