「JA島根中央家畜市場」北西側の道路脇に入り口がある。


女夫岩の下に2段の石垣の築かれており、その下は平坦地になっている。
山のすぐ下を山陰自動車道が走っており、車の騒音が絶えることがない。


2つの岩が寄り添うように並ぶ姿から「女夫岩さん」、風土記の伝承から「宍岩さん」とも呼ばれている。


2つに割れた女夫岩の上部。
 猪石のある石宮神社(松江市宍道町白石(はくいし))から西に約3km。山陰自動車道「宍道IC」の東にある女夫岩トンネル(平成13年(2001)3月開通)の真上に「宍道の女夫岩遺跡」がある。

 かつてこの遺跡は、自動車道の開発に伴い破壊の危機に曝されていた。平成6年(1994)、標高50mの丘陵地斜面にある女夫岩が、高速道路の建設予定地内にあることが分かった。当初の施工計画では、丘陵を切り崩して道路を通すオープンカット工法が予定されており、この計画が実行されれば、女夫岩は跡形もなく消えてしまうことになる。

 平成8年(1996)、県教育委員会と宍道町(現松江市)教育委員会は、日本道路公団に対し遺跡保存の要望書を提出する。地元住民による署名活動も行われ、保存運動はマスコミにも取り上げられた。しかし、用地買収も終えた建設予定地の場合、国指定級の重要遺跡でなければ保存は難しいとされている。明確な遺構遺物を伴わない磐座や神籬(ひもろぎ)では、文化財として認められない傾向にあるという。

 県教育委員会と町教育委員会は、女夫岩が歴史的、祭祀的価値のある遺跡であることを証明するための発掘調査を実施する。
 平成8年7月に行われた発掘調査の結果、女夫岩周辺から古墳時代中期から後期(3〜5世紀)の土師器(はじき)高坏(たかつき)、須恵器(すえき)無頸壺(むけいつぼ)が出土した。
 この調査により、女夫岩遺跡は古墳時代の巨石信仰にかかわる祭祀遺構と認められ、さらに『出雲国風土記』記載の「猪石」の可能性が高いとして、平成9年3月に県の指定文化財に指定される。

 これを受けて日本道路公団は、「遺跡は国指定史跡と比べても遜色ない」として、地元の要望を受け入れ、遺跡上の139m区間をトンネル工法に変更し、遺跡とその周辺を現状保存することを決定した。

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 女夫岩遺跡の入り口は、JA島根中央家畜市場の北西側の道路脇にある。山道は整備されていて登りやすい。
 山の斜面に鎮座している女夫岩は2つの巨石からなり、間に木を挟んで、北側の岩が長さ9m、幅2.5m、高さ4m以上、南側の岩が長さ6m、幅3m、高さ4.5m以上あるという。もとは一つの岩であったが、割れて徐々に隙間が開いていったものと思われる。

 巨石の直下には2段になった石積み遺構があり、その下には約200平方mの平坦地が広がっている。石積み遺構や平坦地は、女夫岩にまつわる祭祀遺構の一部と考えられるが、つくられた時期や使途の詳細は明らかになっていない。
 平成8年の発掘調査では、古墳時代中期〜後期の須恵器・土師器および近世近代の土器小片など約150点の遺物が出土している。これらの遺物からみて、古代から近代までの長きにわたって、巨石が何らかの祭祀対象になっていたと考えて間違いないだろう。

 石宮神社でも触れたが、『出雲国風土記』の意宇郡(おうぐん)宍道郷条に、大国主命が狩りのときに、犬を使って猪を追わせたところ、犬と猪が石に姿を変えたという記載がある。この伝承が宍道の地名起源譚とされ、犬石については、石宮神社のご神体がそれにあたるとされているが、「南の山に二つある」と記された「猪石」については、石宮神社と女夫岩の間で論争があり、現在に至っても比定の決着はついていない。

 『古代出雲の旅』(中公新書)の著者関和彦氏は、女夫岩を猪石、石宮神社を犬石とする2箇所説をとられている。その論拠として、石宮神社の猪石は平野部にあり、「南の山に二つある」と記された『風土記』の記載と合致しないこと。また、古代において神聖な動物は白色とされていたとし、「女夫岩の二つの猪石は青みがかった白色であり、地名が表すように「白石」「白猪石(はくいし)」だった」とする地名起源説を挙げられている。これに対し、『風土記』に記されている石の大きさと、女夫岩の実測値が異なることから、2箇所説を否定する考えがあることも「石宮神社」で述べたとおりである。

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 この日、午後3時過ぎに女夫岩を訪れたが、ちょうど西日が照りつけて、木の陰と石のコントラストが強すぎ、撮影には不向きの条件だった。快晴であり、太陽が雲に隠れることも望めそうにない。仕方なく、およそ2時間ほど周囲をさまよい時間を潰していたが、その間当地を訪れる人は一人もいなかった。出雲屈指の磐座と言えるが、まだまだ知る人は少ないのだろう。もったいないことである。

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2016年4月26日 撮影

女夫岩までこの階段を登っていく。


女夫岩のある丘陵地は、近在する大森神社(宍道町佐々布)
の所有地で、お札箱は大森神社の管理となっている。


案内板。