鬼の雪隠。手前の抉られた面が底石の上にのる。


鬼の俎。表面にある小穴は、高取城築城に転用するために石を割ろうとした跡とされている。
 飛鳥にある謎の石造物のなかで、唯一用途が明らかにされている石造物である。
 鬼の俎(まないた)は欽明陵古墳から東へのびる遊歩道北側の高台に、鬼の雪隠(せっちん)は遊歩道反対側の畑の中にある。

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 用途は、横口式石槨の石室(雪隠)と底石(俎)で、欽明天皇の陪塚として7世紀ごろ作られたと推測されている。石室(雪隠)の内法幅は1.53m、高さ1.3m。底石(俎)は長さ4.47m、幅2.65m、厚さ約1m。 扉石は失われている。
 石は、亀石や石舞台古墳、酒船石、亀形石造物などと同じ花崗岩で、古墳を覆っていた封土が流れ去り、石舞台古墳のように石室が露出してしまったのだろう。その石材を他の目的に転用しようとしたが、あまりの重さに運ぶことができず放置されたと考えられる。

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 案内板に、大化2年(646)に出された薄葬(はくそう)令の規定に準じて造られた古墳とある。
 薄葬令とは、埋葬施設や喪葬儀礼を縮小簡素化するために、冠位によって墳墓の規模、役夫の人数、造営の日数、葬具などを規定した詔のこと。当時の冠位は、我が国最初に定められた冠位十二階であり、徳・仁・礼・信・義・智の各冠を大小に分け十二階として大王(この時代、まだ天皇という称号は使われていない)より与えられた。
 「長九尺、幅五尺」の大きさは最高位である徳の位階となる。

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2004年4月6日撮影

鬼の雪隠。あたりはのどかな田園が広がる。
【案内板】