▲石材は花崗岩。東西の長さ5.5m、南北約2.3m、厚さ約1m。西側に約5.5度傾いた形で置かれている。


▲手前に石割りの工具跡が見える。左右両端は石が欠きとられ高取城の城郭に利用されたといわれている。
 松本清張の小説『火の路』は、酒船石(さかふねいし)の前で、若き古代史の研究者 高須通子とカメラマン 坂根要助、福原副編集長が出会うシーンから始まる。冒頭の巧みな展開に引きこまれ、一気に読んでしまった懐かしい2冊(上、下)である。すでに30年前の話だが。

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 この得体のしれない石造物。なんのために造られたのか。いまだ定説はないが、おおむね円形の凹所に液体を溜め、細い溝に流すというところは諸説一致しているようだ。問題は何を流したのか。
 酒の醸造に使用されたという説から酒船石と呼ばれているが、他に油を搾ったとする説、ゾロアスター教の薬酒(ハオマ)を作ったとする説、辰砂(水銀朱)を製造したとする説、犠牲の血を流す台とする説、水占(みなうら)を行ったとする説、曲水の宴の遺構とする説。などがある


▲『火の路』(下)松本清張/文藝春秋 より転載。

【案内板】

▲飛鳥産の花崗岩を巧みに成形しつくられた亀形石造物。亀(またはスッポン)の甲羅の部分は円形にくり抜かれ、
全長約2.4m、幅約2mで。顔の鼻にあたる部分に2つ、尻尾部分に1つの穴があり、
水は鼻から水槽部分に入り、尻尾から南北溝に流れる仕組みとなっている。


▲小判形石造物は水を溜めるだ円形の水槽で、長さは約93cm、幅約60cm、深さ約20cm。石は同じく飛鳥産の花崗岩。
 水槽底より8cm高い位置に穴が開けられ、突起を通って水は亀形石造物の鼻に入る。

 平成4年、酒船石の北をわずかに下ったところで、狂心の渠(たぶれこころのみぞ)と思われる水路跡が発見された。ついで、平成12年には酒船石から北西100m足らずのところで、導水構造をもつ亀形と小判形の石造物を中心とする遺構が見つかった。
 飛鳥周辺の石造物は、ほとんどが斉明天皇(594?〜661)に関係するといわれるが、酒船石遺跡がこれらの謎をとく、もっとも重要な遺構と考えられる。

 狂心の渠は、『日本書紀』斉明2年の条に次のように記されている。
 ……天皇は工事を好まれ、水工に命じて香具山の西から石上山まで水路を掘らせ、舟200隻に石上山の石を積み、流れに沿ってそれを引き、宮の東の山に石を重ねて垣とされた。当時の人はこれを非難して、「この狂心の渠の工事に費やされる人夫は三万余、垣を造る工事に費やされる人夫は七万余だ……」

 斉明とは、いかなる天皇だったのか。
 諱(いみな)を宝(たから)皇女といい、はじめ、用明天皇の孫高向(たかむく)王に嫁ぎ、漢(あや)皇子をもうける。その後、舒明天皇に再嫁し、のちの天智天皇、間人(はしひと)皇子、天武天皇を生んでいる。舒明天皇崩御にともない、642年即位して皇極天皇(推古天皇につぐ2人目の女帝)となる。645年、皇位を孝徳天皇に譲るが、654年、孝徳天皇が崩御すると、翌年重祚(ちょうそ)して斉明天皇となった。

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 皇極朝には天地異変がつづく。皇極元年の夏、あまりに日照りが続くので、まず村々の祝部(ほふりべ・神をまつる人)の教えるままに、牛馬を殺して(当時、このような儀式が実際に行われていたのなら、酒船石の犠牲の血を流す台とする説もうなづけるが、この時代、土馬(どば)という土製の馬が、水にかかわるところで見つかっており、水神信仰の祭祀具と考えられている)、諸社の神をまつるが、一向に効果がない。つぎに蘇我蝦夷(えみし)が仏の力にすがり、百済大寺に多数の僧侶を招いて大雲教を読ませると、わずかに「微雨(こさめ)がふる。最後に天皇が登場し、飛鳥川の上流の南淵の川上に幸(いでま)し、跪いて四方を拝し、天を仰いで雨を祈ると、たちまち大雨雷となり、5日連続の雨がふった、というのである。天下の百姓は皆口々に「至徳(いきほい)まします天皇なり」と讃えたという。
 まるで、シャーマン卑弥呼を彷彿させる光景である。四方を拝し天を仰ぐというまつりかたに注目する。福永光司著『道教と古代日本』によると、四方拝とは「天皇が、北斗七星などを拝んで息災長寿の呪文を唱える道教の儀式」とある。

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 斉明2年(656)には、飛鳥の東にそびえる多武峰(たむのみね)のいただきに垣をめぐらし、2本の槻の木のわきに観(たかどの)を建て、両槻宮(ふたつきのみや)と号した。道教の寺院を観というから、両槻宮も道教思想によって建てられたと考えられる。
 酒船石遺構は、この両槻宮に付属する苑池庭園、または天皇の祭祀場だろうと考えられている。道教思想の潮流は、のちの天智・天武・持統天皇たちにも通底していくが、やはり斉明天皇こそ古代史最後のシャーマンだったと思われる。

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2004年4月6日撮影


▲水は、亀のしっぽ部の穴から抜け、
12m四方の石敷きテラスのほぼ中央を北に流れる。
亀の顔の延長は酒船石につながっているが、
関連性については今後の調査がまたれるところ。

【案内板】