高さ90mにおよぶ「蓬莱岩」。海からの眺めはまさに奇岩怪石の森である。
異形な姿だけでなく、その大きさにも圧倒される「天竜岩」。
高さ30mの「帆掛岩」。
地上に突き出た「如来の首」。
このあたりに「蓮華岩」が点在している。
蓮の形をした「蓮華岩」。
右の先端のとがった石が「一ツ仏」。海辺の散策もこの辺りが限界となる。
「一ツ仏」。まるで円空仏のようだ。
恐山に仏ヶ浦、どちらも一度聞いたら忘れられない名前である。この名をはじめて耳にしたのは、内田吐夢監督の映画「飢餓海峡」(1965・東映)だった。水上勉の原作も読み、以来一度は訪ねてみたいと思っていた。
「飢餓海峡」では、主演の三國連太郎が青函連絡船転覆事故の騒ぎに紛れ、津軽海峡を小舟でわたり仏ヶ浦にたどりつく。やはりここは海上から眺めてみたい。と、牛滝港から出ている「夢の海中号」(船底が海の中が見えるグラスボートになっている)に乗り、奇岩の森へと向かった。
連絡船(遊覧船)の運行は5月上旬から11月上旬までである。下北半島の西海岸に位置する仏ヶ浦は、秋から冬にかけて、しばしば猛烈な西風をモロに受け、荒波となる。船を岸まで漕ぎ着けても、大波で崖にたたきつけられるという。近年、国道338号から海岸に降りる遊歩道が整備されたが、
「願掛岩」
でも記したように、冬場にはこの国道は通行止めになるためシーズン以外の観光は難しい。
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仏ヶ浦は、福浦地区と牛滝地区の間約2kmにわたって続く岩石海岸で、波打ちぎわと断崖の間に、海底火山活動から生まれた白っぽい緑色凝灰岩が、長年の風雪や海流の浸食を受けて、大小さまざまな奇岩怪石をつくり出している。白色の奇岩が神仏のように屹立するさまは、背後の夏緑林と相まって、崇高かつ幻想的な、まさに極楽浄土をイメージさせる独特な景観を呈している。
岩には「五百羅漢」「如来の首」「一ツ仏」「親子岩」「十三仏」「観音岩」「天竜岩」「蓮華岩」「極楽浜」など、それぞれの形に応じた名称が付けられている。昭和16年(1941)に国の名勝および天然記念物に指定され、平成元年に日本の秘境100選。平成19年には日本の地質百選に選定されている。
寛政5年(1793)春、菅江真澄も「願掛岩」を訪ねた折、仏ヶ浦を眺め「仏がうだ(仏ヶ浦)という磯部の石群は、竹の子がならび生えたようなさまで、あたかも大工がけずり出したように、これらの岩が仏に似ていた。……」(奥の浦うら)と表現している。
大正11年(1922)夏、文人で紀行家としても知られる大町桂月(1869〜1925)もこの浜を訪ね「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり」との和歌を残し、のちにその歌碑が極楽浜に建てられている。仏ヶ浦が広く世に知られるようになったのは桂月の功績によるものという。
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仏ヶ浦は、古くは仏宇多、仏宇陀(ほとけうた、ほとけうだ)と呼ばれ、これは「仏のいる浜」を意味するアイヌ語だという。
また、恐山の「奥の院」ともいわれ、恐山参拝の帰りに、この海岸まで巡拝したという。恐山では、宇曽利湖を大海と見立て、海で亡くなった仏の冥福を祈る供養が行われている。恐山の真西に位置する仏ヶ浦は、浄土の方向にあり、この世で亡くなった者の魂は、この場所を通って天に旅立つと信じられていたのである。
仏ヶ浦には、海から流れ着いたと伝えられる地蔵菩薩が祀られており、例年7月恐山の大祭にあわせて、海の安全と豊漁、先祖供養を祈願する「仏ヶ浦まつり」が行われている。
宮本袈裟雄・高松敬吉著の『山の信仰 恐山』には、恐山から仏ヶ浦を巡るルートとして、「恐山の地蔵堂の近くの道を川内口に下って行き、長泥の地蔵堂を経由して、畑集落を山越えし、牛滝集落に出る。」とあるが、県別マップル(昭文社)を見ても、どの道を通ったのかわからない。さぞかし道なき道を進む苛酷な巡拝だったと思われる。
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2014年5月5日 撮影
国道338号線沿いにある「仏ヶ浦展望台」からの遠望。
極楽浜に祀られる地蔵様。
「夢の海中号」(牛滝港)。仏ヶ浦まで約15分。
営業期間:5月1日〜10月31日。料金:往復1,000円。
「夢の海中号」で牛滝港に帰る。