右が北上川、見渡す限りの枯野が広がる。釣石神社の高台から追波集落跡を見る。

落ちそうで落ちない釣石。




上の注連縄を巻いた石が男石。下の絵馬が巻かれた石が女石。
 東日本大震災から1年余りが過ぎたが、未だ津波被害の爪痕は生々しく一面に枯野が広がっている。北上川の河口域にある追波地区も76戸のうち73戸が流され、神社の社務所や鳥居も倒壊した。川向こうにある石巻市立大川小学校では児童74人と教職員10人が死亡・行方不明になっている。
 見渡す限りの寥々たる風景のなかで、人の気配が感じられるのは、唯一神社の仮社務所のみである。釣石神社の立て看板が、唯一掲げられた地域復興への旗印に見える。

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 釣石神社の巨石は、昭和53年(1978)の宮城県沖地震(マグニチュード7.4)にも耐えたことから「落ちそうで落ちない石」として、近年、合格祈願の名所として知られるようになった。
 崖から突き出て、今にも落ちてきそうな周囲約14mの巨石が「釣石」と呼ばれるご神体で、これを「男石」。その下方に横たわる8m×4.5mの舟形石を「女石」と見立て、陰陽神のご神体としても崇拝されている。

 地元では、東日本大震災でも「落ちなかった石」を復興のシンボルとして、多くの参拝客が訪れる観光の目玉にしたいと願っている。人が集まってこそ実現できる再起である。石が落ちなかったことを喜ぶべきことと思うが、しかし、巨石巡礼者からすれば、石に向かって合格祈願する姿には、やはり違和感がある。いらぬお世話と思いつつ、私なりのアプローチの仕方を考えてみた。

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 巨石・磐座信仰は、もっとも原初的な信仰形態を今日に伝える神社の型のひとつである。哲学者の湯浅泰雄は『神々の誕生─日本神話の思想史的研究』(1972、以文社)の中で、古代人の信仰形態の発展過程を2つの型に類型している。
 第1の型は、奈良の大神(おおみわ)神社を代表例として「三輪型」と称し、神社といっても社殿はなく、三輪山全体がご神体とされ、山上に磐座をもつ「自然発生型」の神社である。
 第2の型は、「勧請(かんじょう)型」といわれるもので、勧請は特定の神を招いて祀ることをいう。歴史時代以降、個人意識が顕在化し、個人祈願や現世利益の願望が強くなってくると、氏族の祖先神ないし守護神として、新しい土地に神を「勧請」し、神社が創建される。奈良の春日大社を代表例として「春日型」と呼ばれ、いわば「人間がつくった聖地」であり、伊勢神宮もこれに入る。

 釣石神社で直接巨石を拝する場合は、磐座信仰をあらわす「三輪型」に属する。磐座とは、神の御座所、依りつく石であり、石のもつ不動性、不変性から、そこが聖域であることを示すメルクマールとなる。
 神域に入り、目には見えない神を感じるには、こころを「空(うつ)」にして、全感覚をもって空気、大地、風、水の気配を感じるように努めることである。ここで感じられる神聖感が、自然(=神)とのコミュニケーションであり、先人たちが感じた自然に対する畏怖や畏敬、そして感謝の意味を知ることになる。これは、いわば“プチ瞑想”のようなもので、自己の内省、生命力の再生・復活につながるものである。このとき大切なのは「無心」になること。そして、なにも願わないことである。

 お願いごとは高台の頂にある社殿でおこなう。
 社殿は、第2の「春日型」に属するに形態であり、個人的な神への祈り、現世利益の御祈願信仰が基盤になっている。ここに祀られている神は、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」。天の岩戸神話では祝詞を奏上し、のちに、天孫に従って降臨した五部神の一神である。藤原氏の氏神であることから、出世の神として人気があり、受験・入試にも霊験あらたかとされている。

 古来、日本人がみていた神は自然そのものであった。謙虚な心をもって自然に感じ、自分の足元を見つめ直すことで、自分の居場所、依り所がより鮮明にみえてくる。
 巨石の前で「無心」になり、新たな気持ちなったところで、社殿に上り、神様にお願いをする。「合格できるよう頑張りますから、どうぞお力をおかしください」と。

 東日本大震災の記憶をとどめておくためにも、釣石神社が復興のシンボルとなれるよう祈願したい。

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2012年5月1日 撮影



釣石神社の仮社務所と立て看板。奥に磐座が見える。
 
 
 
 
 
 

釣石神社社殿。祭神は天児屋根命。
学業成就、合格祈願の神さまである。


【案内板】