洞雲寺境内にある最大長(南北)11.6m、周囲(地上1m)34mの花崗岩の大石塊。市指定天然記念物
巨像の姿を連想させる大石。巨体を示すために人を入れたカットも撮影したいと思うが、あたりに人影はない。
裏手(東面)には梯子があり、大石の背中に登ることができる。
この日は長井市の「伊佐沢の久保桜」、白鷹町の「釜の越桜」の撮影を終えて洞雲寺に向かった。洞雲寺は、長井市の東端上伊佐沢の大石地区に位置し、「伊佐沢の久保桜」から8km余、「釜の越桜」から約14kmの距離にある。
市を貫流する最上川を渡り、267号線から山道に入ると、あたりは急に寂しくなり、廃村のような集落を通り過ぎた後は、人っ子一人見えなくなる。現在、大石地区の住民は、2世帯と山形工科アカデミー短期大学を残すのみという。
花崗岩層が走る大石地区には、至る所にくずれた岩塊が散らばっている。洞雲寺の東、数百mのところに「ばくち石」が、北150mのところに「じじ石」「ばば石」と呼ばれる巨石があるが、道は藪におおわれているため容易には近づけない。
こうした巨石群のなかで、洞雲寺本堂の裏山に横たわる大石がもっとも巨大であり、大石という地名もここから生まれた。
巨石の高さは、向かって左側が3.3m、右側6.5m。長さ東西7.5m、南北11.6m。周囲は34mにわたり、巨像というよりクジラを連想させる。この巨体のどこかに、平安時代後期の武将・源義家(八幡太郎)の馬のひずめの跡が残っているといわれる。
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洞雲寺の創立は今から470年前、戦国時代の天文8年と伝えられる。案内板には、天文8年(西暦1593年)3月15日と記されているが、天文年間は1532年から1554年までであり、記載は1539年の間違いだろう。
洞雲寺山門は、市の有形文化財に指定されているりっぱな建造物で、案内板には「この地方としては、ただ一つの楼門である。」と記されている。現在は、寂れた無住の寺となっているが、かつては多くの参詣人がいたことが、山門の偉容さからうかがえる。
過疎化によって忘れられていく、集落の最後の砦のようにも見える。
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2009年4月19日 撮影
大石の北面。高さ3.3m。
市の有形文化財に指定されている洞雲寺の山門。
【案内板】