大きな岩穴のなかに蜂の巣状の穴があいている。このあたりの地層は新第三紀凝灰岩でできている。


巨大な岩穴の入口にある両部鳥居。両部鳥居は、両柱の前後に控柱をつけたもので、
本地垂迹両部権現説による神仏習合の神社に多く見られる。鳥居をくぐり、さらに登ることができる。


岩穴の最上部から鳥居を見下ろす。この背後に小さな祠がある。


岩壁の割れ目から清水が滴り落ち、中複に不動明王が祀られている。


岩穴に「古峰(ふるみね)神社」の石碑が立てられている。
 立石寺(りっしゃくじ、山寺とも称される)の登山口・根本中堂から、東に約1kmほど歩いたところに最上三十三観音第二番札所・千手院がある。ここから境内右手の山道を15分ほど登ると、繁茂した樹林の奥に、蜂の巣のような穴や洞をひそませた巨大な岸壁が眼前にあらわれる。ここが垂水(たるみず)遺跡であり、幽邃な暗さとその神秘的なたたずまいは、いかにも慈覚大師・円仁が修行したと伝わる霊場にふさわしい。
 岩壁中央の大きな洞にはお稲荷様、右手の洞に古峰(こぶはら)神社、左手の岩壁の割れ目には不動尊が祀られている。

 東北屈指の名勝・立石寺には、年間70万人の参拝客が訪れるというが、ここを訪ねる人はその1パーセントにも満たないだろう。奥の院までの800段を超える石段の昇り降りに精根尽き果て、さらに30分も歩きたくないという気持ちはわかる。もったいないとも思うが、聖地の条件としては、あまりに観光化され、俗化されていないことが肝要である。この距離があるからこそ、垂水遺跡の粛然とした霊気が保たれているのだろう。
 立石寺のにぎわいとは打って変わり、人影のない霊域は静謐で、古代の雰囲気を今に伝えているように感じられる。わずか30分歩いたところに、このような特異な風貌をもつ霊域が残されていることに、あらためて驚かされる。

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 千手院の縁起によれば、円仁の立石寺開基(貞観2年(860))に先立つ天長7年(830)。東北巡錫の途上、垂水岩の荘厳な景観に心惹かれた円仁は、この地に天台宗東北の霊場づくりを決意し、岩壁の奥にある洞「円仁宿跡」に籠もり、山寺開基の構想を練ったという。さらに嘉祥2年(849)にも再度訪れて山寺立石寺を整備したとある。山寺には、マタギの首領・磐司磐三郎が円仁に土地を譲ったという伝承も残されており、峰の浦一帯が「もう一つの山寺」「元山寺」と呼ばれる所以である。

 円仁は延暦13年(794)に生まれ、大同3年(808)15歳で比叡山に登り最澄の弟子となった。承和5年(838)に入唐、承和14年(847)に帰国。斉衡1年(854)に第3代天台座主(宗派の最高職)に任ぜられ、貞観6年(864)71歳で没している。
 これを見ると、円仁が山寺を訪れたと思えるのは、唯一、天長7年の東北巡錫だけで、それ以降の嘉祥2年、貞観2年再訪の可能性は低いように思われる。
 とくに貞観2年は、亡くなる4年前の67歳。当時としてはかなりの高齢で、延暦寺座主の高位にあった。史実としては、この時期に朝廷の命令で、東北地方に派遣された円仁の弟子の安慧(あんね)によって開基されたとみるのが穏当と思われる。

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 巨大な岩壁にあいた蜂の巣状の穴は、和歌山県古座川町の牡丹岩や虫喰岩で見たことがある。このときは風雨による侵食によって形成されたものと思っていたが、垂水岩の侵食は、雲形侵食と呼ばれるもので、岩に含まれる硫酸ナトリウムや塩化ナトリウム(食塩)などが、水に溶け出す化学的風化作用により形成されたものであるらしい。
 この雲形浸食は、立石寺境内や立谷川の対岸、芭蕉記念館裏手の丘陵地にあるアイスヒルでも見ることができる。

 神の依り着く磐座は、本来、人為的な力で動かすことのできない岩であり、人の手が加わらない自然の造形そのままの岩でなければならない。
 しかし、仏教の到来により、自然自体に神の気配を見出さんとする日本的自然観に変化が起きる。垂水岩の岩壁にも、かつて千手観音像が線刻されていたという。風化により、現在は見ることができないが、これを元の自然な状態に回帰しと考えれば、仏教徒には申し訳ないが、喜ばしいことである。
 この地には、円仁が訪れた平安初期以前から、すでに信仰の対象となったと思わせる“聖なる場所”のたたずまいがある。
 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」(芭蕉)と詠われた立石寺境内も、かつてはこのような空間だったのだろうが、いまの立石寺には、磨崖仏など人の手による装飾がありすぎる。森閑とした垂水遺跡の空気に触れ、この思いを強くする。

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2014年5月6日 撮影

千手院観音の石鳥居。
鳥居を潜り、仙山線の線路をまたぐと観音堂の境内に出る。
ここが「峯の浦・やまでら天台のみち」の入り口となり、
鳥居の脇に、数台分の駐車スペースがある。


最上三十三観音第二番札所・千手院本堂
本尊は千手観音で、円仁の作と伝えられている。


垂水岩の洞穴最上部にある小祠。



峯の浦の対岸にある「アイスヒル」の洞穴。
胎内くぐりが体験できる。

山寺開基の構想を練られたと伝えられる「円仁宿跡」。


案内板。