「阿夫利神社」と名づけられた巨石群。
 山梨市内の平坦地に、高さ約30m、周長約500mのお椀を伏せたようなかたちの丘陵に山梨岡神社(石森山)はある。
 社伝によれば、日本武尊(ヤマトタケルノミコト )が東征の折ここに立ち寄り、この山に奇岩群と森があったことから石森山と称したとある。この地域には、日本武尊にまつわる伝説や遺跡が多い。武川村の山高神代桜(樹齢2000年ともいわれる我が国最古の桜)にも、東征の帰途ここにとどまり、桜を植えたという伝説がある。さらに韮崎市のわに塚の桜は、日本武尊の皇子、武田王を埋葬した塚といわれている。
 『日本書紀』景行紀によると、日本武尊は雁坂(かりさか)峠を越え、武蔵、上野を経て、碓日(うすい)坂に至ると記されている。平成10年、雁坂トンネルが開通し、甲府と秩父がつながれたが、雁坂みちは日本最古の峠道として、はるか古代より利用されていたことがわかる。

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山梨岡神社拝殿。祭神は熊野大権現と国建大明神を併せ祀る。
創祀年代は未詳だが、神護景雲2年(768)造営以来
しばしば再興されたといわれる。



巨石の上の社は「琴比羅神社」。この下には立石神社と同名の「秋葉神社」もある。


「朝日崔( あさひさい )」と名付けられた2個の丸石。火山性結晶体としての丸石か?

 下の案内図を見るとわかりやすい。まったく平坦な地形に、ぽっかりと大地に突き出た丘。この異様な地形は、周囲の陥落から取り残された地累だといわれる。
 民俗学者 中沢 厚氏は『石にやどるもの--甲斐の石神と石仏』(1988・平凡社)のなかで、石森山の山上に点在する円形石(写真上)の成因ついて、アメリカの学者スターリング博士の説をもとに、次のように記している。「これらは風化や河流による摩滅の結果できたのではなく、火山活動の産物であり、高温に加熱した多量のガスをふくむベース状の火山灰の大量な層の深部でできた結晶だ」とし、丸石の生成が、河の流れによる摩滅だけでなく、火山性結晶体としての丸石もありえると考察している。
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2004年11月7日撮影
「母石」と名づけられた巨石。




【案内板】