神社本殿脇に露出する「びょうぶ岩」とも呼ばれるペグマタイト岩脈。露出面の延長は幅14m、長さ約40mにおよぶ。


8500万年前〜1億2000万年前に固化したといわれる阿武隈花崗岩。


主として石英の結晶の集合体であり、一部に長石も残存する。
 本来、神の降臨する磐座(いわくら)とは、暗(くら)き空間であるはずだが。ここ鹿島大神宮の磐座は、ペグマタイト(pegmatite)岩脈と呼ばれる花崗岩の一種から成り、石自体が神の化身であるかのごとき荘厳さをもって白く輝いている。

 ペグマタイトとは巨晶花崗岩、または珪石(成分は主に石英)とも呼ばれて、大きな結晶からなる火成岩のことをいう。今から8500万年前〜1億2000万年前、マグマが地下で徐々に冷え固まったために結晶が大きく成長したもので、稀元素を含むものなど、珍しい鉱物を産し、石英、長石などの巨晶は光学用レンズ、陶磁器等の原料として、また、珪素を含んでいることから、船舶用の珪素鉄をつくるときの媒介物として戦時中に珍重された。

 ここ西田町から隣の白沢村にかけての阿武隈山地は、日本でも有数のペグマタイトの産地であったが、昭和10年代から30年代にかけて大規模な採掘が行われ、現在では掘り尽くされた状態になった。
 神社境内の磐座は、古来より神社のご神体として崇められてきた経緯と、昭和41年に国の天然記念物に指定されたことで、かろうじて採掘を免れたという。
 岩脈の露出面の延長は幅14m、長さ約40mで地下10mまでにおよび、境内には1万4,000トンもの岩脈があると推定されている。

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 当神社は、天応元(781)年、茨城県鹿島神宮より勧請し、武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祭神としてこの地に鎮座している。現在、鹿島神宮の分社は、茨城県内に約500社、日本全国に約900社あるといわれ、西方に少なく、鹿島より扇状に東北に向かって集中し、福島県は栃木県に次いで分社が多い。
 鹿島神宮は、社殿が北面していることからも伺えるように、8世紀以降の大和朝廷の蝦夷征討の水軍の発信基地であり、東国経略の拠点であった。当神社の歴史から、蝦夷平定に鹿島の神威が伝播していったことがうかがえる。

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2009年4月12日 撮影



鹿島大神宮の境内入口。



磐座の上部から眺める。


早朝の神事。神社本殿。