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天翔ける騎士 序章
Bパート
"the Prelude" B-Part
セレーネ自治政府の独立に呼応して、間を置かずに火星・金星の
自治政府も独立を宣言した。連邦政府の暴政は地球周辺にとどまら
ず、移民が行われた全ての惑星に及んでいる。そして、「スタフォ
ードの黒い7月」で宇宙市民の忍耐も臨界を突破したのだった。
独立宣言に前後して、各地の連邦政府直属の機関を目標にテロが
相次ぎ、情勢は一気に安定を失った。加えて、連邦の管理下で厳し
い制限を与えられ続けてきた宇宙貿易商が、一斉に連邦に対して経
済封鎖を行う動きを見せ、地球連邦政府は政治的にも経済的にも、
そして地理的にも孤立化を余儀なくされた。これに対処するため、
かねてより整備を進めてきた連邦政府宇宙軍宇宙艦隊は発進準備に
入り、地球の衛星軌道に浮かぶ全ての攻撃衛星の目標は地球の外側
に向けて設定された。
「家出息子どもには、腕ずくで対処すべきだ」
当時の連邦政府非常事態担当大臣はそううそぶいた。単純に兵力
で比べれば、セレーネや惑星居住区の軍は連邦の敵ではない。しか
し彼らの背後には70億を越える宇宙居住者と、その人々によって
築かれた、地球を遥かに凌駕する技術力と、そして経済力があった。
実際、兵器の性能で比べるのであればセレーネ側の方が遥かに上位
である。それらの事情を考慮し、事態の穏便な決着を企図するに至
った連邦政府は、9月になって急遽、宇宙居住区の首脳会議を呼び
かけた。遅すぎるものではあったが、彼らも元々は平和裏に解決を
望んでいたので、素直に応じることとなった。
しかし、連邦政府側はいい加減と言うか、やる気がないというか、
そういう態度で自己の極めて独善的かつ利己的な主張を述べたに過
ぎず、宇宙市民への配慮は欠片も見せなかったのである。これに
は宇宙居住区側もさすがに立腹し、当然ながら意見の一致を見るは
ずもなく、即日決裂してしまった。
このとき、セレーネの代表団として会議に出席した者の中に、セ
レーネ自治都市連合最高会議常任議員のロベルト・ウォリンガーと
いう人物がいた。彼は、政治家としては特に有能でもなく、目立っ
た存在ではなかった。今回の会議には人数合わせのために出席させ
られたに過ぎず、無論会議中には発言することもなかった。しかし、
彼はこの会議において、一躍全宇宙の注目を浴びる存在となったの
である。
それは、連邦側の横着な態度に腹を立てたセレーネ代表団が、他
の宇宙居住区代表と計らって退席する間際だった。ロベルト・ウォ
リンガー議員も相当腹に据えかねたものがあったのだろう。彼は次
のような捨て台詞を吐いたのだ。
「重力に魂を縛られた連中に何がわかる!」
この台詞は、同席の宇宙居住区代表団の共感を呼んだに止まらず、
その日のニュース番組で全世界へ放送されるや否や、宇宙市民の支
持を大いに得ることとなった。皮肉なことながら、彼は職務上の業
績ではなくこの一言によって歴史に名を残すことになるのである。
そして、この一言は、地球に住む人々が「重力の操り人形」と蔑称
される所以ともなった。
話し合いでの決着の道を自ら潰したことになった連邦は開戦もや
むなしとし、翌月、若き天才と呼ばれたローレンツ・ケムラー提督
を指揮官に月面侵攻作戦を断行した。だが、ケムラー指揮の艦隊が
地球を離れると、中立の立場を守っていたはずのSSが、突如とし
て連携しつつ艦隊を地球に降下させる動きを見せた。事態の急変を
察知したケムラーが熟考の末に艦隊を反転させたところへ、今度は
背後よりセレーネ艦隊が急進し襲いかかったのである。このSS1
付近において行われた会戦で連邦艦隊は壊滅したが、司令官ローレ
ンツ・ケムラー少将とその旗艦である「イルージア」はセレーネ軍
の必死の捜索にも関わらず消息不明となった。
11月、セレーネ艦隊は、合流したSS・惑星自治政府軍艦隊と
ともに地球への降下を開始した。多少の妨害はあったものの意外な
ほどあっけなく事態は進行していった。12月になると、宇宙居住
区連合軍は連邦政府最高会議ビル、連邦軍統合作戦本部、宇宙艦隊
司令部などの政府及び軍の主要施設を占拠し、政府・軍首脳を拘束
するに至った。それにより、地球各地で散発的な抵抗を続けていた
連邦軍の部隊は次々に投降し、その年のうちに終戦が宣言された。
翌2152年に入ってすぐに、地球連邦政府はセレーネ・SS・
惑星自治政府により解体された。
以上が「セレーネ独立戦争」と呼ばれる戦いの顛末である。金星・
火星の自治政府やSSもこれによって独立を果たしたが、もとはセ
レーネの独立宣言に端を発したことなので、こう呼ばれている。と
もかくも、人類が始めて体験した宇宙戦争は、以上のように決着し
たのであった。この戦争においての最大の功労者は「月の英雄」こ
とロンデニオン・ファディレ提督であろう。彼はセレーネ艦隊の総
指揮官であったが、その優れた政治的・外交的手腕によって各SS
に協力を確約させることに成功したのである。その結果、SS艦隊
に参戦を決意させ、地球侵攻という陽動に引っ掛かったケムラーを
叩くことが出来たのだ。彼はこの功績によって中将から大将へ昇進
し、セレーネ軍宇宙艦隊司令長官の座を手に入れた。
この戦争の終結後、宇宙居住区自治政府は「宇宙居住区代表者会
議」を開き、宇宙市民のための政治を推進した。それに先立つ、宇
宙市民の権利を全面的に認め、地球の住民との格差を撤廃した「宇
宙市民法」の発布は、歴史上看過できない出来事である。同時に、
宇宙居住区代表者会議は連邦政府に代わる地球管理機関「地球管理
委員会」を設立した。翌2153年8月には「地球破壊禁止法」を
発布し、地球の保全に全力をつくす姿勢を示した。これは、人類の
生まれ故郷をこれ以上汚染しないようにとの、宇宙市民全員の、ひ
いては全人類の意向でもあった。
無論、このような動きを快く思わない人々もいる。2154年か
ら翌55年にかけて、連邦軍の残党が「ガイア」を名乗りSS1に
おいて蜂起した。ファディレ提督が直接指揮した特務部隊ですら鎮
圧にかなりの時間がかかったことを考えると、連邦の残党も無視で
きない存在であったことがよくわかる。
連邦軍に関わるデータの約半数は地球降下に備えて消去されてお
り、連邦軍の全容の把握は困難になっていた。現に、地球上ではか
なりの量の武器・弾薬が秘匿されていて、武器密輸商の格好の調達
場所となっていた。ある時などは、密輸商人同士の争いがシンジゲ
ート同士の武力抗争に発展し、数個の集落が巻き添えを食って破壊
されている。こうした隠匿兵器が後々の戦乱に関わってくるのであ
るが、それはあくまで後の話である。
2162年には地球と月の両方で同時多発的に反乱が勃発し、フ
ァディレ提督指揮のセレーネ軍は鎮圧に奔走した。この事件は翌年
にSS2の建造中のコロニー内の戦闘で決着したが、反乱部隊には
誰一人身元の分かる人間がおらず、調査の糸がすぐに断たれている
ことから、事件の根の深さは尋常な物ではないとの憶測が流れた。
さらに2174年、SS6において大規模な反乱が発生した。原
因はSS6自治政府内部の権力闘争が発展し、歯止めが利かなくな
ってしまったものなのだが、事態の拡大を恐れたSS6治安当局は
セレーネ軍の介入を要請した。英雄ロンデニオン・ファディレ提督
指揮の艦隊は期待に応え、SS6到着後わずか2日でたちどころに
反乱を鎮圧した。「SS6事件」と称されるこの事件は大して面白
味のないものだが、歴史的にはひとつだけ重要な意味がある。この
事件の鎮圧に功のあったロンデニオン・ファディレが、これまでの
数々の功績も加味され元帥に昇進したのである。これによって彼は
「月の英雄」の異名に相応しい地位を得たのである。
そして、歴史の歯車はさらに回り続ける。
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