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天翔ける騎士 序章
Cパート
"the Prelude" C-Part
セレーネ独立戦争が終結して35年目の西暦2186年9月、こ
れまで行方不明とされていた旧連邦軍提督ローレンツ・ケムラーが
突然姿を現し、地球上で反セレーネ・SS・惑星組織「テラ」の結
成を開始した。彼は連邦軍残党に結集を呼びかけ、その勢力を以っ
て地球上の旧連邦軍基地を急襲し、その戦力を吸収した。これは戦
後、地球管理委員会に接収されSS・セレーネ軍の駐留基地となっ
ていたものである。このローレンツ・ケムラーの驚愕すべき再起に
は、地球上で隠匿されていた旧連邦軍の武器類が多いに役立ったこ
とは想像に難くない。こうしてセレーネ軍に拮抗し得る力を手に入
れたテラと、それを率いるケムラーの目的はただひとつであるのは、
誰の目にも明白だった。かつての敵手、ロンデニオン・ファディレ
元帥に再戦を挑み、彼を打ち破ることである。
ケムラー率いるテラは翌年2月にセレーネに対し宣戦布告を行い、
4月には急編成した艦隊をもって、最も戦力の乏しかったSS4・
SS7を占領した。テラは占領したSS4の3つのコロニーを月面
の主要都市であったアポロ市・アームストロング市・スタフォード
市にそれぞれへ落下させた。この3市では宇宙港や最高会議ビル、
宇宙艦隊の駐留基地や兵器工場、それを上回る数の民間の施設を破
壊され、民間人を中心に数万単位の人命を奪ったとされる。この
「コロニー落とし」により、セレーネ自治政府軍の戦力はその半数
を戦わずして喪失したのであった。その後、テラはさらに余勢を駆
ってSS1・3・5・6を武力占拠し、勢力を拡大していった。
そして、ケムラーとファディレの両雄は、西暦2187年6月、
後世に「SS2攻防戦」と呼ばれる戦いで再びまみえることになる。
既に半分以上のSSを占領し、戦力の増強をはたしているケムラー
は14隻の戦闘艦艇を擁している。かたやファディレ提督が率いて
いるのはセレーネ自治政府軍の無傷の残存艦艇3隻と未だテラに占
領されていないSSから提供された2隻の艦艇、それに宇宙貿易商
から買い取った改装武装船1隻の、その総数はたったの6隻であっ
た。
勝敗は目に見えていた。一戦の後、ファディレは命からがら火星
圏へと逃れ、ケムラーは全ての月面都市とSSの占領を果たし、地
球圏は完全にテラの勢力下に収まった。同年9月、ケムラーは連邦
政府を復活させ、自ら国家元首の地位に就いた。後に「ケムラー戦
争」と呼ばれることになる戦いは、こうして終わりを告げた。
だが複合企業MI社に保護されたロンデニオン・ファディレは、
再起を図るため各地に亡命した旧セレーネ自治政府の関係者を通じ
て、密かに火星・金星・SS・セレーネの首脳部を結集させ、反テ
ラ同盟の結成を推進した。この同盟の名称は、同盟設立会合が行わ
れたSS11、そしてその他の多くのSSが存在する地点、ラグラ
ンジュ・ポイントにちなみ「ラグランジュ同盟」と呼ばれるように
なった。
この「ケムラー戦争」の後、テラはラグランジュ同盟の存在を意
識してか、宇宙市民法・地球破壊禁止法を廃止し、旧セレーネ軍の
捕虜を全員処刑とした。当然、それらの行為は旧連邦の数々の弾圧
政策と同様に、宇宙市民の反感を買うことになる。ラグランュ同盟
は公然とではないにせよ、確実に宇宙市民の支持を得ていった。そ
して4年の間、テラ壊滅のための密かな活動を行うことになる。当
然、テラを母体とする連邦政府も対応を怠ってはいない。戦後数年
間に発生した原因不明の事故、容疑者不明の事件は数知れず、その
捜査の手は容赦なく地球圏はおろか、入植間もない木星圏にまで伸
びていた。捜査は苛烈で、尋問の最中には多くの死亡者も出したと
言われている。正式な資料が残っていないので、全体像の把握は困
難だが、少なくとも百人単位での死者が出たことは確かであるらし
い。だが、そんな非人道的な捜査を以ってしても、ラグランジュ同
盟の全容が暴露されることはなかったようである。
2190年、連邦政府はラグランジュ同盟の動きを牽制するがご
とく、ノレ・アビー中将を指揮官とする「対ロンデニオン・ファデ
ィレ艦隊(ALF)」を創設した。しかしその年の終わりに、この
艦隊の創設を提唱し、その実施総責任者でもあった宇宙艦隊司令長
官ハルステッド元帥が、宇宙艦隊司令部内で毒殺されるという事態
に至った。翌2191年8月にはローレンツ・ケムラー本人に対す
る暗殺未遂が発生し、事態は加速度的に切迫していった。
もはや、いつ、何が起きてもおかしくない状況であった。宇宙市
民も地球の住民も、普段の生活を営みながらも、きな臭い雰囲気は
感じ取っていたに違いない。だが、そんな雰囲気を払拭するために
も普段の生活は、まさに普段通りに続けられた。妙に落ち着きのな
い、よそよそしい空気の中を、それでも普段と変わることなく営ま
れ続けるいつもと同じ生活。それでいていつもと違う生活。来るべ
き破局への予感を胸にしながらも、ごく普通の日常であったはずの、
とある一日。
SS12の宇宙港で起こるほんの些細な事件が、新たな戦乱の歴
史と、それによって生み出される幾つかの物語の幕を開けることと
なったのである…。
時に、西暦2191年9月11日。
人類史に永く刻まれることとなったその日、全てが動き出した。
序章 完
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