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天翔ける騎士 第1章「邂逅」
Aパート
"The boy meets The girl." A-Part
極度に照明を落とされた部屋である。人がいるのは分かるが、そ
れも姿の輪郭がかろうじて判別できるだけで、顔の造作は判然とし
ない。その部屋にいるのは二人の男。一人は座っているが、もう一
人はその傍らに立っている。立っている方が口を開いた。
「この前は月面に大量の捜査官が投入されていたな」
若い声である。しかし、その若さには不釣り合いな落ち着きがあ
る声である。
「ああ。月の連中は冷や汗をかいていたそうだ。スタフォード市長
は心労で倒れるし、まったく人騒がせだな」
座っている方が苦笑混じりに答える。これも若い声である。落ち
着きはあるが、立っている男ほどではない。どちらかと言えば、皮
肉っぽい口調である。
「そして、今度はこのSS12か。この時期にわざわざ宇宙まで来
るVIPなどいるのか?」
立っている男は、そう言って自分の傍らへ顔を向けた。
「月面ならともかく、SS12まで、か?」
座っている男は小さく溜め息をついたようだ。吐いたのと同じく
らいの空気を吸い込んで、また口を開いた。
「あるいは、我々の動向の調査かも知れんな」
「気付かれた、ということか?」
立っていた男は、憮然とした様子で言う。それに座っている男が
事もなげに答えた。
「とっくに気付かれているよ。確証がないだけだ」
「仮にも民間企業だ。迂闊には手を出せんだろうが」
「だが、やつらが狙っているのも民間企業としての我々の存在だ。
同盟は公式には存在しない。存在するのはスポンサーとしての企業
だけさ」
座ってる男は、自分の前のデスクに頬づえをついて続ける。
「スポンサーがつぶれることは、同盟の崩壊と同義だよ」
「なるほど。些末な事象は無視して根幹を叩くということか。単純
だが、それだけに効果的だな」
「一番手っ取り早いし、我々が選んだ方法でもある」
立っている男が皮肉っぽく口を歪めたようだ。小さく息が漏れ、
それに乗せるように言う。
「確かに手っ取り早い。だが、幹が太ければ切り倒すのにも時間が
かかるぞ。巧遅と拙速、難しいところだな」
そこで彼は口調を改めた。
「ともかく準備は急いだ方がいいな。予定を繰り上げてみるか?」
「ああ。SS12への捜査官大量投入の真意は定かではないが、尻
尾は早目に引っ込めるべきだな」
「残っている作業は…そうだな、陸でやるのは書類の引き上げ程度
だったな。それが終われば、あとはここの中でできる作業だけだ。
引き上げを今日中に済ませてしまおう。どうだ?」
「ああ。引き上げてしまえば陸との接点は消えるな。済まんが手配
を頼む」
「わかった」
そう言って立っている男は振り向いた。この部屋から出て行くつ
もりらしい。
「そうだ」
座っていた男が何か思い出したような声を上げた。
「どうした?」
「その仕事、私がやるよ」
「司令官自らか?」
それほど驚いた様子ではなかったが、怪訝さは隠せない。立って
いる男は座っている男の傍らへと戻った。
「どういう風の吹き回しかな?」
「このごろ暇でね。何せ有能な副司令官がいるから」
立っていた男は肩をすくめたように見えた。
「まあいい。気をつけてな」
「わかっている」
彼はそう残して部屋を出ていった。
少女はソラを見ていた。空−頭上に広がる蒼い空間。深く、広く、
どこまでも続く蒼穹の天蓋。
そして、いつまでも空を見上げている自分がいる。そんな自分の
姿をも見ていた。空を見ているのは確かに自分である。では、それ
を見ているのは? それを見ているのもまぎれもない自分。
混乱をきたしそうな状況だったが、不思議と平然とすることがで
きた。不思議な感覚だが不快さはない。むしろ、あるのはもどかし
さだった。それに、足元は自分を支えるには軟弱すぎるように思え
た。今すぐ沈むことはない。でも、少しでも動けば一気に沈むよう
な、そんな危うさを持っていた。
やがて視界が滲んできた。蒼く、見ていた自分の姿さえも蒼の中
へと消えていった。そして気付いた。空を見ているのだと。ふと、
やはり自分を見ている自分がいるのだろうか、という疑問が湧いて
きた。それを確かめたくて視界を移そうとする。しかしそれはでき
なかった。空に瞳が張り付いたように視線は固定されたままだった。
いや、動いたのかもしれない。しかし、動いた先も蒼の世界だった。
そして、脈絡もなく理解した。自分が空になったことを。
その瞬間、蒼が藍、そしてさらに暗い色へとグラデーションを始
めた。その色の変化を見ていると、どこまでもどこまでも吸い込ま
れていきそうな感触を覚えた。唐突に、ブラックホールの話を思い
出す。星の最期、自分の質量を支えきれなくなった星は自身の重力
でどこまでも縮んで行く−。
そんな思考に感応するようにまわりは完全な闇に閉ざされてしま
った。だがそれは一瞬だった。
今見ているのもソラだった。蒼い空ではなく、全ての方位と感覚
を取り囲む、宇宙と呼ばれる漆黒の空間。その深淵のキャンバスに
散りばめられた無数の星。
永遠の広がりを持つ、空間。子宮に浮かぶ胎児のような姿で、そ
の空間を漂っていた。だが、そこもまた子宮である。全ての生命の
源。無限の可能性の中から偶然に選び出された奇跡のひとつが今の
自分。
そこは決して死と静寂の空間ではなかった。
だから、視界に花が入ってきた時も別に驚きはしなかった。生命
の源たる空間なのだから。その花はゆっくりと回転している。全て
の生命がそうであるように、その花もまた、命の輝きを持っていた。
花は回転を続けている。まるでそれが生きている証であるように、
いつまでもまわり続けていた。やがてその回転が速くなる。いや、
自分も回転しはじめたのだ。それが分かった瞬間、花は別の存在へ
と変形を始めた。花弁のような切片を広げた、宇宙に浮かぶ巨大な
構造物−スペースコロニーである。
その花びらのような採光鏡を広げた円筒形のコロニーは、更に回
転を速めた。視界の中で、コロニーと背景の宇宙が渾然一体となり、
マーブル模様を描き出す。またも吸い込まれていきそうな感覚。し
かし、そのマーブル模様はある明確な形へと落ち着きつつあった。
「人が、いるの?」
それは、顔、だった。どこかで見たような、それでいて判然とし
ない感覚。出会ったことのない、顔。でも知っている、顔。
「誰か、いるの?」
それは、自分の顔だった。
「わたし?」
その問いには誰も答えない。しかし、その代わりに無数のイメー
ジが奔流となって意識の中へと強引に分け入ってきた。
顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔−。
自分の顔が消えて、コロニーの中に存在する、いや、生活してい
る人々の顔、そして姿がフラッシュバックとなって五感を駆け巡っ
た。
「わたしじゃない、人?」
意識を駆け抜ける顔は、様々な表情を浮かべていた。笑った顔、
怒った顔、泣きそうな顔、悩んだ顔、真剣な顔。
それは、まぎれもない「人」の姿である。感情を持ち、それぞれ
の考えを持ち、それぞれの生活を送っている、姿。それは、誰にも
否定されることのない、否定されてはいけない存在であるはずであ
る。
だが、フラッシュバックが続くうち、その姿が少しずつ変化を始
めた。最初は何が変わっているのかは分からなかった。しかし、次
第にそれは明らかな姿を取り始めた。
泣き叫ぶ顔、怒りと悲しみに取り付かれた顔、血を流す顔、もは
や人の顔ですらなくなっている顔…。
戦いだ…。戦争だ…。
そう思った時、瞬間的にイメージが挿入されていく。全身を赤く
染めた人、いや、かつて人だった存在。妙に背が低く感じられる、
首のない体。肘から先の手が失われた体。腰から下がスッパリと切
り取られている体。半身を吹き飛ばされ、血と内蔵がこぼれ落ちて
いる体。
見たくなかった。だが、そう思っても次々と悲惨な光景が侵入し
てくる。必死の拒絶を嘲笑うかのように、死の光景は、強引に意識
の中へと入り込んでくる。
「もう、いや!」
その瞬間、一瞬だが違うイメージを感じた。それが何なのか認識
する間もなく、同じイメージが割り込んでくる。
「なぜ、戦うの?」
また、インサート。人の顔である。
「なぜ、戦わなければならないの?」
同じ、顔。
「宇宙にはこんなにたくさんの人が住んでいるの! この宇宙に!」
その顔は答えなかった。
「答えて、おじい様!」
時間が戻せるのであれば、もう一度あの時に戻りたい。そして、
もう一度訴えたい。
でも、例えそうできたとしても、無駄であることは理解していた。
何度やっても結果は同じだろう。でも、それでも、もう一度…。
そう願う自分がいる一方で、それを冷めた目で眺める自分もいる。
どちらも自分。なのに自分ではないような気がする。いや、認めた
くないのかも知れない。
そう考えた時、意識内を席捲したのは、自分自身が傷つき、倒れ
る姿だった。心のどこかで、そうなることを望んでいるのであろう
か。もし、そうだとすれば…。
それは、今、自分がここにいる理由。
ここ?
ここは宇宙。そう、宇宙である。
唐突にコロニーの外壁が破れた。それは、宇宙に住む人々にとっ
ては死刑の宣告と同義であった。そこは、人が住むには、あまりに
も脆弱な場所である。なのに−
さっきまで意識の中を駆け巡っていた、生きている人々が次々と
暗黒の宇宙へと吸い出されていく。そして、次々と背景の星のひと
つへと消えて行った。
「なぜこんなところに住むの?」
人々はそれに答えようとするように、あるいは、その問いを無視
するように、無数の星となって輝きはじめた。それも生命のかたち
であると諭しているのだろうか、穏やかに、静かに、しかし力強く。
「死と隣り合わせなのに!」
ゆっくりと星たちが動き出した。一見無秩序であったその動きは、
しだいに、ある形を作り上げていった。
2つのらせんが組み合わさった立体。
星たちが、ゆっくりとそのらせんの上で踊っている。それ自体が
生命であるかのように、確かな力をもって。
「いのちの、姿…」
そのらせんが、何かの内へと取り込まれていった。かつては単な
る「物質」でしかなかった有機物の塊が自ら運動を始め、少しずつ
複雑なシステムを創り上げて行く。
「変わっていくのね?」
その声に答えるように、生命体は様々な姿へと変化を遂げる。一
見奇怪な姿であったとしても、それは生命のひとつのかたちを追い
求めた結果に過ぎない。
「わたしも、変わりたいな…」
その姿は、少しずつ知っている姿へ近づいていった。水中から陸
上へ。地面を這いずっていたものが体を持ち上げて歩行を始める。
前肢を歩行以外に使い始める。陸上から樹上へ。ネズミのような小
動物から、類人猿へ。そして、ヒトへ。
「変わっていけるの? わたしも」
ヒトは火を操り、道具を使い、言語を用いた。争いはあったが、
それでも、少しずつ自らの文化を形成し、ヒトは人へと成長いった。
やがて、人は今まで彼らを育んできた母なる大地から旅立ち、その
母なる大地を見つめながら暮らすに至った。
「うん、きっと変われる」
確信が浮上してきた。
「間もなくSS12へ到着いたします。お仕度を」
軽く肩をゆすられた感じがして、続いて声が聞こえた。
「え? あ、ありがとう」
まだ、完全に焦点の合わない目をこすりながら、少女は取りあえ
ず礼を言った。少しずつ像を結び始めた視界には、淡い色調の室内
が飛び込んでくる。そして、また声。
「おやすみのところを失礼とは存じましたが…」
「いえ、いいの。ありがとう」
そう言って、少女は首をひねった。窓の外にはいつか見た星空が
広がっている。そして、遥か彼方には微かに蒼い宝石も見えた。
彼女の旅は、そこから始まった。
そして、改めて焦点を近くに戻すと、星空を背景に無数の都市が
浮かんでいた。コロニーと呼ばれる、人類の新たな大地である。
「…感じる、人の息吹」
彼女は目を閉じた。
「変わりたい」
頭の中を何かがよぎったような気がした。
「変われるの? わたしは」
またも意識の中を何かが通りぬけた。さっきより、はっきりと。
「きっと、変われる」
彼女は目を開けた。旅立ちの時に感じたマイナスの感覚はない。
皆無ではないが、少なくとも薄らいではいる。
「だから−」
窓の外へ向けた視線へ、コロニーの巨体が飛び込んできた。呆れ
るほど巨大な、それでいて、妙に親近感のわく物体であるように思
えた。
「−ここには、いたくない」
呟いた少女の視線を、完全な暗闇が覆った。彼女の乗った船がコ
ロニーへと入港したのである。
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