次へ
前へ
目次へ
天翔ける騎士 第1章「邂逅」
Cパート
"The boy meets The girl." C-Part
少年はSS12宇宙港の展望デッキに立ち、宇宙へと飛び立って
ゆく船を、その深海の水の色をした瞳で眺めていた。いや、眺めて
いるというのは正確さを欠くかもしれない。彼は、いやなことがあ
ると、ここへ来て宇宙の彼方へと想いをはせるのだ。別に船を見た
いわけではない。ただ、宇宙へ向かうというイメージが欲しいだけ
なのだ。
彼の心の中には、まだ彼が幼い頃、夢を追って木星へと旅立って
いった両親の姿があった。顔すらも覚えていない。今となっては、
ただ漠然とした感覚が存在するに過ぎない。
両親の旅立ちから10年あまり。少年は14歳になり、宇宙港と
同じコロニーにある叔父の家で、半ば厄介者扱いされながら暮らし
ている。
少年の両親は、消息不明となっていた。
「木星での遭難は珍しいことじゃない」
両親の捜索依頼を出したとき、連邦の宇宙管理局の職員はそう言
った。同情、というよりは面倒くさげにである。
少年自身も、両親は死んだものと考えることにしていた。しかし、
そう考えながらも足は自然と宇宙港を目指すのである。そして宇宙
へ飛び立ってゆく船と宇宙から降りてくる船を視界に入れながら、
ぼんやりと考えるとも考えないともしていた。
逃げ出したかったのかも知れない。少年は、後にそう思った。叔
父の一家からは邪魔者あつかいされ、また、友達も少ない彼にとっ
て、宇宙港は未知への扉のようにも思えたのだ。
今朝も、叔母からいやみを言われた。少年は学校へ行きたくなく
なり、ここへ来てしまった。それを思い出して、彼は端正ともいえ
る顔に苦笑を浮かべた。
少し長めの、墨を流したような色の髪の毛をかきあげつつ、背後
の人の流れに目を向ける。喧騒に満ちた、活気のある風景だが、ど
ことなく張り詰めた雰囲気が漂っているようにも思える。
少年にも数週間来、宇宙港の警備が厳重になっていることは分か
っていた。その原因がラグランジュ同盟とロンデニオン・ファディ
レにあることも知っていた。それに、連邦はひた隠しにしているが、
先月地球でケムラーの暗殺未遂事件があったばかりである。
SS12は、その巨大な経済力で、連邦の圧力を弱めていた。だ
から、その手の情報は、子どもであっても比較的安易に得ることが
できた。むしろ、好奇心が強く無鉄砲な子どもの方が、なまじの大
人より情報通であることは、ままあることである。
少年は戦乱の時代を経験したが、戦争そのものは体験していない。
SS12はケムラー戦争に際しても武力による占領は行われなかっ
たからだ。
何もSS12に限ったことではないが、宇宙移民者には、地球連
邦政府の中心であるテラはあまり好意的な目で見られてはいない。
「地球に居すわる連中が地上から宇宙を支配しようなんて、やっぱ
りおかしいよな」
少年は目を戻し、窓の外に広がる宇宙にそう呟いた。
それは宇宙移民者に共通した考えであった。無論、それがセレー
ネ独立戦争の原因であったことは、言うまでもない。
地球が、万民に向けて開放されれば、そのような批判も出なかっ
ただろう。しかし、現実に地球に住んでいるのは、連邦政府やテラ
の幹部と、その家族だけであった。それ以外の人々が地球に居住す
ることは、許されなかったのである。
少年は慌てて周りを見回した。宇宙移民者の感情はどうあれ、連
邦やテラに対して批判的なことを口にすると、それだけで罪になっ
てしまうのだ。そばに連邦の憲兵でもいたならば、子どもといえど
も問答無用で逮捕されることもしばしばであった。現に、彼も何度
かそういう場面に遭遇している。また、ここ最近は射殺されるケー
スもあるという。
本当に怖いのは、そういうことが日常茶飯事として受け入れられ
てしまうことかもしれない。少年はそうも思っていた。人の死に対
して無感動になる。これほど恐ろしいことはないだろう。
はっきりとそういう考えを抱いているわけではない。ただ、違和
感と、それが違和感でなくなってしまうような雰囲気が、少年には
たまらなく不愉快であったのだ。
少年が学校の授業で教わった言論の自由とやらは、今では有名無
実であった。連邦を設立した当時の人々がこの世情を見たら、何と
いって嘆くであろうか。
彼は周りに憲兵もなく、特に気づかれた様子がないのを確認した
が、念のためにその場を離れることにした。そのくらいの知恵は、
子どもであっても、宇宙に住む全員が身につけているものに違いな
かった。
あてもなく港内をうろうろしていたら、いつのまにか星間航路の
地球への搭乗デッキへ通じる細く長い通路に出てしまった。
人通りがないのは、地球と各SSのコロニー間の移動には、専ら
専用のシャトルが使われるからである。わざわざ地球からコロニー
まで星間宇宙船を使う者など、めったにいない。無用の長物と化し
ているデッキなのだが、非常用、臨時用として存在しているのであ
る。
そのめったに人が通らない通路のはずであるが、何やら騒々しい
足音が聞こえてきた。搭乗デッキの方から、走ってくる者が三人い
る。先頭を走っているのは…。
何となく所在なげにたたずむ少年の姿を見たその少女は、なぜだ
か、僅かな喜色を浮かべた。それが何を意味するのか少年にはわか
らなかったが、この様子では、どうやら少女は追われているらしい。
二人の追手は連邦の捜査官の制服を着ていた。
少年はどうしようかと一瞬考えたが、思考が完了する前に行動が
出てしまっていた。
3人が通過する際に、とっさに足を差し出して、捜査官の一人を
転ばせた。全力疾走が災いして、転ばされた捜査官は、顔面を固い
床にしたたかに打ちつけ、そのまま起き上がらなくなってしまった。
「何をする!」
数メートル先で立ち止まったもう一人の捜査官が、声を荒らげて
少年の方を振り向いた。手には、高圧電流で相手を気絶させる特殊
警棒があった。
少年は僅かにたじろいだが、内なる力を総動員して可能な限り平
静を装い、その捜査官に対した。そして、何気なくポケットからコ
インを取り出したかと思うと、その捜査官の目を狙って投げつけた。
捜査官は避けた。しかしその隙に、追われていた少女は背後から捜
査官の股間を蹴り上げた。
声にならない絶叫を発してよろめいたところに、少年がみぞおち
へ渾身の力を込めて拳をたたき込む。彼にはわずかではあるが、バ
リツと呼ばれる格闘技の経験があった。
捜査官は握っていた特殊警棒を取り落とした。少女はすかさずそ
れを拾うと、躊躇いもなく、その捜査官に接触させた。
あまり聞きたくない声を上げて、その捜査官もそれっきり動かな
くなった。
「ところで」
一刻も早く現場から離れようと全力疾走する少年は、同じく傍ら
を走っている少女に話しかけた。見たところ、少年と同年齢くらい
である。先ほどの行動といい、おてんばな女の子なのだろうか。
「どうして追われてたの?」
少女ははっとして少年の顔を見つめた。しかし走る速度は緩めない。
「…ありがとう」
「えっ?」
「…助けてくれて」
少年は、自分を真っ直ぐに見つめる少女を見て一瞬どきりとした。
先程は無我夢中だったので、よく見ることが出来なかったが、美し
い少女だった。大抵、少女を形容するなら「かわいい」という言葉
を使うが、この少女の場合は「かわいい」というより「綺麗」とい
う形容が合うだろう。
宵の空の色をした髪の毛が肩まで伸びていて、それは陶器にも似
た少女の繊細な顔の三方を覆っている。ともすれば人形のようにも
見える少女だった。しかし人形と違い、その瞳は柔らかい光を発し
ている。少年はその瞳の中に春の太陽を見たような気がした。何よ
り、走るという行為で、生命の躍動を体現しているかのような印象
を受ける。
少女に礼を言われて、少年は自分の顔が上気したのが分かった。
どぎまぎしながら、もう一度追われていた理由を聞こうとした。そ
のとき、背後から怒りの声と足音が聞こえてきた。少年は質問を断
念して、少女とともに逃走に専念することにした。
少年は充実感を味わっていた。それはこれまでの生活では、決し
て感じえないものだった。そして、彼は誓った。この少女を守って
みせる、と。
少女は満足感を覚えていた。それは、自分が変わることができた
から。そうでなくとも、少なくとも変わるきっかけを掴めたから。
そして、何か大切なものをも得たような気がしたから。
だから、少女には躊躇いも後悔もなかった。
次へ
前へ
目次へ