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天翔ける騎士 第3章「戦場」
Dパート
"Sailing" D-Part
一瞬、すさまじい振動と衝撃が襲ったと知覚した瞬間、部屋の壁
面が耳障りな音をたてて吹き飛んだ。部屋の中にいたセアとシャル
は、半ば呆然と、その光景を眺めていた。しかし、その呆然も一瞬
で終わりを告げた。部屋のすぐ外は宇宙空間が口を開けていて、内
外の気圧差による空気の流出が始まったのだ。もともとこの部屋は
外壁に面してはなかったが、爆発によって外壁寄りの部屋などが吹
き飛ばされたために、宇宙空間と接してしまったのである。
宇宙服のヘルメットのバイザーは、気圧の低下を感知すると自動
的に閉まるようになっていたので、二人は窒息を免れた。しかし、
空気流出の力は彼らを容赦なく襲った。
艦外へ放り出されながらセアは必死に手を伸ばして、掴めそうな
物を探った。と、彼の指先に固いものが触れる。全力でそれを握り、
必死に体を止めようとした。いくら無重力とはいえ、質量は存在す
る。ただ、一度止まってしまえばどの方角にも自由に体を向けるこ
とができる。
セアはようやく体を立て直し、周りを見回した。
「シャル!」
セアは叫ぶよりも早く、眼前を飛び去ろうとするシャルに向かっ
て手を延ばした。
「セア!」
シャルは必死で手を延ばしたが、指先が触れただけで、そのまま
宇宙空間へ消えていった。
「シャル!」
セアはシャルの行方を目で追ったが、かなり遠くまで投げ出され
てしまって、このまま助けにいくのは無理であった。宇宙服を着て
いるので、空気の心配は今のところ無いが、いずれ空気は無くなる
し、何より戦場のど真ん中である。危険この上なかった。
どうすればいいか。艦の人間に救助を依頼するのが妥当ではない
か。そう思って、取り合えず艦の中へ戻ろうと、掴まっていたもの
から手を離して、その反動で艦の本体に取り付こうとする。一見何
気ない動作だが、少しでも方角を誤ると艦に取り付きそこねてしま
い、宇宙をさまようことになってしまう。そこはコロニー生まれの
人間だけあってセアは危なげなく艦の本体へと取り付いた。
彼が移動する間にも、アルマリックの周辺では無音の花火が絶え
間なく開いている。
彼が取り付いたところは、戦闘機の発進口であるカタパルトだっ
た。先ほど彼が掴まったのは、どうやらカタパルトから延びた誘導
灯のフレームだったようだ。セアは足元を蹴ってカタパルトから格
納庫へと入っていった。
格納庫は妙に閑散としていた。全ての戦闘機が出払った後なので、
当然と言えば当然であるが。セアの目はたまたまその一隅で止まっ
た。
黒い戦闘機だ。名前は何ていったっけ? 名前? そんなものは
今はどうでもいい。とにかく、シャルを助けなくちゃ…。
瞬間、セアの脳裏にある考えが閃いた。それは天啓かそれとも悪
魔の囁きかはわからない。しかし、それが一番手っ取り早くシャル
を探すことのできる方法のように、セアには思えた。
セアは黒い戦闘機、フラス・ナグズに走り寄った。ハッチを開け
てコックピットのシートに座って、ハッチを閉じる。戦闘機の操縦
は、何度か博物館やゲームセンターのシミュレーターで経験してい
る。グーランさんは操縦系が違うっていってたけど…。エンジンは
これかな? よし、かかった。
核融合炉の調子は悪くないようだ。低い動作音がヘルメットのス
ピーカーを通して聞こえてきた。わずかだが振動も伝わってくる。
その突然の機械音に、整備員が詰め所から飛び出してきた。それ
以外にも格納庫のそばを通りがかった者が何人か足を止める。
「こら、何をしている」
整備員の一人が、フラス・ナグズのハッチに取り付いて怒鳴った。
その声はセアには聞こえなかったが、ハッチをたたく音は鈍く響い
ている。
セアはメインモニターと思しきスイッチを入れた。360°全周
視界モニターが点灯して、その整備員の姿を映す。セアは聞こえる
わけはないと思ったが、取り合えず叫んでみる。
「危険です、下がってください!」
偶然、外部スピーカーのスイッチが入っていたため、その声は格
納庫に響き渡った。
その声に、野次馬の一人が顔色を変えた。キョーコである。
「あの声、セアくん?!」
被弾したブロックにセアとシャルがいなかったか確認しに行く途
中にこの騒動に出会ってしまったが、まさかセアが戦闘機に乗って
飛び立とうとしているとは、夢にも思わなかった。彼女は野次馬を
かき分けてフラス・ナグズに走り寄った。
「セアくん、何やってるの! すぐに降りなさい!」
セアは突然モニターにキョーコの顔が大写しになって驚いたが、
そんなことは今はどうでもよかった。自分の声が外に聞こえている
とは知らずにつぶやく。
「シャルが放り出されたんだ。助けに行かなくちゃ」
言い訳とも、決意の表れともつかないが、とにかくセアはフット
ペダルを踏み込んで、機体をカタパルトまで移動させた。そこでス
ロットルを開いて飛び立つ。無我夢中だったから、何故自分が初め
ての搭乗なのにそこまで出来たか、考える余裕すらなかった。
「フラス・ナグズが動いている? パイロットは誰か!」
突然の格納庫からの連絡に、アークライトは腰を浮かしかけた。
「セアくんです。被弾の時にシャルちゃんが投げ出されたようで、
彼女を助けに行くと…」
通信スクリーンにはキョーコが写っていた。かなり狼狽した様子
である。無論、艦橋中も似たような状況である。前方では、航海士
が発進したフラス・ナグズの捕捉に必死になっていた。
「ばかな、子どもが戦闘機を動かせるものか」
「でも、フラスは飛んでいってしまいました。カタパルトがフラス
の噴射で火傷しています」
キョーコにだって信じられない。しかし、乗っていたのは確かに
セアだ。彼が動かしているとしか考えられない。
「アークライト」
タリスがゆっくりと口を開いた。この非常識な事態にも動じない
のは、いっそ立派と言うべきであろうか。
「リニス部隊を艦隊の直援に回して、フラスと遭難者の捜索に当た
らせては?」
こういう時に彼の真価が発揮されるのだろう。冷静な指摘はアー
クライトを何とか平常の座に落ち着かせた。
「そうだな、前線はキーツとグーランに任せればいいか」
そして、憮然とした口調で命じた。
「非戦闘員は、最優先でセアとシャルの所在を確認しろ」
発進時のGに耐えつつも、セアはシャルの姿を捜していた。セア
の操縦を戦闘機隊隊長のキーツが見ていたら、感嘆を禁じえなかっ
ただろう。始めて宇宙空間に出た者は、ほとんどの場合、方向感覚
を失い恐怖感でパニックに陥る。しかし、セアはパニックにはなら
なかった。彼は広大な宇宙の戦場で、ただ一人の自分が守ると誓っ
た少女を探すために全ての神経を集中させていた。
確かこの方向だったはずだけど…。…あの宇宙服、いた、シャル
だ!
アルマリックからかなり離れたところで、彼女は何かの破片にし
がみつきながら、ゆっくりと宇宙を漂っていた。破片に掴まったお
かげで、放り出されたときの速度は失ったようだ。
セアは慎重にスロットルを操作して、フラス・ナグズをシャルの
傍に寄せた。ハッチを開きつつ、宇宙服に備わっている無線で呼び
かける。
「シャル、大丈夫?」
突然聞こえた少年の声に、シャルはハッとして周囲を見渡した。
いつの間にか、彼女のすぐ横に漆黒の物体が横たわっているではな
いか。それに掴まってこちらへ手を伸ばしているのは、呼び声の主
の少年−。
「セア! どうしてここへ…それに、その戦闘機…」
セアはそれには答えずに、伸ばしたシャルの手をつかんでフラス・
ナグズへ乗り移らせた。
「とにかく、早く乗って。アルマリックへ帰ろう」
「え、ええ」
セアはシャルをコックピットに入れ、シートの背につかまらせる
と、ハッチを閉じて機を発進させた。
「セア、どうしてこの戦闘機を…?」
「ああ、ちょっと借りてきたんだ。すぐに返すよ」
そういうことを聞いているんじゃないわ、という台詞をシャルは
飲み込んだ。全ては自分のためだということが分かったのだ。セア
は自分を助けるために、危険を省みずにこの戦闘機に乗った。そん
なセアを非難でもしたら、きっと罰があたってしまうだろう。シャ
ルは伏せていた目を上げて、少年の両肩にそっと手を置いた。これ
が今の彼女にできることだ。それは同時に、しなければならないこ
とでもある。
「ありがとう、セア。あなたに助けてもらったのは、これで2度目
ね」
セアは黙って頭を振った。おそらく赤面しているのだろう。そん
なセアの後ろ姿をシート越しに見つめていたシャルは、突然何かを
感じた。敵意、悪意、その他色々表現はあるだろうが、そういう類
のものだった。とっさに後ろを振り向いたシャルは、後ろから迫っ
てくる戦闘機の姿を見た。セアの手元のパネルからブザーが鳴って、
全周視界モニター上のその戦闘機の姿が標的のような円に囲まれる。
セアも後方が自動的に映し出された手元のサブ・モニターでそれを
確認していた。敵機であるのは間違いないようだ。
「セア、後ろ!」
「わかってる、しっかりつかまってて!」
シャルがシートの背を握る手に力を込めるか込めないかのうちに、
体が下から押し上げられるような感覚を覚えた。スロットルを引い
てセアは機を持ち上げ、宙返りをして、敵機をやり過ごしたのであ
る。考えてみれば、今まで敵機に見つからなかったことは、いわば
奇跡だろう。ここは戦場なのである。
セアはエンジン出力を全開にして逃げるが、敵機もしつこく食い
下がっている。本来、フラス・ナグズのエンジンは従来型の1.5
倍以上の出力を持っているのだが、整備が完全でないのと操縦者の
技量が未熟なのとで、本来の力を出し切ってはいないのだ。
必死で逃げるフラス・ナグズのそばを幾つかのビームの筋がよぎ
った。セアは狙い撃ちされないように、できるだけ不規則に機を動
かしそのビームを避ける。
「セア、やられちゃう!」
「くそ、武器はないのか、武器は!」
セアは急制動をかけて敵機の真下へ回り込むと、機首を急角度で
持ち上げた。正面に移動した敵機の映像に合わせられている円が赤
く輝く。ロックオンのサインが表示されたのだ。彼はそれに遅れる
ことなく、親指の下にあるボタンを押した。驚くべきことに、熟練
したパイロットでも舌を巻くほどのこの一連の動作を、セアはごく無
意識のうちにやってのけていた。
フラス・ナグズの左右のビーム砲から火線が放たれ、その幾つか
は、敵機を貫いた。数瞬の後、敵機は巨大な火球となった。
このときセアは、生涯最初の敵を葬ったのであるが、彼にその感
覚はなかった。自分が何をしたのか、それさえも理解できないよう
な様子であった。
「すごいよ、セア!」
シャルが彼の肩を揺さぶるが、セアは妙に冷めた気持で彼女の手
の感触に感覚を集中しながら、自問する。
何がすごいんだろう。フラス・ナグズを操縦したこと? それと
も敵の戦闘機を撃墜したこと? 敵に襲われながら生き延びたこと?
それはすごいことなのだろうか? シャルがそう言っているのだか
ら、おそらくすごいことなのだろうが…。
半ば無意識に機をアルマリックへ向けながら、しかし、セアは確
信のようなものが浮かび上がってくるのを感じた。彼の両肩にかか
っている温かい手、優しく柔らかい手、その手のために、その手の
持ち主のために自分はこうしているのだと。
だから−。
セアはようやくシャルの方へ顔を向けた。
−君がいるから。
だが、その言葉は発せられなかった。シャルは彼の肩に手をかけ
たまま低く嗚咽していた。緊張の糸が切れたのだろうか。セアは何
も言わずにまた正面を向いた。味方機が数機、接近してくるのが見
えた。
黒い戦闘機フラス・ナグズは戦場の中をアルマリックへと帰還し
ていく。それを守るように、リニス以下の戦闘機が集ってきた。
「本当に飛んでる…あのフラスが」
エフリート・リニスは、フラス・ナグズに誰が乗っているか、ま
だ知らない。
「セアが…わたしのせいで…」
セアも、シャルが涙の隙間でつぶやいた言葉を知らない。
第3章 完
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