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天翔ける騎士 第4章「飛翔…」

Aパート


"for Whom?" A-Part


 西暦2191年9月12日。
 後世にいう「SS12攻防戦」は11日夜に開始されたが、ラグ
ランジュ軍の攻勢により日付が変わると間もなく、キッサー少将を
司令官とした連邦宇宙軍SS12討伐艦隊の全滅を以って終結した。
ラグランジュ同盟軍側の損害は皆無に等しく、両軍の力の差を露呈
させた一戦であった。歴史的に見れば、地球連邦軍とラグランジュ
同盟軍との初めての大規模戦闘であったが、多分に遭遇戦の要素が
強い。突発的な事件が事態を急速に進展させたのである。いや、む
しろ事故の類に近いだろう。結果双方とも準備不足のまま戦端を開
かざるを得ず、どちらにとっても予定外の事象であったのは確かだ。
だが当事者たちはともかく、その周辺にいる多くの人々にとってみ
れば、時代が動き始めたという印象を受けたに違いない。そしてま
ともな戦略眼を持つ者であれば、機を逃さず行動に移らねばならな
いのは自明であった。

 その日、つまり西暦2191年9月12日の午後。
 火星圏から全方位へ向けて、誰にでも受信できる汎用周波数帯の
チャンネルを用いた放送が行われた。ラグランジュ同盟軍総司令官
のロンデニオン・ファディレ元セレーネ国防軍元帥が、ラグランジ
ュ同盟の存在と、地球連邦政府及びそのバックボーンであるテラを
標的に軍事行動を起こす旨を、正式に発表したのである。
「地球から宇宙を支配する時代は既に終わっている」
 演説は、その言葉から始まった。当時の人々は、この演説が後世
に永く語り継がれるものになるであろうことを、感覚的に認識して
いたのかも知れない。聴衆のテンションは、冒頭から異常なまでに
高まっていた。
「人は、皆宇宙に住まなければならない時なのだ。賢明なる宇宙市
民の方々ならば、すでにご存知であろう。しかし、未だに地球に居
残る人々が多数いることは、悲しいことだが事実だ。彼らは自らの
利益のため、宇宙市民に不当な圧力を加え続けてきた。皆さんはそ
れに耐えてきた」
 そこでファディレは一度眼下の人々を見渡す。
「我々ラグランジュ同盟は、そのような状況を容認する地球連邦政
府、また、その母体であるテラを打倒すべく兵を挙げた」
 すでに70歳を過ぎた老元帥は、往年の風格を漂わせながら演説
を続けた。
「宇宙市民の皆さんは、この戦いの意味をご理解頂けるはずだ。我
我は皆さんの代弁者たりえたい。倒すべきは地球連邦政府である。
滅ぼすべきはテラである。覚えておいででしょう。セレーネ独立戦
役以前の宇宙市民の窮状を。そして現在の状況がそれと等しいもの
であることをお分かりでしょう」
 ファディレは大きく息を吸い込む。
「宇宙市民の皆さん、今こそ4年間の、そしてかつての連邦政府が
長き時間に渡って皆さんに与え続けた苦痛と恥辱の恨みを晴らすと
きなのです」
 この時、火星は当然ながら、地球圏のあちらこちらで歓声が上が
った。民衆の待ち望んだ解放者が現れたのである。
 ファディレは難儀そうに片手を上げて聴衆を制した。演説の場所
は火星の中心都市マーズポート市の中央広場である。蒼穹のごとき
ドームの向こう側には漆黒の空間が広がり、その下には線を引いた
ようにくっきりと分かたれた赤茶けた大地が−軍神の園が−広がっ
ている。群集の歓声が一瞬静まった時、巨大なドームをたたく雨の
ような音が聞こえてきた。火星名物の砂嵐である。たちまち蒼穹の
彼方に広がってた光景が、赤茶色の波に飲み込まれる。
 この酸化鉄を大量に含んだ、風速100m以上の砂嵐に巻き込ま
れることは、死と同義である。過去、何人の、いや何百人の人間が
犠牲になったことだろうか。人は、かくも過酷な環境の下で生きて
いるのである。自らの力を信じて。
 演説は、砂嵐の音を圧するがごとく続いている。
「地球圏の皆さんはご存知かと思うが、昨日11日、我が軍の地球
圏派遣部隊が連邦艦隊と交戦した。これは我が軍の圧倒的勝利に終
わったが、戦況が不利なのに変化はない」
 ここで放送されている映像が切り替わる。マーズポート市の広場
でも、演壇の背後に設置されたスクリーンに映像が浮かび上がった。
所々に都市の光が見える赤茶色の火星をバックに、宇宙を進む艦隊
の姿である。正確な数は分からないが、50隻以上いるように見え
る。聴衆の間から、かすかなどよめきが漏れた。
「無論、私も地球圏へ乗り込むことになるが、まず援軍の第1陣と
して、ご覧のように先遣艦隊を派遣した。数も多いが、何より、よ
く訓練された兵士たちだ。連邦軍などは足元にも及ばんだろう」

 この放送は、SS12付近の宙域に遊弋するアークライト艦隊も
受信していた。一部を除いたほとんど全員の乗組員やパイロットた
ちが、自室で、食堂で、艦橋で、それぞれ火星から送られていくる
映像に見入っている。光速度通信なので若干の時差があるが、それ
は大した問題ではない。
 旗艦アルマリック艦橋でもアークライトやタリスを始め、艦長以
下のメインスタッフがスクリーンを前にしている。全く予期し得な
い形で連邦軍との戦端を開いてしまい、当初の計画を大幅に狂わせ
てしまった責任を感じているのか、司令官アークライトは終始硬い
表情だった。それでも、艦隊の映像が映し出されたとき、一瞬だけ
顔をほころばせて、こう呟いた。
「フューネラル…トゥアンか…」
 周囲はざわついていて、その言葉を聞いたものは彼の傍らに立っ
ていたタリスだけだった。タリスはアークライトを一瞥したが、言
葉は出さなかった。ただ、彼も少し口元を緩めたようであった。
 彼らの眼前で、演説はクライマックスを迎えていた。
「私も近日中に地球圏へ出発するが、到着には最低でも1ヵ月はか
かる。その間は地球圏派遣艦隊だけで戦ってもらわなければならな
い。今は彼らの努力に期待するしかないが、地球圏の皆さんも可能
な限り協力してほしい。地球圏、いや、宇宙は宇宙の民のものであ
るべきだ。連邦政府のものでは決してない。あなたがたの正当な権
利を取り戻すため、もう少しの間だけ、我々に力を貸して頂きたい。
そして、自由の宇宙を共に築き上げよう!」
 語尾に、すさまじい音響が重なった。火星全体、地球圏全体が共
鳴せんほどの歓呼の叫びだった。
 演説中、当事者であり、協力される側であったアークライト艦隊
のクルーは、やや白け気味だったが、最後の部分では随所の艦で歓
声が上がった。
 アルマリックでは、放送終了後にアークライトが口を開いた。
「状況は見てのとおりだ。ラグランジュ同盟軍は、その存在を公表
した。地球連邦政府とテラに対して宣戦布告をしたわけだ。そして、
あの歓声を聞いての通り、我々は宇宙市民の支持を大いに得ている」
 アークライトは淡々と喋り続けている。その映像と声は、艦隊中
に放送されていた。
「しかし、だからといって戦況が好転するわけではない。これから
援軍が到着するまで1ヵ月間。苦しい戦いになるが、頑張ってほし
い」
 彼は言葉を切った。そして、これ以上ないというほど真剣な眼差
しと口調で告げた。
「死ぬなよ。必ず生きて終戦をむかえるんだ」
 その声は大きくも鋭くもなかった。むしろ囁くような感じだった
が、一人一人の耳と心に大きく響いた。
 アルマリックの食堂で、キョーコやパイロットたちと共にその放
送を聞いていたシャルは、その言葉が自らの心に深くしみ込んでく
るのを感じた。戦うことは目的ではない。生きるため、生きて平和
な時代を暮らすための、戦い。
「わたし、ここにいて、いいのかも…」
 シャルは、そんな自分の思いを誰にも話さない。まだ話さない。
でも、話してもいいと思える相手はいる。その相手は、彼女の側で
やや興奮気味にキョーコらと演説について感想を述べていた。彼の
姿を見るともなしに眺めて、シャルはアークライトの最後の表情を
反芻していた。真摯で、悲しげで、昔に本で読んだことのある苦行
者のような、そんな表情だった。彼女はアークライトが背負ってい
るものを理解できたであろうか。
 はっきりした言葉にはできなくても、少し、ほんの少しだけそれ
を感じ取れたような気がする。それが、人の身にはとてつもなく重
いものであろうことも。
 ねえセア、あなたは感じた? アークライトさんが背負っている
ものを。アークライトさんがこの戦いの中に見出している意味を。



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