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天翔ける騎士 第4章「飛翔…」

Bパート


"for Whom?" B-Part


 漆黒の宇宙空間で、無数の星の光を背景にして、2つの光が飛び
交っていた。もう少し速度が遅ければ、それは蛍の舞にも見えたか
もしれない。しかし、それは、蛍にしては速く、またその飛び方は
鋭かった。艦橋のそこここから、誰ともなしに感嘆の声が漏れてい
る。
「本当にセアなのか、あれを操縦しているのは」
 指揮席に座ったままでアークライトもため息交じりに尋ねた。先
程から彼の指が肘掛けの上でタップを踊っていて、その音が小さか
らず艦橋に響いているのだが、彼自身は気付いていないようだ。
「ええ。何なら、コックピットの映像に切り換えますか」
 アークライトの前方、一段下がったフロアの航海士が、手をコン
ソールに置いたまま振り返える。
「いや、もういい、帰投させろ。それから、二人には戻ったらブリ
ッジへ上がるように言ってくれ」
「はい」
 返事を聞き流しながら、アークライトは首を振った。同時に指の
動きも止まった。まさか、セアがこんな素質を持っていたとは。
 先日の地球連邦軍の艦隊との戦闘で、アークライト艦隊の旗艦ア
ルマリックは被弾した。その際、乗艦していた二人の子どもが宇宙
へ投げ出されてしまった。うち一人は自力で艦へ戻ってきたが、も
う一人は行方不明となった。
 驚くべきことは、艦へ戻ってきた子どもであるセアという少年が
投げ出されたシャルという少女を助けに行こうとしたときに起こっ
た。セアは、部隊の誰も満足に扱えなかった新型戦闘機を操縦して
シャルを探し出して救助したばかりか、あまつさえ敵の戦闘機を1
機撃墜してしまったのだ。
 偶然だと思った。しかし、万が一を考えて、今日テスト飛行をや
らせてみた。その結果がこうである。
「子どもに戦争をやらせるわけにはいかないが…」
 アークライトはうめいた。セアが乗った新型機フラス・ナグズは
現在のところ、彼しか満足に扱えないのである。
「フラスを動かせるとなると、か?」
  アークライトの心中を察してか、彼の傍らに立っている小太りの
男が呟く。副司令官のイード・タリスである。
「よりにもよって、子どもでなくてもよかろうにな」
  妙に落ち着いた口調なのでそうは聞こえないが、これでも愚痴な
のである。司令官と副司令官の眼前で、帰投の指示が2機に向かっ
て飛んだ。しばらくの後、2つの光は相次いでアルマリックに吸い
込まれていった。やがてパイロットスーツに身を包んだ一人の男と
一人の少年がブリッジに現れた。二人はタリスに促されて、司令官
席の後方にある会議用テーブルに座した。
「二人ともご苦労さま。で、どうだった、キーツ?」
 アークライトは椅子ごと振り返って、会議用テーブルを前にした。
そして戦闘機隊長のサーレイス・キーツに話しかける。
「提督、セアの腕は本物です。並のパイロットよりは十分役に立ち
ますよ。技術は未熟ですが、素質は人並み以上です」
 その答えを聞いて、アークライトは舌打ちしたい気分になった。
勝つためとはいえ、子供を戦場に出すなど…。
「アークライト、セアくんをパイロットにするのか?」
  難しい表情になったアークライトに、やや皮肉っぽい視線を向け
ながらタリスが問うた。アークライトは黙ってキーツの横に座した
少年を見る。セアである。彼の深海の海水の色をした瞳はアークラ
イトを直視していた。
「そんなつもりはない。子どもを戦場へ出すわけにはいかん」
 アークライトは、セアの瞳に、内心僅かにたじろぎながら言った。
なかなかどうして、子どもというのは、時として大人の想像を越え
る存在となる。もしかしたら、自分はセアの能力に恐れを抱いてい
るのかも知れない。セアは自分の計り知れない力を持っているので
はないか。アークライトはふとそんな考えを抱いた。得体の知れな
いものへの恐怖。人が本能的に持つ感覚である。
「セアくん。試しに聞いてみるが、君はパイロットになる気はある
のか?」
  タリスは相変わらずの口調で尋ねる。人によっては冷淡な印象を
受けるだろう。セアはアークライトの傍らで静かに立っているタリ
スに一瞬視線を転じて、すぐに目を伏せた。
「−わかりません」
  タリスは小さく頷いた。それを見ずにセアは続ける。
「でも、あまり乗りたくありません」
「そうだろうな」
  アークライトは憮然とした口調で答えた。機嫌を損ねたような感
じである。自分に対して腹を立てているのだろうか。それっきり口
を閉ざしたアークライトを軽く見やって、タリスは口を開いた。
「わかった。セアくん、部屋に戻って結構だ。ご苦労だったな」

 しばらくして、キーツがアークライトに話しかける。
「提督、セアのことですが…」
 内心身構えつつ、アークライトは応じる。
「何か?」
「先の戦闘でパイロットの不足が決定的になりました」
「それはすでに聞いている。このラグランジュ同盟軍が正規軍では
ない以上、十分な補充は望めない。君が一番よく知っているはずだ
がね」
 アークライトの口調はぶっきらぼうと言うより投げやりだ。言葉
を発するのさえ厭わしい、そんな調子である。
「そういう状況です。彼は重要な人材だと思いますが」
「言っただろう。子供に戦争はさせられない。君にも、それくらい
のことは十分理解できるはずだと思うが」
「ですが、彼ほどの技量をもってすれば、戦力は飛躍的に増強され
ると思います。現にフラスを並みのパイロットより上手く飛ばせる
んですよ」
 その時、沈黙を守っていたタリスが、まるで関係のないことを言
うようなさりげなさでキーツに問うた。
「キーツ隊長、戦闘機パイロットの養成にはいくらかかるか、知っ
ているか?」
「は?」
 唐突と言えば唐突な質問に、キーツはただ錆びた銅色の瞳に瞬き
を繰り返す。
「費用だよ。戦闘機のパイロットを一人養成するのに、いくらかか
るだろうか」
「…自分の知る限りでは、4、50万ユームズを下らないはずです
が、それが何か?」
 タリスは黙って肯いて、傍らのアークライトを見やる。
「単純な経済の問題だ。今から40万ユームズかけてフラスのパイ
ロットを育てるか、すでに扱える者を使うか。仮に戦争が2、3年
続いたとしても、40万稼げるパイロットはそうおらんだろう」
 アークライトは心底驚いたようにタリスの横顔を見上げた。
「…お前が経済を持ち出すとは思わなかったな」
 辛うじてそう言うだけであった。本人は精一杯の皮肉を込めたつ
もりであったが、声がすこし震えたため、完全には成功しなかった。
「経済というより効率の問題だがね」
 と前置きしてタリスはアークライトを見据える。
「感情論ではお前と同じだよ、アークライト。だが我々とてボラン
ティアで戦争をやっているわけではない。現にこのアルマリックを
動かすのも、日に万単位の金が必要なのだぞ」
 そして思い出したように付け加えた。
「それに、フラス発進の際に破損したカタパルトの件もある。戦闘
における損傷となっているが、本来なら弁償ものだ。働いて返せと
は言わんし、不問に付すつもりだがね」
「フラスを遊ばせておくのは、戦力の面から見ても明らかに不利で
す。一日も早く戦争を終わらせるために、使える力は使うべきでは
ないでしょうか」
 まったくそうなのだ。言っていることは正しい。司令官としては、
いかに効率よく敵を倒すか、というのが至上命題である。だが、そ
れが人間として正しい行為かどうかは別問題である。
「…それは十分承知している。しかし、本人にその意志がなければ
なるまい。彼はあまり乗り気ではなかったようだ」
 最後の抵抗か、とタリスは目を閉じる。嫌われ役は慣れている。
だからこそアークライトの補佐役を自ら選んだのだ。
「意志、ですか…」
 キーツも納得したように、ため息交じりに答えた。
「だが、状況によっては、その意志を無視せねばならないかも知れ
ない」
「…どういう意味だ、タリス?」
「言葉通りの意味さ。彼の素質が明らかになった今となってはな」
 アークライトも認めざるを得ない。セア少年の技量が公開されて
しまったため、最悪の場合、艦を守るために彼をフラスに乗せなけ
ればならない状況が起きないとも限らない。でなければ、何のため
の飛行テストであったのか。アークライトとしては、先日のセアの
活躍が奇跡であって欲しかったのだが…。
 アークライトが思考の迷宮に入り込んでいた時、淡い色の髪を揺
らして、パイロットの一人、エフリート・リニスが艦橋に入ってき
た。
「提督、ウィロームくんの飛行、ご覧になりましたよね? 本当に
すごいですね。わたし、この前、まさかフラスにウィロームくんが
乗ってるなんて思わずに、『勝手に持ち出して!』って怒鳴っちゃ
って…」
 普段はおとなしい感じの彼女が、珍しく興奮気味にまくし立てて
いる、つもりなのだろうが、のんびりした口調なのでやや間延びし
た調子に聞こえている。彼女にとっては、本当に何気ない話題だっ
た。タリスもキーツも苦笑をひらめかせたが、アークライトは一瞬
形相を変えて彼女を睨み付けた。
「リニス、君は世間話をするためにここへ来たのか?」
 アークライトの変貌はほんの一瞬だったが、それでも隠しおおせ
たものではない。リニスは、いつもとは少し違うアークライトの態
度をいぶかしんだ。彼らしくない高圧的な態度で、当たり散らして
いるような感じである。それを見て取って、リニスも表情と口調を
改めた。彼女も彼女で、普段の様子からは分かりにくいが、負けん
気の強い性格である。自分の気に障ることがあると例え上司でも突
っかかってくる。それが原因でアルマリックへ乗り組むことになっ
たらしいが、よくは分からない。
 彼女はわざとらしい口調で言う。
「失礼しました、アークライト司令官。エフリート・リニス、これ
より、月面のMI社工場へ行ってまいります」
 音を立てて踵を合わせ、敬礼でもしそうな雰囲気である。もっと
も、彼女はそんなことは絶対にしないが。
「新型機の受け取りか?」
 二人の水面下の抗争、と言うより子どもっぽい意地の張り合いを
察したキーツが、何気なく割って入る。タリスはというと、先程か
ら我関せず、という様子でそっぽを向いている。相変わらず苦笑を
しているようではあるが。
「ええ、K3という機体です。K2、フラス・ナグズのようなもの
でなければ、いいんですけどね」
「そう願うことにするよ。気をつけてな、リニス。キーツ、お前も
休んでいいぞ」
 アークライトは先程の態度を恥じるように、ややうつむき加減に
言った。そしてキーツとリニスに視線を合わせないようにしながら
立ち上がる。
「タリス、しばらく頼む」
 そう言って、パイロット二人の間をすり抜けて艦橋を出ていった。
「わかった」
 タリスの返事を遮るようにエレベーターのドアが閉まる。リニス
は小首をかしげてそれを見、そしてキーツへ視線を転じた。彼女が
向けた視線の先で、キーツは軽く肩をすくめた。

 自室に戻り一人になったアークライトは、心を落ちつけるかのよ
うに、窓の向こうの静かな星々の海へ視線を注いだ。だが、それは
冷たい光となって彼の心に突き刺さる。
「まだこんな感情が残っていたとはな…。4年前に捨てたはずなの
に。甘いと思うか…?」
 誰に発した問いだろうか。その言葉は彼の感情とともに闇へと消
えていった。少なくとも彼はそう思おうとした。



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