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天翔ける騎士 第4章「飛翔…」

Cパート


"for Whom?" C-Part


 まさか討伐艦隊が全滅するとは予想できなかったらしく、連邦軍
の反応も想像以上に鈍かった。これには、ロンデニオン・ファディ
レによるラグランジュ同盟の決起宣言も影響していることは明白で
あろう。MI社を始めとする民間企業の協力を得て、地球圏のほぼ
全域に張りめぐらされていたラグランジュ同盟の情報網には、SS
12攻防戦3日後の14日を過ぎても、連邦軍の艦隊出動の情報は
入ってこない。
 当時の人類社会で3大企業といえば、火星のMI社、月面やSS
1に拠点を置くルナ・ヒューカス(LH)社、そして小惑星帯に拠
点を置き鳳技研などを傘下に収めているフェニックスグループであ
る。この3社はグループ、下請けなど関連を全てを含めると、人類
の総資産の実に60%を動かしている計算である。当然連邦にも深
く食い込んでおり、そのセクションから得られる情報は迅速かつ正
確だが、その情報網を以ってしても、連邦内部の動きは見えてこな
かった。
 しかし、連邦軍には偵察艦や偵察機の部隊が存在する。それらが
動かない中央部隊の代わりにやってくる可能性は大いにあった。ア
ークライト艦隊が、常に警戒を怠らなかったのは当然である。アー
クライト艦隊の第1級警戒態勢は12日の戦闘終了後から実に80
時間近くに及んだ。

 9月15日、アークライト艦隊は、SS9方面から接近する戦闘
機群を捕捉する。わずかな時間の観察でそれを敵戦闘機と確認しす
ると、直ちに艦隊の全戦闘機隊に出撃命令が下った。しかし。
「提督、パイロットの絶対数が不足しています! このままでは、
出撃数は敵の7割にも届きません」
 パイロット・スーツに身を包んだサーレイス・キーツは艦橋に上
がり、アークライトに詰め寄っていた。すでに発進準備は整ってい
る。あとは発進命令を待つだけの状況下であった。
 接近中の戦闘機群は測的の結果、3個大隊相当約100機である
と判明している。対してアークライト艦隊は、搭載可能数こそそれ
に匹敵するが、もともと保有数が少ないうえ、先日の戦闘で撃墜さ
れたり、被弾して修理中の機体もある。
「それを考えると敵の6割といったところですね。この艦に限って
言っても、リニスが不在ですから彼女の小隊の指揮も…」
「どうしればいいというのだ、私に」
 アークライトは苛立った声を上げた。
「パイロットは一人でも多い方が有利です。セアを出しましょう」
「馬鹿なことを言うな、子どもを…」
 不機嫌そうに口をつぐんだ。先日の一件を忘れたわけではない。
指揮官として一軍を預かる以上、その利益を最優先しなければなら
ない立場にある。だが。
「しかし、このままでは…。彼の才能は十分役に立ちます」
「このまま我々が敗退すれば、SS12の武力占領は免れないだろ
うな。他のSSだってどうなるかわからん。そうなれば、もっと多
くの子どもたちを戦争に巻き込むことになる」
 アークライトの決断を促すように、あるいは彼の代わりに言い訳
をするが如く、タリスは静かに言う。もっとも彼が「静かに」言わ
なかったことなどないのだが。そして付け加える。
「一人の少年の生涯を狂わしてしまうかもしれないが、それもお前
の決断次第だ」
 アークライトの決断は理性と感情の狭間を漂う。
 そうだ自らの判断が一人の少年の未来を決定することになりかね
ないそれは半ば自分自身が招いた結果でもある彼らを保護しなけれ
ばこのような事態にはならなかっただろうがあの時彼らを見捨てる
ことは自分には出来なかった一時の感情を優先させた結果その後の
感情を捨てざるを得なくなるとは皮肉だが多くの命を預かる身とし
てなるべくその多くを救わなければならないそのために使えるもの
であれば使わなければ指揮官たる資格はないそれセアの飛行テスト
の後自分はあの感情を捨てたはずだ今さら何を言っても言い訳にな
るなら立場に徹するべきだいずれ報いが罰があるその日まで指揮官
としての論理を貫く4年前に自ら課した課題でもあるだから今は彼
には悪いがそれがベストの道なら私はそれを選ぶいや選ばなければ
ならないそうだ。
 ついにアークライトは折れた。
「…確かに、パイロットは多い方がいい。彼を説得してみるが、失
敗した場合は、あきらめてくれるな?」
「いいでしょう。行きますか」
 うん、と肯いてアークライトは傍らのタリスに告げた。
「すまん、しばらく頼む」
「ああ」
 タリスはエレベーターに乗り込む二人を見送り、正面へ向き直っ
た。前方のフロアでは接近中の敵部隊についての情報が飛び交って
いた。それを半ば無視するように彼の唇がかすかに動く。
「すまんな。セアくん」
 口の中で呟いたその言葉は、当然ながら彼自身にも聞こえなかっ
た。それでいい、と思う。この立場で謝罪したところで偽善でしか
ないだろう。なら聞こえるだけ無駄だ。だが、呟かずにはいられな
い気持ちもまた、真実であった。

 アークライトとキーツは子どもたちの部屋のドアをノックした。
いきなり開けることもできるのだが、そうはしない。ほどなく返事
があって、シャルが顔を出した。リニスにでも貰ったのだろうか、
リボンで髪をしばっていた。肩にかかる程度の長さであったが、よ
く似合っている。服はTシャツに作業服の下と、整備員とあまり変
わらないような格好だったが、それでも清潔な新品らしい。
「どうしたんですか、アークライトさん、キーツさん」
 当然ながら訝しんでいる。考えてみれば、二人を訪ねたことはな
かった。
「セアくんに用がある」
「何でしょう」
 狭い部屋である。アークライトの声にセアが姿を見せた。シャル
と似たり寄ったりの格好だが、あまりいい表情ではない。自分が訪
ねられた理由を、あるいは分かっているのかもしれない。
「敵の戦闘機隊が接近しているのは知っているな」
 アークライトが口を開いた。割り切ってはいたが、それでも迷い
はあった。
「ええ。艦内放送でいってましたから」
「戦闘機のパイロットが不足しているんだ。君にも出て欲しい」
 キーツが言葉を継ぐ。
「ちょっと待ってください! 何でセアが…」
 叫んだのはシャルだった。彼女はアークライトとキーツに詰め寄
った。陶器のような白い肌に血が上って、すこし赤みがかって見え
る。
「セアくんには素質がある。君も知っているだろう?」
 アークライトの声は冷淡にも聞こえた。
「でも、セアは…」
「セアくん、行ってくれるか?」
 アークライトはセアに向き直る。今となっては後戻りできない。
「僕は、戦いたくありません。前にも言いましたけど」
 シャルがそれに合わせて大きく肯く。
「しかし、君が出てくれないとみんなが死ぬ。生きていてこそ、戦
いたくないと言えるんだよ」
 我ながら詭弁だな、とアークライトは心のなかで自嘲する。
「でも、僕は子どもだし、この前だって勝手に動かしただけで…」
「君は戦えるよ。勝手に動かしたとは言っても、初めて乗ったにも
関わらず敵機を墜としているじゃないか」
 カタパルトの件は言わなかった。言ってしまえば脅迫になる。
「偶然ですよ、そんなの」
「確かに、そうかも知れん。しかし先日のテストは、偶然とは言え
ないのではないのか、セアくん」
 アークライトの声は、平静を保っていたが、それは、数々の感情
を苦労して隠蔽した結果だった。しばしの沈黙が漂う。シャルはハ
ラハラした表情で、セアとアークライトを交互に見つめていた。キ
ーツはアークライトが思いのほか積極的なので、一切を任せている
ようだ。そしてセアは、硬い表情でうつむいている。
 そのとき、激しい衝撃が4人を襲った。
「どうした!」
 アークライトは部屋のインターホンで艦橋を呼び出して問うた。
「コロニーの影から現れた敵機20機による攻撃だ。正面の敵は、
おそらく囮だな。他の艦は迎撃を始めている。我々も早く上げるぞ」
 タリスの落ち着いた声が流れてきたが、それでも若干緊張と焦燥
を帯びているようだ。そしてその言葉に、またも衝撃が続いた。前
のものよりもさらに大きかった。シャルが悲鳴を上げて膝をついた。
 その悲鳴に、セアはハッとなった。数瞬遅れて彼女に手を貸して
立ち上がらせる。彼女の手のぬくもりに、セアの目はかすかな決意
を宿した。一瞬の逡巡の後、顔を上げる。
「…行きます!」
 セアは言うなり、部屋から駆け出していった。シャルは咄嗟に手
を伸ばしたが、彼の指にかすかに触れただけだった。セアの姿は消
えていた。
「セア…」
 伸ばした手を持て余すようにシャルが呟く。なぜ彼を止めようと
したのだろう。彼がそうしたいのならさせればいい。彼の行動を制
約してはいけない。頭では分かっていても、それでも引き止めたか
った。セアには戦う必然がない。少なくともシャルにはそう思える。
彼女も鈍感ではないから、自分のためにセアが戦う決意をしたくら
いのことは分かる。しかし、実際に戦場に出るというのは論外であ
る。戦場に出て戦わなければならないのは、むしろ自分の方なのに。
「セア…」
 表情を隠すためか、うつむいて再び呟く。アークライトとキーツ
はその光景を眺めて顔を見合わせた。が、それも一瞬だった。すぐ
さまキーツがインターホンに取り付く。
「グーラン、出てくれ。リニス小隊の戦闘機の指揮を任せる。他の
部隊と合同して正面の敵機を頼んだぞ。私は別動隊を叩く」
 カタパルトデッキのダフィナ・グーランに指示を出したキーツは
受話器を戻しながらアークライトを見る。
「成功しましたね」
「…説得は失敗したがね」
 アークライトはシャルを見やった。また衝撃が襲う。どこかに深
刻な被害が発生したのか、遠くで警報のベルが鳴っているのが聞こ
えてきた。スピーカーが聞き取りにくい音で待避を呼びかけている。
「キーツさん、セアをお願いします」
 シャルはそんな周りの状況を全く無視して、あるいはどうでもい
いのだろう、静かにキーツに言った。
「セアは、わたしのために…戦う必要なんてないのに」
「セアは必ず生きて帰ってくるよ。私が保障する」
 キーツはそう言って部屋を出た。見え透いた方便であることを追
及されたくなかったのだろう。それを見送ったアークライトがシャ
ルに言う。
「シャル、この部屋はアルマリックでは一番深い区画だ。この前の
ようなことはないから安心して待っていてくれ。それから宇宙服は
着用しておきなさい」
「…はい」
 アークライトはそれだけ言うと艦橋へと戻った。後には、ただひ
とりシャルだけが残された。遠くでベルが鳴り響き、部屋の外は時
折慌ただしい足音と切迫した声が行き来する。
「セア…」
 大きな不安だけが、彼女を包み込んでいた。彼女を助け起こした
彼の手の温もりは、もう消えている。伸ばした手は届かなかったの
だ。
 突然先日のアークライトの言葉が浮かんだ。
「死ぬなよ。必ず生きて終戦をむかえるんだ」
 今のシャルには、ただの空虚な言葉の羅列にしか思えなかった。
犠牲の上に成り立つ平和。彼女には、それは偽りとしか見えない。
自分が守られ、自分を助けてくれた人が犠牲になる。それがたまら
なく醜悪なものに感じられる。犠牲にならなければならないのは自
分なのに。
「セアのために、戦わなきゃいけない…」



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