次へ    前へ    目次へ

天翔ける騎士 第5章「戦争という時間」

Aパート


"They are in the strange time." A-Part


 メリエラ・アークライト指揮のラグランジュ同盟軍地球圏派遣艦
隊は10月23日、SS12周辺宙域を進発した。初めて連邦軍と
交戦したのが9月11日から12日にかけてだから、ひと月以上時
間が経過している。その間、付近のSS駐留の戦闘機部隊や偵察部
隊、小規模な巡視艦部隊の攻撃は受けたが、大したものではなく、
大きな損害も出さずに退けることができた。9月いっぱいかかって
月の外側の軌道(外軌道)を制圧したアークライト艦隊は、10月
も半ばを過ぎて、ようやくというべきか、月面攻略を開始しようと
しているのである。
 艦隊の保守・整備・補給を完了し、SS12を進発するという情
報を各方面に流したところ、ようやく連邦艦隊出動の報が入ってき
た。実は9月下旬にも連邦艦隊出動の情報が入ったのだが、どうい
う事情からか急遽出動が取り止めになっている。
「ま、予定通りか…」
 報告を受けたアークライトは事も無げに呟いた。
 ラグランジュ同盟は反地球連邦政府組織という名目ではあるが、
その母体は月面自治都市連合セレーネや反連邦的なSSの、追放さ
れた旧幹部とその部下たちである。本拠地が火星であるとはいえ、
官僚組織はセレーネやSSのものを引き継いでおり、かなり強固で
ある。一方で現在の連邦政府もセレーネやSSによる自治時代の官
僚機構をそのまま移行していて、政策はともかく行政の面では自治
時代と何ら変わるものではない。
 対立があるとは言え、強大な官僚機構同士であればコネクション
は無数に存在する。両者の間で協定のようなものが結ばれていると
見ても、そう勘ぐったものでもなかろう。ある意味、戦争も予定調
和のひとつに過ぎないのかも知れない。歴史を省みても、そのよう
な例は無数にあった。だが一方で、そういう意思を無視して動く者
たちもいる。硬直しきった時代を動かすのは、そのような人々であ
るのだろう。

 ロンデニオン・ファディレの演説で、世論の大勢はラグランジュ
同盟の方向へ傾きつつある。いたずらに時間を与えれば、連邦が不
利になるのは目に見えている。現に演説から1ヵ月以上経っており、
援軍の第一陣は地球圏へ到着しつつあった。ファディレの本隊も1
0月19日に火星を発ったとの情報もある。ラグランジュ軍がこれ
以上の攻勢を見せるのであれば、連邦も手をこまねくわけにはいかな
いのである。
 しかし、連邦にはラグランジュ同盟にも知られていない事情があ
った。
 ラグランジュ同盟のテロによって上層部の多くを失った軍は、必
然的に若い者たちを登用せざるを得なかった。しかし、一向にラグ
ランジュ軍に対して反攻に出ようとしない上層部に業を煮やした一
部の将兵が、独断で艦隊を発進させた事件があった。宇宙艦隊司令
長官自ら艦隊を率いて阻止作戦を展開し、大気圏離脱の寸前に事態
をなんとか収拾した。これが9月下旬の艦隊出動情報の一件で、2
0日のことである。以来、独断で艦隊を動かした司令官は謹慎を食
らったそうだが、軍上層部と現場との乖離もかなりのところまでき
ていることを示す事件であろう。この始末に時間を取られて、ラグ
ランジュ軍に対して組織的な反攻が行えなかったのも事実であるが、
さらにもうひとつ大きな事件があった。
 10月2日、連邦政府最高会議首席であり、連邦軍の最高司令官
であったテラ総帥ローレンツ・ケムラーが、執務中に突然卒倒した
のである。すぐさま病院に担ぎこまれ、精密検査が行われた。生命
に危険は無いものの、老齢でもあり、数ヵ月の療養が必要と診断さ
れた。
 これまで4年間、形式はともかく、実態はケムラーによる軍事独
裁政治に近かったので、連邦政府や軍内部には大きな動揺が走った。
形だけとはいえ連邦政府の最高機関であった最高会議や、その下の
議会内部では、一部の議員を中心に権力を議会へ戻す運動が起こり、
ケムラー排斥の気運が高まった。他の議員も続々と加わって騒動は
拡大の一途をたどる。もちろん、9月の艦隊の無断出撃事件も尾を
引いて、明らかな反軍運動が勃興した。軍内部でも、艦隊無断出動
に関わった兵士を中心に、それに呼応する動きが見られるようにな
った。まったく主義主張は違うのだが、現今の軍体制に不満を持つ
点では一致していたのだ。
 ケムラーの片腕とも言われた宇宙艦隊司令長官のマーバット・カ
ウニッツ元帥は軍の中枢を急いで掌握し、核となる組織や人物を確
保した。次いで連邦政府の一般政務までも自らの管理下に置くと、
麾下の艦隊に命じて各重要都市の上空を制圧し、反乱の発生を未然
に防いだ。また別の艦隊を衛星軌道上に展開させ、混乱に乗じた地
球からの脱出者や宇宙からの降下のチェックを厳しく行った。こう
した処置により、軍内部はどうにか統制がとれたが、完全には至ら
なかったようだ。隠れたところで血が数滴流れたとも言われる。ち
なみに、これらの処置の副産物として、麻薬シンジゲートや軍物資
の横流し組織がダース単位で摘発されたが、それは全くの余談に過
ぎない。
 軍をまとめたカウニッツは、続いて議会の制圧に乗り出した。ケ
ムラーの命があったとされるが、それは定かでない。
「奇貨おくべし」
 カウニッツは明確に断じて、軍幹部たちに作戦の決行を命じた。
 ロンデニオン・ファディレの演説で、ラグランジュ同盟軍の攻勢
がSS12だけに止まらないことが明確になった以上、事は急がな
ければならない。内憂外患の事態を招くほどカウニッツは無能では
なかったし、そのような事態に陥った場合、万全に対処できるほど
絶対の手腕を持っていないことは自覚していた。
 議会制圧の命は10月10日に発せられたが、制圧自体がいつ行
われたか、正確な資料は残っていない。ただ、15日に対ロンデニ
オン・ファディレ艦隊(ALF)の出撃命令が下ったことを考えれ
ば、その前後に事態が収拾していた、あるいは収拾の見通しが立っ
ていたことが分かる。
 議会の制圧に参加したという兵士は、後にこう語った。
「あそこでは、いっそ武器を持った者のほうが、弱い存在だった」
 その彼は10月末日をもって依願退役しているが、その後の消息
は知られていない。

 ともかく、ケムラーを欠いた連邦は、カウニッツを始めとする軍
幹部の働きによって何とか統一を保ち、ラグランジュ同盟軍の攻勢
に対処できるだけの体勢を整え上げた。しかし、その分の時間はラ
グランジュ同盟に有利に働いたことに間違いはないだろう
 カウニッツを仮の頂点とする軍の最高幹部たちは、ラグランジュ
同盟が間接的にもたらした災難に頭を悩ませた。今後は直接的な災
難に頭を抱えることになるのだろうか。



次へ    前へ    目次へ