次へ    前へ    目次へ

天翔ける騎士 第5章「戦争という時間」

Bパート


"They are in the strange time." B-Part


 アークライト艦隊発進の目的は、地球への侵攻・降下。巷に流布
している情報ではそうなっていた。
「敵に選択肢を与えない」
 アークライトの戦略の基本構想のひとつである。より確実な予測
を行うために、敵の選択肢を減らすような行動をとり、かつ、敵に
選択肢が無いように錯覚させる。
「対ロンデニオン・ファディレ艦隊が出てくるな」
 情報の収集と分析、そして思索の結果、アークライトが出した結
論であった。まあ大方の予想通りだが、司令官としては安易な決め
つけは控えたかったのである。アークライトはどんなに装おうとも
根は生真面目で善良な男である、というのが彼の補佐役であるイー
ド・タリスの見解であり、それは彼の乗する旗艦アルマリックのス
タッフに共通の見解でもあった。
 対ロンデニオン・ファディレ艦隊、略称ALFは、連邦軍内でも
最大の艦隊のひとつである。戦艦35隻を擁する大艦隊は、連邦軍
の最精鋭でもあった。
 現在アークライトは、25隻を指揮している。先日のSS12攻
防戦で、20隻のうち2隻が撃沈され、3隻が戦闘不能に陥ったが、
修理と、MI社を始めとするラグランジュ同盟のスポンサーから提
供された艦艇で、若干ではあるが戦力の増強が図られていた。
「それでも数の差は、いかんともしがたい…」
 アークライトは不意に口をつぐんだ。タリスは後日述懐するには
次のようになる。
「彼が戦争嫌いだったのは間違いない。ただ、それをよく忘れてい
たのだと思う。仕事の都合でね」
 アークライトは、本来軍人を志したわけではなかった。もとは、
MI社の月面支社の輸送部門の貨物船の乗組員だった。勤勉で真面
目な、模範的な優秀社員であった。当然、上司の信頼も篤く、将来
は船長の地位も嘱望された身でもあった。
 MI社といえば、セレーネ独立戦争以前から、有数の巨大複合企
業として経済界で絶大な発言権を持っており、一部のマスコミから
は「火星の支配者」とまで言われていた。特に兵器製造に関しては、
あちこちの企業から有能な技術者を引き抜き、業界に並ぶものはい
ないほどである。現在の連邦政府とも浅からぬ繋がりがあり、多少
の非合法行為にも目をつむってくれている。だからこそ連邦に匹敵
する兵器の開発も可能なのだが。
 MI社の経営陣は、ラグランジュ同盟発足以前から反連邦政府の
立場にある者に接近を図り、同盟発足と時を同じくして、戦闘機の
納入と新型戦闘機の設計開発を委託されることになる。
 MI社経営陣には地球出身者は皆無で、全員が宇宙市民と呼ばれ
る者たちである。経営者としてはともかく、宇宙市民として見れば、
地球本位の姿勢を持つ連邦政府とテラには反感を抱きこそすれ、と
うてい協力する気にはなれないのである。企業としてこそ連邦とも
大口の取り引きを行っているが、本心は完全に同盟への肩入れであ
った。そこで、表面上は連邦に協力するふりをして、実際にはラグ
ランジュ同盟を全面的にバックアップしているのである。
 さて、アークライトは貨物船の船員とはいえ、人類社会有数の巨
大企業の社員であった。安定した収入で、自分自身と年老いた両親
を不自由なく養っていた。西暦2186年の時点で彼は26歳であ
った。結婚はしていなかったが、恋人はいた。学生時代に知り合っ
て、かれこれ10年近くの付き合いであった。
 2187年、ケムラー戦争が勃発する。開戦当時、彼は定期便に
乗り組んで木星へ赴く途中だった。そして、地球圏へ戻ってきたと
きには、両親も恋人も、MI社月面支社のあったスタフォード市の
コロニードームも、全てが失われていた。後世に悪名を轟かせる、
ケムラーのコロニー落としであった。ケムラーは、当時の経済を支
えていた企業の地球圏における拠点を叩いたのである。
 アークライト始め、クルー達は相談の上、無事だったMI社SS
12支社で燃料の補給を受けたあと本社のある火星へと向かった。
そこで、かのロンデニオン・ファディレに出会ったのである。ファ
ディレはSS2攻防戦の後、敗走するところをMI社の輸送艦に救
助され、以降MI社の保護下にあった。
「私とともに、テラに復讐する気がある者はいるか」
 月の英雄の言葉に、アークライトは真先に名乗りを上げた。テラ
に復讐したいという気持ちはあった。それが第一であるが、それだ
けではない。優秀な者は、だいたいにおいて同僚からやっかまれる。
彼の場合には、加えて名前に関するコンプレックスがあった。
 彼の父親は、変に頑固なところがあって、生まれてくる子を女の
子と勝手に信じ込んで、名前まで決めていた。しかし、生まれたの
は男の子である。名前を考え直せばいいものを、「メリエラ」とい
う娘のための名前を息子に付けてしまったのだ。女性の名前を付け
られたアークライトは、子どものときから何かと言われてきた。船
員仲間からも「軟弱なエリート」と陰口を叩かれていた。
 別にそれを気にしていたわけではないが、両親と恋人の死という
逆境において、何か自分にできることは、と考えた結果であった。
後になって
「変な見栄を張ったものだなあ」
 とぼやいたものだが、後悔したわけでもないだろう。今になって
思い返すと恥ずかしい、という程度の感情である。
 こうして、メリエラ・アークライトはラグランジュ同盟に参加し
たのであった。
 それでも、多くの罪のない人々が無意味に殺されていく戦争は彼
が最も嫌うものであった。理論的にも戦争が大きな過ちであるとい
うことは判るのだが、それ以前に生理的嫌悪感があるのである。艦
隊司令官になる前、幾度となくテロ活動を行ってきたが、目の前に
爆風でちぎれた人間の腕が飛んできたときなど、1週間は食欲が湧
かなかったものである。今でも、時折思い出して吐き気を催すこと
がある。艦隊司令官になってからは直接血を見ることがなくなって、
不謹慎かつ本末転倒とは思いながら、内心ほっとしているのであっ
た。そして、そんな自分を見て、より一層嫌悪感を募らせていくの
である。
「厄介な人間だな、お前は」
 とタリスなどは苦笑混じりに言うが、アークライト自身が全くそ
の通りと思っているので、いちいち反論はしない。とにかく、彼は
あくまで戦争嫌いであった。
「とは言いながら、自分は人殺しの集団の指揮官か。言行不一致も
いいところだな」
 自嘲とも、皮肉ともつかぬ口調で、彼は言う。
「しかし、多くの命を預かった身だ。無駄に殺すわけにはいかない」
 味方の多くの人命が、自分の指揮にかかっていることは、十分承
知している。彼は、自分の体内で、矛盾の度が日増しに増大してい
くのを感じ取っていた。
「戦争を早く終わらせれば、子供たちが戦場へ出ることもなくなる
か…」
 彼は、ふと旗艦に乗っている二人の子供のことを考える。
 セア・ウィロームとシャルレイン・セラム。SS12攻防戦の直
前、連邦の捜査官に追われているところを、アークライトが保護し
たのだった。そして、セアはSS12攻防戦以降、数度の戦闘に参
加し、今ではアークライト艦隊を代表するエース・パイロットとな
っている。
「子供を戦争に巻き込むことになろうとは…」
 アークライトの理性と感情は完全に相反していた。感情は、この
言葉である。自分自身の中でケリをつけたはずだが、それでも愚痴
っぽく出てしまうのは、彼の性格からすれば仕方ない。
 一方、理性は、
「子供とはいえ、優秀なパイロットだ。一刻も早く戦争を終わらせ
るためにはやむを得ない」
 と告げている。司令官としての彼が選んだ道でもある。
「これが、戦争か…」
 アークライトは唇を噛んだ。戦争という醜悪な怪物が作り出す矛
盾。それが彼を飲み込んでいる。
 そもそも、「戦争を終わらせるために勝つ」という思考自体が、
おかしい。戦争とはつまるところ人殺しである。人殺しを終わらせ
るために、人殺しをするのである。それが人類の持って生まれた性
だとすれば、何と悲しい生き物だろうか。アークライトは別に人類
に絶望しているわけではないが、ふと徒労を覚えることもあった。
「…罪は、いずれ償わなければならない」
 彼は目を閉じた。今まで死んでいった多くの人々に、これから死
んでいく人々に、そして、自分自身に向かって黙祷をささげたのだ。



次へ    前へ    目次へ