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天翔ける騎士 第5章「戦争という時間」

Cパート


"They are in the strange time." C-Part


 セアが初陣から帰還してきたとき、シャルは、涙とともに彼に抱
擁した。それほどうれしかったのだが、それは自分に対する嫌悪感
の裏返しだった。彼女は、セアが戦うのは彼女自身のためだという
ことが判っていた。それだけに、セアが無事に帰ってきたことが何
よりうれしかったのである。
 今まで抑圧していたセアに対する感情が、一気に噴き出したのも
そのせいであろう。白磁の肌に宵空色の髪、春陽を思わせる穏やか
な色の瞳と、一見するとお嬢様然とした彼女だが、こうまで激しい
感情を持っているとは意外である。傍らで見ていたキーツら戦闘機
のパイロットたちも唖然としていた。
「セア、セア…」
 彼女はただ、泣きながらそう繰り返すだけだった。意味を持つ言
葉は、何一つ出てこない。ただ、抑えきれない感情が、涙と意味の
ない言葉とともに溢れ出るばかりだった。セアもどうしていいか分
からず、シャルの背中に手を置いたまま視線を漂わせる。ふとグー
ランのそれと交わったが、彼はニヤッと笑って視線を逸らしてしま
った。微かな失望を感じながら、その横にリニスを見るが、彼女は
胸の前で両手を握って、微笑みながらふたりを眺めている。セアが
視線を送っても、にっこり笑うがそれ以上のことは何もしない。ほ
とんど絶望的な気分でキーツを探すが、セアの見たものは、艦橋へ
通じるエレベーターに乗り込む彼の背中だけだった。
 シャルの体温を感じるのは悪くないし、むしろ心地いいものなの
だが、衆人環視ではどうも体裁が悪い。顔を真っ赤にしながらセア
やようやくシャルの肩を掴んで、少し体を離した。
「セア、わたしね…」
 落ちついたのだろうか、シャルはその春の太陽の瞳でセアを見つ
めて口を開いた。セアは微かに動く彼女の唇を見て、何となく視線
を逸らす。少し体を離したとは言っても、密着とほとんど変わりな
い。汗臭いパイロットスーツにはなるべく近づいて欲しくなかった
のだが、シャルは全然気にしていないようだ。
 このとき彼女は、2つのとこをセアに告げるつもりであった。
「…わたし、わたしもパイロットになる」
 本当は2番目に告げようと思ったことを、先に口に出してしまっ
た。やっぱり怖い。
「え?」
 我ながら間の抜けた声だ、と思いながらセアが問い返す。
「…パイロットになる。セアと一緒に戦うの」
「…何言ってるの! なんでシャルがパイロットなんかに…」
 ようやく彼女の言っていることが分かったが、少しも嬉しくはな
い。怒りに似た感情を覚えて、セアは珍しく大声を上げた。
「わたし、セアから離れたくない。ここでずっと待っていて、不安
で不安で、しょうがなかったもの」
 シャルの瞳は真剣だった。春の太陽の光は、いつになく激しい。
初夏のころを思わせた。先程の抱擁が動的な爆発だとすれば、今度
は静的な爆発との言えよう。セアは深海水色の瞳に困惑の色を浮か
べた。墨色の髪に手をやる。汗で湿った手触りは、あまり気持ちい
いものではない。
「だって、パイロットなんていつ死ぬか判らないんだよ。僕だって、
目の前でたくさん人が死ぬのを見たし…」
 セアはいったん言葉を切った。気持ちを整理するためだ。
「それに…僕もたくさんの人を殺した」
 そう言ったとき、それでもセアは自分の心に、冷たい水がしみ込
むような感覚を覚えた。そうだ。分かっていた。戦うということが
どういうことか。シャルのためという理由があっても、戦うという
ことがどういうことか。だから戦いたくなかった。でも、シャルを
守るためには戦わなくてはいけない。だから戦う。
「シャルに人殺しはさせられないよ」
 自分が持つ複雑な感情を全て排して、セアは言った。それは本心
である。しかし、それが全てではない。自分が守るべき対象が戦場
へ出てきてしまったとき、自分は果して守りきれるのだろうか?
万が一、その対象が失われてしまったとき、自分はどうなってしま
うのだろうか?
 そんな恐れも彼の中にあった。それに、戦うのは自分一人だけで
いい、という少年らしいヒロイックな思い込みがある。増長とは言
えなくても、英雄願望に近いもの、自己犠牲とそれに酔っている部
分もあるだろう。
 シャルはそんなセアの微かな思い上がりが気に障ったようだ。
「人殺しには違いないけど、わたしは、ただ、この戦争を早く終わ
らせたいの」
 セアは不審そうな表情をする。彼女と知り合って間もないが、強
い口調をしたとこは一度もなかったのだ。彼女の常の口調は、穏や
かでありながら、どこかに芯の強さを感じさせるものである。殊更
に強い口調というのは珍しかった。セアにはそれが彼女の苛立ちだ
というのが分からない。
「どうして?」
 セアは思わず聞いてしまった。普段ならこんな小児病のような反
問はしないのだが、シャルの強い口調に疑問を感じたのだ。それに、
セアとていつもの精神状態ではなかった。実戦を体験した影響だろ
うか、あまり頭が回らない。
「だって…」
 彼女は、この後に続けるべき言葉を持っていた。しかし、彼女は
それを口にすることはできなかった。それを口にした瞬間、自分と
セアとの関係が崩れてしまうのではないか、と思えたのだ。自分と
セアとの距離が宇宙の端と端以上に離れてしまうのではないか、と
思えたのだ。だから、初めにもそれを口に出せなかったのである。
それも苛立ちの原因である。
「…だって、このまま戦争が続けば、もっと多くの人が死んでしま
う。そんなのいやだもの」
 とっさに思いついたことを言って、急場をしのいだ。しかし、言
ったあとで、セアの視線を受けて心臓の鼓動が早くなった。彼女は
どうやら嘘はつけない性格らしい。特にセアに対しては。シャルは
動揺を悟られないように、そっとうつむいた。セアに対して怒って
いるわけじゃない、と思う。腹を立てているのは自分に対して。そ
れでも、自分を分かってくれないセアに腹を立ててしまう。分かっ
てもらえるはずなんてない。セアは何も知らないのだから。
「そっか、甘えたいんだ、わたし…」
 何となく悲しい気分で呟いた。自分の本当の姿を知ったら、きっ
とセアは自分を嫌いになるだろう。確信に近い気持ちでシャルはそ
う思った。根拠も何もありはしないのだが。
 セアはシャルを見やって、何か言いかけたが、結局何も言わなか
った。しかし、彼女がパイロットになるのに反対なのは、瞭然であ
る。
 グーランとリニスはそんなふたりを面白そうに見守っていた。他
のパイロットはシャワーを浴びに行ったり休憩室に入ったが、この
2名だけは何となく気になって成り行きを見ていたのだ。キーツは
報告に行ったまま、まだ帰ってこない。
「なあ」
 グーランが傍らのリニスに声を掛けた。彼女とかなり背が違うの
で、少し屈まなければならない。リニスも彼を見上げた。
「ああいうのも痴話ゲンカっていうのか?」
「…ばか」

 シャルはその日のうちにセアの反対を押し切って、アークライト
にパイロットになりたい旨を伝えた。アークライトは、さんざん渋
りながら、キーツら戦闘機隊の懇願もあって、後日飛行テストを受
けさせることにした。パイロットの不足と、シャルの並々ならぬ熱
意がアークライトを動かしたのである。
「毒食らわば皿まで、か…」
 アークライトはぼやいたが、タリスは答えなかった。何を今さら、
という気分なのだろう。
 テストの日、リニスが突然申し入れを行った。彼女が月面から輸
送してきた新型機にシャルを乗せてはどうか、というのである。在
来機に余裕はないし、その新型機もフラスと同等の操縦系を備えて
おり、従来のパイロットには扱いにくいものであるからだという。
「皿を食ったら、次はテーブルをかじるがよかろう」
 タリスはにこりともせずに言う。その言い草にリニスも思わず吹
き出してしまったが、アークライトも諒解した。駄目で元々なのだ。
 …そうは思ったものの、テストの結果にアークライトはまたして
も頭を抱えることになった。白い新型機「エヌマ・エリシュ」はシ
ャルの操縦の下、セアには若干劣るものの水準以上の技量を示した
のだ。
「すごーい! セアくんだけじゃなくてシャルちゃんも?」
 艦橋へお茶とお菓子を運んできたキョーコがシャルのテスト飛行
(セアの訓練飛行も兼ねていたが)を見て感嘆の声を上げた。普段
からにこにこしている顔が、一層笑っている。艦橋のメインスクリ
ーンにはセアのフラス・ナグズとシャルのエヌマ・エリシュの、ダ
ンスを踊るような飛行が映し出されているた。傍らにはキーツのペル
ーンが飛んでいるが、黒と白の対比の中では、どうしても影が薄く
なってしまう。
「最近の子どもは、どうかしている」
 苦々しげにアークライトは呟いた。セアだけならば、まだ納得は
いく。世の中にはそういう人間もいるだろうから。しかし、シャル
までも、ということになると事情は異なってくる。何か悪魔的なも
のすら感じるのであった。艦橋に上がってテストの様子を見ていた
グーラン、リニスなどの戦闘機隊の面々は喜んでいるが、アークラ
イトは胃を痛めるどころではない。ブランデーをあおって、そのま
まベッドにもぐり込んでしまいたい気分である。
『何でシャルがそんなに上手に飛ばせるの!』
 無線でセアの声が響いた。往生際が悪いようだが、シャルをパイ
ロットにしたくないというのは彼の優しさである。むしろシャルの
方がこの場合はわがままなのだろう。
「…人のこと、言えないんじゃないかしら?」
 冷静にリニスが指摘した。グーランや艦橋のスタッフもしきりに
肯いて賛意を表している。アークライトやタリス、クライブ艦長は
苦笑しているようだ。
「何か、わたしも調理師免許が取れそうな気がします」
 これはキョーコ。妙なところで自信を付けたような口調である。
「…何か悪行でも重ねてきたかな」
 苦笑ついでに冗談半分で呟いた一言に、彼はショックを受けた。
艦隊司令官になる以前から、ラグランジュ同盟のメンバーとして様
様な非合法的活動に従事してきた彼である。テロ活動もやってきた。
連邦やテラの要人暗殺もやってきた。その際の組織力、指導力、戦
術・戦略眼がロンデニオン・ファディレの目にとまり、司令官に抜
擢されたのだが、テロに際して、罪のない一般市民を巻き添えにし
たこともある。そして、今では艦隊司令官として、数千単位の人命
を奪う身である。その報いとすれば、これほど彼に相応しいものも、
ないような気がする。
「罪を犯した者は、それに値する罰を受けなければならない、か?」
 心の中を読んだようなタリスの言葉に、アークライトはドキッと
なった。誰が言った言葉だろうか。正しいことだと思う。しかし、
それでいて何と空虚な言葉であろうか。
「結局、言葉は言葉でしかない、ということか。現実の前では何ら
効力を持たない」
 ようやく、現実を受け入れられる気持ちになった。もっとも、連
邦軍の最精鋭、ALFを迎え撃つ身としては、受け入れざるを得な
いというところだろう。

 10月25日。
 月軌道上、SS7付近の宙域で、アークライト艦隊とALFは対
峙することとなった。



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