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天翔ける騎士 第6章「動き出す、時」

Bパート



"with you..." B-Part


 会議室で低い、やや老いの感じられる声が響いた。
「それでは、始めよう」
 宇宙艦隊司令長官カウニッツが切りだしたのである。
 ケムラーが連邦艦隊の司令官であった頃からの部下で、先代の司
令長官ハルステッド元帥の急逝によって、ついに元帥にまで上りつ
めた男であった。役職にしても階級にしても一同の中では格が一番
高いが、その抜け目無さは尋常でない。
「最初に、統合作戦本部長から戦況の報告がある」
 その言葉を受けて、ミル・アジェス元帥が立ち上がった。一同を
冷たい視線で眺め回してから、メモを片手に口を開く。
「反乱軍は、先程SS7近くの宙域において、ALFと交戦状態に
突入した。敵艦隊はおよそ25隻という報告がなされている」
 彼は無表情な男として知られていたが、この時もまったく平静に
言ってのけた。周りは平静ではいられない。ざわめきが起こる。
「で、どうなのです?」
 スターク・オーン大将が身を乗り出すように尋ねた。巨体がデー
ブルを圧迫し、軋んだ音を立てる。
「わからない。開戦の報を受信した直後から通信がつかない。おそ
らく、妨害物質が散布されたのだろう」
 一同が考え込むように視線を落とした。
「アビー中将は優秀な司令官だが、敵はどうなのかな」
 ニンリル中将が独り言のように呟く。
「キッサー少将の討伐艦隊や、ウィグナ大佐の戦闘機隊を撃破した
程の手腕だ。我々が束になっても苦戦するかもな」
 アーマンド大将はそう言って笑ったが、その声には生気が欠けて
いた。視線の先にはカウニッツがいる。
 その視線の先で、カウニッツがわずかに頷いたようだった。
「敵艦隊司令官の素性については、MI社の筋から調べていると聞
きましたが…」
 オーンはアジェスに尋ねる。オーンが同僚の若者と言葉を交わす
ことは、あまり多くない。
「ああ。しかし、あの手の企業は政府や軍と言えども、簡単に調査
はさせてくれない。ルナ・ヒューカス社を通すしか、今のところ方
法はない」
 と、いつもの鉄面皮が微かに歪んだ。
「MI社相手に強権発動するというのは、火星圏15億の市民に喧
嘩を売るのと同義だ」
 アジェスの言葉が終わるのを待って、カウニッツが口を開いた。
「それはともかく、貴官らの言う通り苦戦が予想される。そこで、
事後承諾で済まないが、援軍としてSS4駐留のモーア少将の艦隊
を出撃させた」
 カウニッツの常套手段であった。独断で決定し、それを事後承諾
という形で認めさせる。それは別に構わないのだが、若者たちは、
いい加減うんざりしている。
 たまにはまともに事前承諾を行って欲しいのだが…。
 しかしひとり、ニンリル中将だけが首を傾げて訝しげに聞き返した。
「モーア少将…クリネット・モーアですか?」
「そうだ。何か?」
 カウニッツは白地らしく反問した。少なくともニンリルにはそう
思えた。改めてカウニッツに不信を募らせる。
 モーア少将は、かつて中佐としてニンリルの部下だった男である。
しかし、自身の部下に対して乱暴であったため、左遷させたのであ
った。
 決して無能ではないが、思考が硬直しており、短気でもある。艦
隊の指揮官としては不適格であった。何より、ニンリルには彼が艦
隊の指揮官に任じられたことも、少将になったことも、全く知らな
かった。
「モーア少将は、昇進、それも艦隊司令官になっていたのですか。
これは初耳でした。」
 無礼にならない程度に、皮肉を込めて言う。
「ALFの援護に、わざわざ貴官らの貴重な戦力を使うまでもある
まい。保険だよ」
 カウニッツは、それに気付いてか、気付かないでか、微妙に話題
をずらして答えた。ニンリルの不満気な視線に気付いて、付け加え
た。
「彼は、いわゆる『使える』男だ。死なない限り、使い減りはしな
いよ」
 カウニッツの言う「使える」というのは、上位者には絶対服従と
いう意味である。その意味で、使い減りしないというのは一理ある。
「だが、それだけでモーアを提督にするのか?」
 形の上では諒解しつつ、ニンリルはさらに訝しむ。カウニッツが
自分たちに隠れて何を画策しているのか、さっぱり分からないので
ある。
「このまま彼の言いなりになるのは癪だな」
 ニンリルが心の中で呟いた時、スターク・オーン大将に向かって
カウニッツが問うた。
「地上軍司令官、ロンギヌスの建造状況は?」
「計画よりわずかながら遅れております。しかし、予定通り2週間
後には試験発射が可能です」
 オーンは巨体に似合わず、慇懃に答える。主人に尻尾を振る、飼
い犬の表情であった。それを見て気分を悪くしたのか、胃の辺りを
さすりながらアル・ハカムが問うた。
 以前から噂は聞いていたが、公式の場でその名が出て来たのは初
めてである。ようやく出てきた、という感じなのだが、この際はっ
きりさせておきたかった。
「司令長官、ロンギヌスとは一体何でしょうか。地球防衛の任にあ
たる小官は、一切関知しておりませんが」
 アル・ハカムは色白で小柄な外見である。
 声もやや高く、同僚からは「女装の似合う奴だ」と言われている
が、気が強く、上官であろうとも遠慮しない人為であった。
「ハカム大将、司令長官に対しての言いよう、失礼ではないか!」
 怒号を浴びせたのはカウニッツではなくオーンであった。顔が歪
んで猿のように見える。その形相でアル・ハカムを睨みつけていた。
 ニンリルはそれを見て、あまりの滑稽さに思わず吹き出しそうに
なった。醜すぎるものというのは、嫌悪感を感じる以前にまず笑い
出したくなるらしい。辛うじて堪えて、オーンを諌めようとしたが、
すぐに思い止まった。
 彼は中将なので、大将同士の論争に割って入るようなことはすべ
きでない。馬鹿馬鹿しいことだが、同僚であり友人とはいえ、軍内
部での階級は絶対であった。
 ニンリル同様、オーンの言い方に憤慨したヘラン・ピーレ中将が
腰を浮かしかけるのを、アーマンド大将は無言で制し、ピーレに代
わって言った。
「何が失礼か。地球上の軍事に関しては、地上軍司令官と地球防衛
司令官が協同で管轄を行っているはず。権限の差は、指揮するのが
地上軍か宇宙軍かの違いだけだ。地上軍司令官が知っていて、地球
防衛司令官が知らないというのは、おかしいのではないか」
 アーマンドは淀みなく言ってのけた。
 オーンは虚を衝かれた表情を見せ、一瞬後には恥辱と怒りで顔を
真っ赤にした。だがアーマンドの方が正論なので、反論できずにい
る。横目で隣のカウニッツを盗み見た。
 それに軽い溜め息で応じて、カウニッツが口を開いた。
「そうだな。アル・ハカム大将、失礼した。以前から総帥の命を受
けて極秘裏に行っていたのだ。地上での建設なのでオーン大将には
話を出していたのだが、貴官に伝えなかったのは私のミスだ」
 そうして一同を見回す。
「それに、他の方々にもこれまで黙っていたことをお詫びする」
 形式的には完璧であった。
「…いえ、小官こそ場をわきまえず、失礼しました」
 アル・ハカムは先程オーンに怒鳴られて以来、口と目を閉じ、腕
を組んで、彫像のように座っていた。軍人らしくない、淡い色調の
長めの髪の毛が額にかかり、一見すると男装の麗人を思わせる。
 しかし、カウニッツの弁明を聞いたとき、僅かに目を開きカウニ
ッツを一瞥した。そのときの視線の鋭さといったら、研ぎ澄まされ
た細身の長剣を思わせた。
 もっともそれも一瞬で、すぐに普段の表情でカウニッツに一礼し
つつ答えるあたり、彼もなかなか尋常ではない。友人の、外見とは
似ても似つかない苛烈な内面を知っているニンリルは、内心で肩を
すくめた。
 また激発しなければよいが、と思う。実は先日の艦隊無断出動事
件の張本人が彼、アル・ハカム大将なのである。
 ファディレの決起宣言直後の会議で、カウニッツが動静観察を提
案した時、ハカムは強硬に討伐を主張した。結局容れられずにくす
ぶっていたところへ、ウィグナ大佐の戦闘機隊を始めとする、各独
立部隊の敗北の報が入ったのである。ニンリルら同僚の制止を振り
切って同志を募り、自らの艦隊を出撃させたが、大気圏離脱の寸前
に司令長官によって止められた。
 その後謹慎を命じられたが、ケムラー病臥の折には、ニンリルと
共に衛星軌道への展開を命じられている。カウニッツの奇妙なとこ
ろだが、一種のガス抜きとして正規の出動を命じたのだろう。張り
切った結果かどうか、不審者の摘発はニンリル艦隊より多かった。
 ハカムとしては謹慎を食らおうが何だろうが、軍の中枢に参与す
る者として、言いたいことは言う、というのが本心であろう。無断
出撃の件など、職を解かれても文句を言えなかったのだが、謹慎で
済んだのは幸いと言える。
 ケムラーは一時的な解任も仄めかしたらしいが、カウニッツが謹
慎で済ませるように掛け合ったという。彼のハカムに対する評価は
決して低くはないのだ。ニンリルもアーマンドも、これ以上ハカム
がカウニッツに睨まれるのは避けたかった。
 一件以後、幾度となく忠告しているし、彼もそのことはよく承知
している。それでも言わずにはいられないのが彼の性であろう。
 ピーレ中将が傍らのハカムに顔を寄せて何事か囁いている。おそ
らくニンリルと同じことを考えたのだろう。「大丈夫」と言って微
笑んだ顔が、それこそ少女のようにあでやかだったので、ニンリル
は微かに赤面してしまったのだが。
「ロンギヌスについては2週間後、現物を前に説明しよう」
 とのカウニッツの言葉で、その件はひとまず落着した。
 その後、様々な事務上の懸案を協議する間、珍しくというべきか、
会議は滞りなく進んだ。もともと優秀な人材である。個人的な感情
や対立がなければ、組織として円滑に動くのは必然であった。
 その後、一通りの議題が出尽くしたが、今日は特に紛糾すること
もなかったので、珍しく終了予定までかなりの時間を残すこととな
った。そこで、カウニッツが「何かこの場で話題にしたいことがあ
るか」と水を向けると、ややあってアーマンドが躊躇いがちに手を
挙げた。
「総帥が欠席している場なので出しますが、開戦のそもそもの契機
となったシャルレイン・ケムラー嬢の拉致疑惑は、果たして本当な
のですか?」
 ざわめきが起こる。
 カウニッツが沈黙しているのを見て、アーマンドをフォローする
形でニンリルも発言を求めた。
「あれからひと月を経ましたが、なお彼女の行方が掴めたとの報告
は受けていません。それに、開戦以来この件が議題に上ったことも
ありませんでした。総帥は…」
 アジェスがニンリルを遮る。
「総帥のご令孫がSS12において行方不明になったのは事実だ。
だが我々はそれを開戦の口実に使っただけで、果たして彼女が本当
に拉致されたのかは分からない。事故なのか、事件なのかも不明な
のだ」
「SS12は叛乱軍に占拠されており、当地の捜査組織も壊滅して
いる。今となっては確認はできない」
 カウニッツが続けた。そして、間を置いてさらに続ける。
「…それに総帥は、私的な事項なので余人が気にする必要はない、
とおっしゃっている。議題に上らなかったのはそのためだ」
 ハカムが腕を組む。
「確かに、彼女を月面へ移すよう命じたのは総帥ご自身だし、SS
12への移送も然りだ」
 まさか行方不明になるのを予測していたのか、とハカムは考えた
が、あまりに馬鹿馬鹿しい考えので、すぐにその考えを捨てた。
 その横でピーレが思い出したようにニンリルを見た。
「確か、月面までの護衛はニンリル中将がなさったのでしたね」
 頷きつつ答える。
「総帥からは、個人的なことだから護衛など必要ない、と言われた
から、旗艦と駆逐艦部隊のみで月面まで護衛したが…」
「そうだ。月面から先は特務捜査官が数人付いただけで、組織的な
護衛はなかったと聞く。組織が動いたのは行方不明になってからだ。
もっとも直後にSS12を占拠されてしまったが」
 アーマンドが続けたが、そこでオーンが太い声を上げた。
「事態は動いているのだ。総帥ご自身が気にするなとおっしゃって
いるのだし、今さら蒸し返したところで仕方なかろう」
 その言葉にニンリルは苦笑した。
 少し気にかかるのも確かだが、現にラグランジュ軍の攻勢が始ま
っているのだし、細かいことに拘ってもいられない。
「確かに。今は叛乱軍のことが第一義か…」
 引き下がったところへ、カウニッツが軽く身を乗り出す。
「アーマンド大将」
「はい」
「私も少し気になっている。興味があれば、調べても構わない」
 一同がカウニッツに注目した。命令ではなく、これは許可である。
彼もこの件には興味を持っているのだろうか。
「ニンリル中将」
 頭上に疑問符を浮かべているところへ突然名前を呼ばれて、ハッ
とカウニッツに向き直った。意識しないうちに背筋が伸びている。
このカウニッツのような男は、用心するに越したことはない。警戒
しつつ、言葉を待つ。
「司令長官の権限をもって、貴官の艦隊に出動を命じる。まず月面
に赴き、ルナ・ヒューカス社で新型の量産戦闘機を受領しろ。駐留
艦隊や外軌道艦隊と協力して、熟練訓練を済ませること。あとは追
って命令する」
 彼は表面上、完璧な礼儀をもって応えたが、内心は複雑である。
 ニンリルの月面への派遣は、月面防衛に3個艦隊を配することで
あり、ラグランジュ軍に対して徹底抗戦の構えである。だが、AL
Fがすでに戦闘状態であり、これは後手を踏んでいるのではないか、
という疑問がある。今さら月面防衛を強化するより、SS12占拠
直後に行っていれば抑止効果が働き、外軌道制圧は免れたのではな
いか。
 あるいは、と考える。
 連邦と同盟の間に、外軌道までの侵攻は黙認するという取り決め
でもあったのだろうか。それが破られ、地球攻撃が示唆された今に
なって、ようやく本気で反攻を開始するというのか。
 またニンリル自身にしても、総帥の孫娘の護衛やハカム謹慎中の
地球防衛艦隊司令官の代理、反乱未遂の際の衛星軌道防衛など、本
来の内軌道防衛から離れた任務を命じられて地球に居っぱなしで、
かなりフラストレーションが溜まっている。
 ようやく宇宙へ戻れると思えば月面防衛である。
 果たして、カウニッツはハカムのように彼が激発するのを望んで
いるのだろうか。だとすれば、このまま連邦を見限ってラグランジ
ュ同盟に身を投じるのも一興である。しかしそうなると、苦労する
のは同僚の友人たちである。もう少し様子を見てからにすべきだろ
う。
 会議が果てて、自分のオフィスへと戻りつつ取り止めのないこと
を考えていたニンリルは、ふと窓外に広がるモンゴルの大地に視線
を送った。かつては荒涼としたステップだったが、今では緑豊かな
土地である。もっとも時期が時期だけに、木々の色づきが目立って
いるが。
 それにしても、とニンリルは考える。
 あのような男は、精神衛生上、生きているべきではない。
 いつか呪い殺してやる。
 そうでなくとも、カウニッツに安楽な死に方が用意されていると
は、とてもニンリルには思えなかった。もちろん、自分自身にもだ
が。
 オフィスに戻った時、
「ALF、不利にあらず」
 との報告が入っていた。その言い回しに思わず苦笑してしまった
が、今は自分の艦隊の出動準備が優先であった。


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