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天翔ける騎士 第7章「彼らの距離」

Dパート



"White Album" D-Part


 ラグランジュ同盟軍所属、超弩級大型攻撃母艦「フューネラル」
艦長兼テラ討伐先遣艦隊司令官代理リー・トゥアンの姓名は、一般
に「E式」と呼ばれている。Eとはイースタンの頭文字で、姓が名
前の前にくる形式である。逆にメリエラ・アークライトのように名
前が姓の前にくる形式を「W式」という。
 人類が地球上だけで生存していた時代の名残であり、現在のよう
に著しく混血が進み、また、国家という枠組みが完全に撤廃された
時代にあっては、先祖を知る手掛かりにしかならないものであった。
若者の中には、そのEとWの由来さえ知らない者もいるという。
 そのリー・トゥアンはSS11において、ようやく旧友との対面
を果たした。航行中に艦に移乗するという手段もあったが、連邦軍
に対して常に注意を払う必要があったため、それもままならなかっ
たのである。
 SS11はSS12と同じく月の軌道の外側にあり、地理的には
地球圏のいわば辺境とも言える場所である。SS12が流通で発展
したのに対して、このSS11は工業が主産業である。もっとも、
大企業の工場はほとんど進出しておらず、その下請けにあたる中小
の工場が林立している。口の悪い者に言わせれば、「地球圏の町工
場」ということになるが、実際にその地に立ってみれば、その言も
あながち的外れでないことが分かるだろう。
 ラグランジュ同盟の財布の大部分を握っているMI社は、ここに
子会社や無数の下受け、あるいはそれを装っているダミーを置いて
おり、今回の寄港はそれを頼ってのことであった。

「とにかく、会えてよかったよ」
 戦闘での厳しい表情とは一変して、愛想の良い青年という様子の
アークライトが、そう言って手を差し出した。
「それはお互い様だ。無事で何より」
 リーもがっちりと握り返す。彫りの深い、地球で言えば東洋系の
顔に暖かな微笑が浮かんだ。
 SS11の中心コロニーのひとつ、「ノヴェンバー7」の町並み
を見下ろすホテルの一室である。「ホテル・ノーブルバイオレット」
と名前は一流そうだし、SS11では最高級のホテルと言われてい
る。ここもMI社の資本で、乗組員の宿舎として全館が割り当てら
れていた。
 確かに一流と言えなくもないが、月面などにある「超」一流のホ
テルとは比ぶべくもないのは明白であった。しかし、狭い戦艦の個
室に慣れた身には、気兼ねなく手足を伸ばせる環境が有り難いらし
く、乗組員たちには概ね好評であった。
「さて、元帥からの指令とやらをお聞かせ願おうか」
 冗談めかして、アークライトが催促した。手に持った紅茶のカッ
プから立ちのぼる湯気を顎に当てている。香りは悪くないが、少々
熱い。猫舌気味のアークライトはまだ口を付けていなかった。
 テーブルにはお茶菓子のブルーベリーのパイと、かなり分厚い書
類の束が置かれている。
「…そうだな」
 しばらくカップの中の琥珀色の液体を見つめていたが、意を決し
たようにリーが口を開いた。
「おれとしては、今こんな作戦を行うことは極めて不本意だ。本当
なら元帥の到着を待った方がいいと思うのだが、元帥本人の命令で
もあるし、他に良い方法があるとも思えない」
 そこで紅茶を一口すする。受け皿にカップを戻すとき、少し音が
立った。
「ラグランジュ同盟軍地球圏派遣艦隊司令官メリエラ・アークライ
トへ、ラグランジュ同盟軍最高司令官ロンデニオン・ファディレか
らの指令を伝達する」
 背筋を伸ばし、表情を改め、リーは告げる。アークライトも同じ
姿勢で言葉を待った。
「小官ことリー・トゥアン指揮のテラ討伐先遣艦隊を編入した上で、
月面アポロ市及びアームストロング市を占領せよ。あらゆる妨害は、
実力でこれを排除すべし」
 表情を変えずに、リー・トゥアンは言った。言ったあとで、書類
の束の一番上にあった紙を取り、アークライトに見えるように掲げ
る。アークライトは無言でその紙を受け取り、一番下に見覚えのあ
るサインが記されているのを確認してから、改めて全体に目を通し
た。
 目の前の友人の姿を眺めながら、リーはいまいましげに腕を組む。
その姿勢のままソファーに背をあずけた。
「と、このような指令な訳だ。どうだ、やるか」
 アークライトは思わず苦笑した。紙を元の書類の束に戻しながら、
応じる。
「やるも何も、月面占領は当初のプランにもあったよ。戦略上間違
った作戦でもない」
 紅茶で喉を湿らせようとするが、熱かったのか、口を付けたがす
ぐに離した。それでも、カップを持ったまま続けた。
「ただ、連邦との約束を反故にした以上、彼らも本気で我々を叩き
に来るはずだ。先日のALFがそうだった」
「だから元帥を待った方がいいと思うのだが…。約束って外軌道ま
でしか侵攻しないってやつだろ? 本気で信じてたのか、やつらは」
 リーはパイに手を伸ばした。アークライトはパイの皿をリーの方
へ押しやりながら答える。
「官僚というのは妙なところで律義だからな。だが、カウニッツも
いい加減手を打ってくるだろう。聞けばニンリル艦隊が月面防衛の
ために近々出動するらしい」
「無策と罵られても文句を言えなかったからな、今までは。こちら
としても早めに行動すべきというわけか」
 それほど美味しくなかったのか、リーはパイを一口食べただけで
脇へ押しやった。そして続ける。
「だが、連邦が本腰で攻めてくれば手強いぞ。月にはアドリアン、
ヴァノン、そしてニンリル。地球にはハカム、カウニッツ。アーマ
ンドなんて切れ者もいる。それでもやるか?」
 リーはにやりと笑った。人の悪い笑みであるが、力強さも感じさ
せた。
「私とお前がいれば、何とかなると思うがな」
 何気なくアークライトが応じる。口調こそ何気ないが、彼も笑っ
ていた。その表情は、司令官としてのアークライトであった。
 ようやく紅茶に口を付けて、2口、3口飲む。
「そう言うと思ったよ。それじゃ、お仕事お仕事」
 冗談めかしながらふたりは早速、作戦の立案に入ったのだった。

 アークライトとリーの他に、このSS11においてもうひとつの
再会がなされていた。10月27日のことである。
 その日、月の裏側、スタフォード市のMI社工場から民間船に偽
装された輸送艦に積まれて、新型機が到着した。「Kプロジェクト」
の最新鋭機「K4」と量産型ペルーン、それに新型の「レグミィ」
と呼ばれる機体である。
 ペルーンはキーツらが使用している先行試作機より性能が若干向
上し、数字の上では連邦軍のファルカタを凌駕する性能を得ていた。
もっとも実戦では大して反映されない程度の差である。
 「レグミィ」というのは、ファルカタやその後継機以上の性能を
求めて建造された機体で、一部ではあるがフラスやエヌマなどの「K
シリーズ」のデータが生かされている。外観はステルス加工のため
に黒いが、シルエットはどちらかと言うとエヌマに近い。この機は
アルマリックには3機しか配備されず、キーツ、リニス、グーラン
が使うことになった。
 量産型ペルーンの配備によって、もはや旧式と化した「アドラー」
は正規運用から外されることになった。偵察や哨戒などに使用され
ることもあるだろうが、戦闘機隊はトゥールとペルーン、そしてレ
グミィで構成されることになった。これと同時に人員の補充がなさ
れ、戦闘機隊はにわかに活気づいたのであった。
 もう1機の「K4」というのは、フラス・ナグズやエヌマ・エリ
シュと同じく、「Kプロジェクト」の一環として建造されたもので、
電子戦をメインに置いた設計になっていた。フラス以上の出力を持
つエンジンを搭載し、ECMやEMPといった電子戦用の武装が搭
載されているのが特徴である。機体はエヌマがベースになっている
ようだが、ゴテゴテした装備のおかげで、シルエットは出来損ない
の天使みたいな印象を与えた。
 そのパイロット、カーツェット・ヒダカがコックピットから降り
立った時、それを格納庫の隅で見ていたセアは思わず声を上げてし
まった。
「カーツ!」
 まだ若いその女性は、軍艦という場所にひどく不釣り合いな少年
の声に振り返る。そして、セアの姿を認めると、驚きの表情が顔面
一杯に浮かんだ。
 被っていたヘルメットのせいで寝癖みたいな跳ねのついた、ショ
ートカットの髪を気にするのを忘れて、声の主を見つめた。呆けた
ような表情になる。
「カーツ!」
 セアはもう一度声を上げると、傍らにいたシャルを置いて、その
女性の方へ駆け出していった。
 シャルは呆気にとられて呟く。
「セアの、知り合い…?」
「カーツ、どうしてこんな所に…?」
 セアは眼前の女性を眩しそうに見上げる。懐かしさのこもった声
で問いかけた。
 シャルは、彼の表情がいつになく明るいものであることに、顔を
しかめた。
「…それはこっちの台詞でしょ、セア。どうしてあなたが戦艦に乗
ってるのよ」
 カーツは驚き呆れてセアを見つめた。まさかこんな所で再会しよ
うとは−。
「ちょっと事情があって…。でも、本当に久し振りだね。まさかカ
ーツもパイロットになってたなんて」
 そこで、シャルが歩み寄ってきた。少しおどおどしたような感じ
で口を開く。
「あの、セア、この人は…?」
 セアは、そこで初めてシャルに気付いたように、彼女を見た。明
るい表情を変えずに答えた。シャルは少しだけ表情を和らげる。
「ああ、えーと、この人はカーツ。近所に住んでて、子どもの頃よ
く遊んでくれた人なんだ」
 カーツはセアの頭をポンと叩く。
「何言ってるの、今だって子どもじゃない。それにわたしの名前は
カーツじゃないくてカーツェットよ」
 そこでシャルに向き直る。
 セアが綺麗な女の子を連れていたのを見て、ここにいる理由を追
及することを忘れてしまったようだ。
「初めまして。セアと仲良くしてやってね。えーと…」
「この娘はシャルっていうんだ」
 セアは助け船を出す。
「ありがと。よろしくね、シャルさん」
「は、はい。…あの、わたしもシャルじゃなくてシャルレインって
いうんです。あ、でもシャルでいいです」
 何となくカーツに圧倒されたシャルは小さくなって答えた。慌て
たように早口だった。
「そう。じゃ、わたしもカーツでいいわよ、シャル」
 ニッコリ笑って差し出した彼女の手は暖かく優しかった。
 この人には勝てそうもないな、とシャルは思った。
 勝てる?
 どういうことだろう。
「あの、お幾つなんですか」
 おそるおそる尋ねてみた。話をつなぐためである。コロニーでは
天気が人工的に制御されていて、天気予報ならぬ「天気予定」なの
で、気候の話は意味がない。多少失礼かもしれないが、年齢の話に
なったのは仕方ないことである。まさかセアとの関係を根堀葉堀訊
くわけにもいくまい。
「あなたは幾つなの?」
「14です。12月で15になります」
「セアと同じなのね。セアは3月だったっけ。私は18、もう19
になったのかな」
 大人っぽい顔にさわやかな笑みを浮かべてカーツは言う。その表
情は同性であるシャルも見とれてしまうほど美しかった。どことな
く中性的な雰囲気があるのは、まだ成熟しきっていないからだろう
か。
 整備担当のユノー・ジュノーの呼ぶ声がしたので、カーツはふた
りに軽く手を振って、その方へ去っていった。その姿を目で追うセ
アを見て、シャルは羨むような視線を送った。
 と、突然背後から肩を掴まれた。何かと思って振り返るとリニス
の笑顔がすぐ目の前にあった。
「キョーコちゃんがお茶を用意したって。来るでしょ」
 キョーコが移ったような、にこにこした表情である。カーツとは
対照的に、そこはかとなく子どもっぽい。のほほんとした雰囲気だ
が、だからといって無防備という感じは受けない。
 シャルはそんなことを思いながら、はい、と応じた。
「ウィロームくんは?」
 K4の側に立ってジュノーと話しているカーツを未だに眺めてい
るセアを見て、ニリスが問い掛ける。
「はい?」
 振り返ったセアの腕を、シャルが無意識にとった。なぜだかよく
分からないが、そうしたい気になった。
「セアも来るでしょ」
 と半ば引きずるようにセアをその場から連れ出した。
 エアロックをくぐり抜けて居住区に入った。コロニーの中なので、
重力は働いている。ただ、宇宙港やドックなどはコロニーの自転軸
の中心に近いので、重力は1Gに満たなかった。アルマリック内で
は月面より少し強いくらいである。
 乗組員は、仕事が割り当てられている者以外は上陸が許可されて
いて、ホテルに部屋まで用意されている。しかし、今日に限っては
新型機到着の噂もあって、ほとんどの乗組員がアルマリックに集ま
っていた。無論、夜にはホテルへ戻るのだろうが。
 いつもと違う雰囲気の艦の通路を、シャルはセアの手を取って歩
いていた。もっとも重力が弱いので、軽く足を蹴ってはしばらく滞
空して、着地してまた蹴るの繰り返しである。歩くと言うよりはジ
ャンプして進む、という方が正しい。
 でも、シャルにとっては歩き方よりも自分の手の中にあるものの
方が大切らしい。
「あの、ちょっと、シャル…」
 セアの声がしたので我に返ると、何時の間にか彼の手をしっかり
握っていた。思わず赤面して手を放す。セアも赤くなってしどろも
どろしていた。
「何しているの、行きましょ」
 リニスの声で、慌ててまた歩き出す。ふたりとも押し黙ったまま
である。
 先を歩くリニスは、ふたりには見えなかったが、面白がるような
笑みを浮かべていた。

 11月4日、カーツェット・ヒダカを始めとする新たなクルーを
加えたアルマリックは、フューネラルとともに、2倍近くに増強さ
れた艦隊を率いてSS11を進発した。
 目的地は月面。開戦以来、ラグランジュ同盟軍としては初の大規
模作戦が開始された。
 作戦名「メガ・エイム」。
 月面占領作戦である。
 「大いなる目的」という意味を持ったこのコードネームは、「ム
ーン・アタック」つまり月面攻撃の意味も隠し持っていた。
 開戦から2ヶ月が経とうとしている。戦いは新たな局面を迎えよ
うとしていた。
 時に西暦2191年。
 宇宙の動乱は、まだその序曲を奏で終えたに過ぎない。


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