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天翔ける騎士 第8章「月へ集う者たち、」

Dパート



"light of silence" D-Part


「状況は?」
 艦橋に飛び込んできたアークライトは、指揮席に座るよりも早く、
そう怒鳴る。手にはケーキのフォークを持ったままだ。
「全くの遭遇戦だな」
 タリスがちらりとアークライトの掌中のフォークに目を遣りなが
ら答えた。
「戦闘機の訓練中だった艦隊らしい。慌てて戦闘機を収納して、迎
撃陣形を取りつつある」
「そうか」
 アークライトはそこで持ったままのフォークに気付き、持て余し
たように振るが、すぐさま命令を出す。
「全艦第一種戦闘配置。居住ブロックの回転も止めろ。戦闘機隊に
は発進準備。敵よりも早く出せるようにな」
 そして傍らを見る。
「トゥアンは?」
「迎撃準備中。別働隊として使って欲しいそうだ」
 スクリーンを見ると、数の上ではこちらが圧倒的に有利であるこ
とが分かる。トゥアンの艦隊が加わっているので、実質2個艦隊で
ある。正面からぶつかれば確実に勝利できる自信はあるが、月面攻
略を控えた今、戦力を消耗するわけにはいかない。
「敵がまともな司令官なら、戦闘を避けるか、月面に後退するはず
だな」
「月面からの援軍の可能性は?」
 現在位置は、月をほぼ正面に見て、その間に敵艦隊。そして、地
球はアークライト艦隊から見ると左手奥に位置する。
「現在、月面には最大で3個艦隊がいるはずだ。あれがその内の1
個艦隊だというのは希望的観測過ぎるから置いておくとして…」
「短時間で突破すれば、援軍を各個撃破できるな」
「そういうことだ」
 アークライトはフォークを振りかざして命じた。
「全艦、最大戦速で敵艦隊を突破せよ!」
 数頼みといえばそれまでだが、それはそれで立派な戦術である。
 アークライトはタリスを振りかえった。
「トゥアンには、タイミングを計って月方向から回り込むように伝
えてくれ。それから…」
「まだ何かあるのか?」
「キョーコに頼んで、ケーキを…いや、後で構わないが」
 フォークを手持ち無沙汰に振りまわしつつ、タリスの視線にたじ
ろいで言葉を引っ込める。そして、言い訳のように呟いた。
「お前好みの味なんだが…」
「それを先に言え」
 タリスはインターホンを取り上げて食堂に繋げた。

 パイロットたちは、居住区の重力が停止するより早く、ロッカー
ルームへ急いだ。
 キョーコがいつもの笑みで
「ケーキが残ってますからね。早く帰ってきて下さいね」
 と言うのを背に聞いて、一斉に食堂を駆け出していった。
 アルマリックの居住区は艦内部で回転していて、遠心力による疑
似重力が働いている。その限りにおいて、スカートをはいていても
特に弊害はない。それでも好んではきたがる乗組員はほとんど皆無
である。
 ロッカールームの直前で居住ブロックが終わり、無重力区域にな
る。一同はいつもの習慣でそこを抜けたが、少女の軽い悲鳴で立ち
止まった。
 見ると、無重力に移行したせいで、シャルのスカートがふわふわ
と舞っているのだ。
「ちょっと、セア、見ないで!」
 必死になってスカートを押さえているが、体の方が安定しないの
でままならない。気付いたリニスとカーツがシャルの体をまっすぐ
に伸ばして進行方向を頭に、泳ぐような態勢で押し出してくれたお
陰で、なんとかあられもない姿を免れた。しかしシャルの顔は真っ
赤である。
 セアは彼女に近づき、手を差し出した。無重力空間での移動は、
コロニー生まれのセアの方が長けている。通常の生活空間では1G
のコロニーでも、シリンダの中心部では限りなく0Gに近い。無重
力空間の経験は、コロニーの人間ならば、ある程度は必ずあるもの
であった。
 セアに手を引かれて移動している最中、シャルはずっと赤くなり
っぱなしだった。
「…見たでしょ」
「え、いや、その、何を?」
「いいわよ、もう」
 などという微笑ましい会話を交わしながら、何とかロッカールー
ムにたどり着く。
 若干14歳とはいえ、すでに赫々たる戦果を上げている少年少女
である。パイロットスーツ姿も既に板についていた。
 一方でカーツは、実戦は今日が最初である。模擬戦などは何度も
行っていたが、本物の戦場はこれが始めてであった。
 本来なら艦橋に上って戦況を確認しつつ指示を受けるのだが、艦
隊が全速で前進を開始したため、その時間的余裕がなくなってしま
った。各自の機体で待機しつつ、リアルタイムで送られてくる戦況
をモニターで確認するしかなかった。
 それぞれが緊張感の中で、出撃の時を待っていた。

「旗艦確認、『ハルモニア』! ニンリル艦隊です」
「ほう、ニンフ・ニンリル中将か」
 タリスが嘆息とともに漏らす。
「月面3個艦隊のうちのひとつではあったが…」
 アークライトも持て余し気味にうめいた。
「連邦の最精鋭艦隊のひとつだ。簡単に打ち破れるかな」
 スクリーンを目の前に、アークライトとタリスが言葉を交わすが、
それを無視するかのように、彼らの眼前の艦橋では次々に報告が飛
び交う。
 …と言えば緊張感たっぷりに聞こえるが、各々の作業の傍ら、キ
ョーコが運んできてくれたケーキをつついているので、緊張感に欠
けること甚だしい。
 もっとも、アークライトとタリスも口に運んでいたし、無言でこ
めかみを押さえていたクライブ艦長も、いつもの笑顔と共にキョー
コがケーキを差し出せば、さすがに受け取らない訳にはいかなかっ
た。
 甘い匂いの漂う艦橋で、それでも各自の任務を疎かにすることな
く、着々と戦闘準備が進んでいた。
「重力誤差の修正、終了。ミズホ、検算よろしく」
『リー艦隊の予定軌道出ました。受信を確認願います』
「受信確認。復号も正常です」
『居住区に問題なし。全装甲シャッター閉まってます』
「光学軌道補正、問題なし」
『カタパルトのチェック終わりました』
「検算完了。重力修正は問題なし…ちょっとアイザ、イチゴ取らな
いでよ」
「全発射管、装填確認。非戦闘員の退避も終了しました。私語は謹
んで…僕のイチゴあげるから」
『K4、ECM及びEMPポッドの調整終了。発進可能です』
「全機、発進準備整いました。あれ、副長ってもしかしてミズホち
ゃんのこと…」
『こちら第2退避室。エアコン入ってないよ』
「敵艦隊、有効射程まであと30秒。ほら、お喋りはやめやめ」
「スイッチはそっちにあるから、勝手に入れて下さい…違うってば」
「目標捕捉、誤差修正良し…艦長怒ってるよ」
「艦橋に余計な連絡を入れるな。それと各員、聞こえているぞ」
「全艦、攻撃準備完了」
「有効射程まであと15秒」
「非常回線以外の受信をカットします」
「各部攻撃準備、問題なし」
 艦橋を交錯する声を受けて、それまで必死に笑いを堪えていたア
ークライトが、おもむろにフォークを持ちなおした。タリスは相変
わらず直立不動でその傍らに立っている。
「有効射程到達!」
「撃て!」
 間髪を入れず、アークライトがフォークを突き出した。その先か
ら、というわけではないが、ミサイルが打ち出され、敵艦隊へと伸
びていく。
「実体弾は有効に使えよ、補給は当てにできんからな!」
 クライブ艦長のいつもの怒鳴り声を聞きながら、敵艦隊の様子に
注目する。数が多いとはいえ、ほとんど総攻撃に近い火力で攻撃さ
れて、かなり怯んでいる様子だ。前衛が浮き足立っているように見
える。
「速攻あるのみだな」
 それを見て取ったのか、タリスが言う。それに頷き、フォークを
立てる。
「左舷カタパルト開け。砲撃を迂回しつつ食いつけよ!」
『了解。サーレイス・キーツ出ます!』
 フラスに比べれば若干明るめだが、それでも漆黒に塗装された新
鋭機「レグミィ」が先陣を切って飛び出していった。戦闘機隊がそ
れに続く。
「フラス、出ます!」
『おーい、誰だ?』
「あ、セアです」
 管制室の笑い声に答えながら、手馴れた調子でフラスを発進させ
るセア。それに続き、白い機体が宙に踊り出る。
『相変わらず綺麗な発進ね、シャル』
「ありがとうございます」
 先に出ていたリニスから通信が入る。彼女らしい感想に、顔をほ
ころばせて答えるシャルは、自分が最も信頼する少年の操る黒い鳥
の傍に身を寄せる。
「セア、頑張ろうね」
「うん」
 誰が何と言おうと、戦場でも最強のコンビに違いなかった。
 そして−。
「カーツェット・ヒドゥカ、K4行きます!」
 ゴテゴテした機影が最後にアルマリックから飛び出す。心持ち、
前の2機に比べると、動きがぎこちない。
「…フラス・ナグズとかエヌマ・エリシュなんてかっこいい名前が
あるのに、K4なんて味気ないなぁ」
『帰ったら提督に名前を考えてもらいましょう』
 リニスから通信が入る。のんびりした口調におもわず失笑しなが
ら、少しだけ意地悪な調子で聞いてみた。
「リニス先輩、どうして提督なんですか?」
『…ほんと、どうしてかしらね』
 案外本気で言ってるのが少々怖いところだが、無駄話もそろそろ
終わりにしなければならない。前方に光の壁が見えてきた。
『セア、頼んだぞ』
「はい!」
 キーツに答えるのとほぼ同時に、フラスのビームキャノンが火を
吹き、敵の最前衛にいた駆逐艦に大きな穴を空けた。爆発すること
はなかったが、戦闘不能に陥ったのは確かだ。アークライト艦隊の
戦闘機隊が、その一点から敵艦隊の内部へ侵入を図ろうとする。
 セアは前回の戦闘のフィードバックにより改良され、連射性が向
上したビームキャノンを連発し、穴を広げていく。その際、迎撃に
出た敵戦闘機を巻き込みそうになるが、軸線をとっさに変えて、敵
戦闘機を直撃しないようにしている。

「動きそのものはセアの方がはるかにいい」

 直撃しなくても至近をそれだけのエネルギーが通過するので、ダ
メージは大きい。蒸発しないだけマシというものだが、セアはそれ
を半ば意識的にやってのけていた。
「…感覚がすごく鋭くなってる。どうしてだろう」
 シャルはセアの援護を行っている。エヌマが本来迎撃仕様として
造られ対艦装備を備えていないので、必然といえ必然である。しか
し、囮とは言え、単身で敵旗艦に突っ込んだこともある。
「無駄死になんてしないで!」
 彼女の攻撃は戦闘機に限られているが、スナイパー並に正確であ
る。核融合炉やコックピットを貫くことなく、スラスターやセンサ
ー部をピンポイントで攻撃して確実に戦闘不能にしている。即死者
は出していない。
 いくら高性能なFCS(火器管制システム)のサポートがあると
はいえ、ここまで正確な攻撃はほぼ不可能である。が、彼女もそれ
を半ば意識的にこなしていた。

「シャルの場合は、センサーによって動きをサポートされているの?」

「命を奪うことなんてしないから…だから戦うのはやめて」
 罪の意識が高まれば高まるほど、精度は向上して行く。

「FCSの限界精度を遥かに超えた精度ね」

 まるで、エヌマが自分の心を分かってくれているかのように…。
「お願い、もっと力を。誰も死なずに済むような力を!」

「シャルはセンサーに助けを借りている。受動性が高いけど、その
分センサーとの親和性を高めているというわけね」

 シャルの援護を受けながら、セアは敵艦隊の前衛に穴を空け、自
らも突入を行おうとしていた。だが、死角から敵戦闘機が迫ってく
る。
 咄嗟に機首を翻し、その敵機に対戦闘機用ビームを撃ちこんだ。
 それが核融合炉を直撃し、至近で爆発が生じる。
「くっ…」
 それは爆発の衝撃ではなく、脳裏に打ち鳴らされた破壊音による
うめきだった。
 何かが砕けるような、絶望すら感じさせるような、そんな音。人
の命が宇宙へ散る、その一瞬に木霊する生命の残照、魂の断末魔。
 だが、セアはそれを振りきって、スロットルを全開にする。
 加熱され気化した推進剤が、一瞬で液化しさらに次の瞬間には固
体へ変化する。その反射光を煌かせながら、黒き鴉は羽ばたきを止
めなかった。
 今までと変わらず、いや、今までよりもより鋭く、そしてより速
く。

「それでも、機動、精度ともにセアの方が高い…。自分の力をセン
サーによって高めているということかしら。センサーをも従わせる
強い力ね」

「セア!」
 シャル操る白き妖精、エヌマが再び寄り添う。
「…あなたは、間違ってないから。わたし、信じてるから」
 それは、同じく魂の砕ける音を聞く者が投げかける、許しの言葉。
「うん、ありがとう、シャル」
 反射的に答えるセア。

「どちらもサイコセンサーの力を十分に引き出している」
 アルマリック整備班長ユノー・ジュノーは、自分の端末でフラス
とエヌマの状態をモニターしながら、呆然と呟いた。
「…フラス、サイコセンサー稼動率65%、エヌマ80%…」
 認めたくない、いや、認めるわけにはいかない事実が、眼前に提
示されていた。それでもなお、認めざるを得ない事実が。
「あの子たち、やっぱり…」
 無垢な瞳が、意識を埋め尽くす。
 純粋な輝きを宿す、それゆえにこの世に住まう者とは異質なもの
となってしまった心。大人たちによって暗黒の煉獄へ永劫に閉じ込
められてしまった心の代わりに、還らざる時を、永久にこの一瞬に
止め置くことを許された少女。
「有資格者…」
 それは、何のための資格であるのか。
「第3、第4の」
 新たなる煉獄が用意されてしまったのか。
「…メイの悲劇を、繰り返したくはないけど」
 またも、繰り返してしまうのか。
「ターティア主任…」
 それに答えるべき人物は、ここにはいない。
 いや、どこにもいないのかも知れない。


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