次へ    前へ    目次へ

天翔ける騎士 第8章「月へ集う者たち、」

Eパート



"light of silence" E-Part


「敵戦闘機隊、前衛を突破!」
「このままでは、反撃のタイミングを掴めません!」
 不利な、というより半ば絶望的な報告が続く「ハルモニア」の艦
橋で、ニンフ・ニンリルは黙って腕を組んでいる。その丸顔は、い
つになく引き締まっていて、その表情を見れば、彼が現在の地位に
いるのも十分納得できるであろう。
「月面方向はどうなっている?」
 声色を整えるのが精一杯である。焦燥が表に出ないように、必死
で顔面を保っていた。
「敵右翼部隊が盛んに陽動を仕掛けています」
「…陽動で済めばいいがな」
「敵戦闘機隊の侵入を阻止できません!」
 投げやりな呟きを咎めるように、オペレーターが振り返る。
「…止むをえんか」
 ニンリルは敗北を覚悟した。しかし、ただ負けるわけにもいかな
い。後のためにも、打てる手は最大限打っておく必要があった。
「『グラディウス』部隊、全機発進だ」
 管制担当のオペレーターが驚いたようにニンリルを見やる。
「…よろしいのですか、まだ訓練飛行も十分でないのに」
 だが、彼はその言葉を悔やんだ。ニンリルの表情を見たのだ。
「絶対に小隊を崩させるな。1対1では勝てなくても、3対1なら
何とかなるだろう。機体の性能差もある」
 苦肉の判断である。グラディウスの機体性能を見せ付けて、せめ
てラグランジュ軍を牽制したいという意図である。
「1機でも落としたら、すぐに帰還させろ。いや、落とさないでも
構わん、ラグランジュ軍を精一杯脅かしたら、すぐに戻せ。貴重な
戦力をこんな遭遇戦で失うわけにはいかん」
 ここで思い出して問う。
「ライル…オフィーリアはどうした?」
「カタパルトで待機中…発進可能です」
 しばし考え込んだ後で、おもむろに命じた。
「よし。オフィーリアを先行させろ。少しでもグラディウスを出し
やすくするんだ」
『了解っ!』
 ニンリルの言葉を通信で聞いていたのか、若々しい声がそれに応
えた。続いて、ハルモニアのカタパルトから、金色の閃光が飛び立
つ。
「オフィーリア、発進しました。接近中のラグランジュ部隊と交戦
に入ります」
 言っているそばから、金色の動きが目まぐるしく変化する。
 ハルモニアの至近でも、爆発が起こり始めていた。
「…そろそろか」
 ニンリルは組んでいた腕を解いて、指揮卓の上に突っ立てた。
「後衛は地球方面への後退軌道を確保しろ。敵右翼が月面方向へ突
出するタイミングを狙え」
 そして艦橋へ響く声で命じる。
「無駄弾は撃つな。最後の反撃に備えろ」

「またあの金色!」
 セアは突如として現れた金色の戦闘機に、我知らずグリップを握
りなおした。筋肉のこわばりを解すように、肩を大きく上下させる。
『セア!』
「分かってる」
 僚機の少女の声に答えるように呟き、一気に機を増速させた。テ
ールノズルから放たれる推進剤が尾を引き、黒き流星となって金色
の戦闘機に襲い掛かった。
「ラグランジュの黒い鳥!」
 金色の戦闘機−オフィーリアのパイロットであるライル・フォー
ティマはヘルメットの中で目を細めて、静かにスロットルを引く。
 瞬間的な加速は、フラス・ナグズから放たれたビームを避けるの
に十分だっただけでなく、隙をついて背後へ回り込めるだけの速度
を得ていた。
「甘いぞ、黒いの」
 天才と呼ばれた自分を翻弄した唯一の敵手。
 雪辱を果たすには絶好の機会であった。
「この前の借りは返すぞ」
 緩慢ともとれる動きで近づいていくターゲットサインに、自然と
舌が唇を濡らしていた。永遠とも感じられた一瞬、フラスの機影と
ターゲットサインが重なり、ロックの表示がなされる。
「落ちろ!」
 声は指の動きと同時だったろうか。
 そう叫んだ瞬間、彼の体は大きく前のめりになっていた。衝撃が
あったと気付いたのは、体に若干の痛みを感じてからである。
「何だ?!」
 後方を確認すると、白い戦闘機がオフィーリアの後上方に陣取っ
て、牽制のビームを放っていた。
「シャルレイン?!」
 思わず叫んでしまう。
 確信はない。むしろ希望である。
 間一髪逃れたフラスは、ライルの気が逸れた僅かの間に機首をめ
ぐらし、エヌマと寄り添ってオフィーリアを牽制する。
「また邪魔をするのか、シャルレイン!」
 ビームを放つ。
 だがフラスもエヌマもそれを嘲笑うかのように、優雅に、それで
いて鋭く宇宙を舞う。
 黒と白。
 モノトーンに描き出された空間は、しかし、時折の爆光や推進剤
の反射によって彩色される。
「セア!」
 シャルの声は、無線によらず直接セアの頭に響いてきた。
 それに対して、もはやふたりは違和感を持ち得なかった。
「いくよ、フラス」
 そんなことに思考を飛ばすこともなく、セアは指先で軽くグリッ
プを叩いてから、一気に加速をかけた。機体下部のビームキャノン
は重いが、それを補ってなお余りある出力を持つのがフラス・ナグ
ズである。
 推進剤を翼のように吹き出して、フラスは黒き猛禽となり、金色
の姫、オフィーリアへ襲い掛かった。
 回避行動を取ろうとするオフィーリアの鼻先を、上方からのエヌ
マからの牽制攻撃がかすめる。
 エヌマ自身はランダム極まりない動きでオフィーリアからの反撃
を封じている。
 無論、その間に周辺の敵機や艦艇からの攻撃を受けてはいるが、
2機ともそれを歯牙にもかけないかのような動きであった。

 ジュノーの端末に、非常を知らせる警告表示が現れた。
 短い警告音に続いて、画面の表示が踊り始める。
「両機ともサイコセンサー稼動率急上昇!?」
 急激に変化する画面上のゲージが目に痛い。
「まさか…」
 驚愕は彼女の心を、痛みのようにじんわりと締め付けてきた。
「共鳴しているの、ふたりが?」
 ユノー・ジュノーの手が、コンソールを離れ、口元に当てられた。
「これが…」
 その声は悲痛であり、同時に興奮にまみれていた。
 ついに明かされることのなかったものが、今、こんなところで、
彼女の眼前に現れている。
「これがサイコ・センサーの、有資格者の真の力だというの?」

「くそ!」
 フラスとエヌマに翻弄されるオフィーリアのコックピットで、ラ
イルは激しい苛立ちと焦りを、声に出してでしか発散する術を持た
なかった。
「なぜだ、なぜ!」
 激しい機動によって生じるGに顔面どころか全身を引きつらせな
がら、必死に語り掛けていた。
 誰に?
 他の誰でもない、彼の幼馴染とも言うべき存在、自分と相対する
立場にいると思われる少女に対して。
 抑えられない衝動が彼の体を動かし、無意識のうちにフラスとの
ドッグファイトを演じる。
「くそぉぉぉぉっ!」
 汗だろうか、それとも涙を流していたのかも知れない。
 滲んだ視界の中でターゲットの中に黒き鳥が納まりつつあった。
 しかしこの時2機は反航していた。つまり、オフィーリアはフラ
スのターゲットにもなっていたのである。
「落とせる…っ!」
 黒き鳥と金色の姫が、互いを完全に標準の中に納めた。
 次の瞬間、何かが弾ける音と共に二人の視界は暗黒に包まれた。

 カーツェット・ヒドゥカは、K4を操って敵陣深くに突入してい
た。単独ではないが、周囲には味方機よりも敵機の方が多い。それ
でも飛んでいられるのは、K4の特殊装備であるビームディフレク
ターの効果によるところが大きい。これは、自機に向かって放たれ
たビームのうち、正面15度ずつのもののみ、軸線を逸らすことが
出来る装置である。干渉物質と強力な電磁場により、ビーム兵器を
部分的に無効化できる。
 電子戦に特化され、様々な特殊装備を施されたK4ならではの秘
密兵装であった。
「ECMで目くらましをしてるけど…!」
 とっさに操縦桿を引き、攻撃をよける。
 K4による強力な妨害電波により、周辺のレーダーは無効化され
ている。それでも、敵の抵抗は一向に収まる気配はない。
 初の実戦ということもあり、かなり焦りが見えてきた。
「もう、どうすれば!」
 パニックになりかけながら、必死で機体を操作する。
 その中で改めてセアとシャルの凄さを実感した。
 セアとは幼い頃からの付き合いだが、まさかパイロットとしての
技能があるとは思わなかった。
 MI社スタフォード支社のK4専属テストパイロットとして、短
期間とはいえ操縦技術を専門に学んだ自分よりも、遥かに上手い。
いや、上手いというより実戦的なのだ。
「おそらくレースでもすればカーツェットが勝つだろう。しかし、
同条件下でドッグファイトを行ったら、俺でも勝てる自信はないよ」
 とはキーツの言であるが、カーツ自信なまじ操縦技術を身に付け
ているために、そのことがよく分かる。
 シャルに関しても似たようなことが言えるが、彼女の場合は状況
判断能力が優れているように感じた。場の雰囲気を読むことに長け
ていると言えばいいのだろうか。
「セアと一緒に飛んでいるから、専ら彼の援護という形で発現して
いるが、指揮官としても通用する能力だ」
 とキーツは評したことがある。
 このようなことを聞かされて、自信が急速に凋んでいくのを感じ
たものだ。
 あのふたりが特別だといってリニスやグーランも慰めてくれたが、
それで吹っ切れるものでもない。
 自分には何が出来るのか。
「…K4だけが、わたしの力だもんね」
 猛攻を受けながら、決意する。
 これ以上の攻撃は、いくらK4と言えども防ぎきれるものではな
い。いわんや他の味方機では、まさに手も足も出せないだろう。
「ターティア主任に封印されたんだけどな…」
 そっとコンソールに貼られたテープを剥がす。
 それは、EMPの最終安全装置であった。
 強力なノイズを飛ばし電子機器を「破壊」するこの兵器は、K4
のいわば切り札とも言える兵器である。しかし、その強力さゆえに
諸刃の剣でもあった。
 K4の至近をビームやらミサイルやらが通過し、その余波でK4
が大きく揺らぐ。スクリーンにはターゲットやら警告表示やらがミ
リ秒単位で明滅していた。先ほどまでは比較的落ちついていられた
が、それを見てまた焦りの感情が浮上してくる。
「もう、どうにでもなれ!」
 思考停止の状態で、封印の奥に隠されたスイッチを入れる。
 コンソールの画面に無数のパラメータが流れ、そのスクロールが
停止した。画面には「最大出力にて放射」の表示が点滅した。
 EMPシステムに連動した安全装置が働き、生命維持に必要なも
の以外の全ての電子機器が停止する。生命維持関連の機器は厳重に
シールドされているし、万が一電子装置が破壊されても、手動での
動作が可能なように作られていた。
 カーツは闇に包まれる。
 宇宙の闇ではなく、全ての光源が遮断された人工的な闇である。
 そして、静かに機械の動作音が高まっていくのが、機体の外から
聞こえた。
 EMP自体は何の衝撃も持たない。しかし。
「ぐわっ!」
 ソナーで周辺を監視していたニンリル艦隊所属の駆逐艦のオペレ
ーターは、倒れこみながらヘッドセットを必死でもぎ取った。
「どうした!」
 すでに鼓膜を破られたそのオペレーターは、ただのたうちまわる
しかできなかった。
 電子機器を沈黙させるほど強力なノイズである。いくら過大入力
防止のフィルターがついていても、センサーが拾ってしまえばフィ
ルター自体もやられてしまう。
 止めるものの無いノイズは、瞬時にして聴覚を破壊したわけであ
る。そして、それに遅れること半瞬もなく、次々とコンソールの機
器から火花が飛び、その駆逐艦の艦橋は、一瞬にして沈黙してしま
った。
 非常用の機器すらも、ノイズに無防備であることは通常の機器と
同じだ。シールドされていないわけではないが、シールドされてい
ない部分から侵入したノイズが、回路全体を駆け巡ってしまえば同
じことである。
 それほど強力なノイズなのだ。
 同じことが他の艦でも、そして敵味方を問わず、K4周辺にいた
戦闘機でも起こっていた。

「どうした!」
 突然の火花と共に、全ての電子機器が沈黙したオフィーリアでは
ライルがそう叫んで、思わずハッチを開けた。
 スクリーンが死んだ以上、有視界で対処するしかないのだ。
 その判断の素早さは的確であり、彼が若いながらも熟練したパイ
ロットであることを示している。
 そして、その視線の先で黒い戦闘機フラスが、ゆっくりと通りす
ぎていくのが見えた。軸線が少しでもずれれば衝突していただろう。
 オフィーリアだけが異常というわけではないようだ。
 何が起こったのかは、いまいち把握できない。
 それでも、あれほど激しかった攻撃が、今では嘘のように止まっ
ているので、ただならぬ事態である事は容易に想像できる。
 どうしたものかと頭を回すと、白い戦闘機が、エヌマがゆっくり
と接近してくる。
 どくんと、心臓が大きく波打ち、それに気付くや鼓動が増す。
「…シャルレイン」
 距離が縮まるにつれて、ライルの心臓の鼓動は強く、早くなって
いった。体全体が心臓になったような、そんな感じでただ、その白
い機体だけに神経を集中して、宇宙に身を晒していた。
 彼の思い出は、すぐそばまで来ているのだ。
 或いは、人ならざる存在が、彼とシャルレインを引き合わすため
に仕組んだ事態なのか、と妄想の翼を広げる自分に苦笑しながら、
ライルはじっと待った。
 その僅かな時間さえ、彼にはもどかしかった。
 ヘルメットはおろか、着ているパイロットスーツをかなぐり捨て
たいほど耐えられない衝動を内に秘めながら、今は待つしか出来な
い。
 無音の世界で、呼吸音だけがその世界の全てであるかのように響
いている。頭が叩きつけられるような衝撃が、自分の呼吸音を聞く
たびに襲い掛かる。

 そして、エヌマのハッチが開いた。
 それは、バクンという擬音が当てはまりそうな開き方だったが、
ライルにはもどかしいほどゆっくりに感じられた。
「シャルレイン…」
 自分でも不思議なくらい、声が震えている。
 気がついたときにはオフィーリアの機体を蹴って、その白い戦闘
機に取りついていた。
 ハッチに立った小柄な、少女のような人影に身を寄せる。肩を掴
んでヘルメット同士を触れさせて、口を開いた。
「シャルレイン」
 敵機から近づいてきた人影に驚き、身を竦ませていたシャルは、
その声に記憶が喚起された。
 掴まれた肩が痛かったが、その痛みさえ消し飛んでしまった。
「うそ…まさか…」

 ゆっくりと二人に光が当たる。

 太陽のように強い光線ではない。
 あくまで穏やかな、静謐の照明。
 蒼き月光。
 そして、受動の残照。

「シャルレイン…」

 静かなる輝きが、互いのヘルメット中を透かす。
 疑念は確信へ変化した。

 蒼い光の中で、彼女は−
「…ライル」


次へ    前へ    目次へ