次へ    前へ    目次へ

天翔ける騎士 第10章「螺旋の歩みの果て」

Cパート



"Earthlight Serenade" C-Part


 リト・アドリアンは、人気のない通路を歩んでいた。角を幾つか
曲がり、ようやく人の姿が浮かび上がる。ひとつのドアの前に、彼
らは佇んでいた。
「ご苦労」
 ふたりの警備兵に声をかけて、アドリアンは中へと入る。中にも
さらにふたり、警備兵がいた。
「様子は?」
「特には何も。食事も召し上がっていらっしゃいます」
「そうか」
 アドリアンはひとつ頷いて、警備兵の開けた扉の中へと入ってい
った。
「…大将」
 存外しっかりした声で、その人影は呼びかけてきた。薄暗い部屋
の中。彼はベッドに腰掛けていた。
「気分はどうかね、ヴァノン中将」
 敢えて、月並みな台詞を吐く。
「最高、とは言いませんが、思ったほど悪くはありませんよ」
「そうか。情勢は分かっているか?」
 独房の隅に備え付けられた端末と、机の上に散らばった資料に、
ちらと眼を走らせる。
「だいたいは。…迎撃準備ですか?」
「そうだ−分かっているな?」
「はい。月面は死守します…」
 ガン、と壁に拳を突き立てた。
「そうではない。民間人に犠牲者を出すな。貴官は自分が何をした
か分かっているのか?!」
「分かっているからこそ、大人しく閉じこめられているわけですが…」
 自嘲を漏らす。
「…貴官からは艦隊の指揮権以外、全てを剥奪する。己の分を弁え
て、任務に当たって欲しい」
 ゆらり、とヴァノンは立ち上がった。
「了解です、大将」

「アポロ市上空には、2個艦隊が展開中です」
 端末を操作していたルーディングが、ファセラを振り返った。
 ラグランジュ艦隊総旗艦「トリスケリオン」の艦橋である。艦の
操作を行うスペースの一段上、見下ろす位置に司令席があり、その
背後に「司令部」と言うべき、彼らの席があった。航行中はファデ
ィレが座っている司令席は、今は無人である。艦橋そのものにも人
影は少なく、「司令部」の彼らだけが、その少数派であった。
「アドリアン艦隊とヴァノン艦隊か…手強いな」
 参謀長イエス・ファセラが、ルーディングの肩越しにディスプレ
イに見入る。
「現在のところ、地球からの援軍は確認されていません」
 ミラも参謀長を振り仰ぐ。その視線を受けて、ファセラは腕を組
む。
「戦力の出し惜しみは、できないか…」
「せっかくアームストロングを占領したんだ。もっと積極的に打っ
て出るのも手では?」
 人気のない艦橋に、声が入り込んでくる。
「あなたは…」
 ルーディングが呆気にとられた声を上げた。
「サダヌーン…社長」
 やあ、と手を挙げた青年に、視線が集中する。
「ファディレ元帥に会いに来たのだけど、不在のようだね」
 カツン、とタラップを上って、彼らのいるフロアへとやって来る。
ニヤニヤ笑っている表情が、この上なく生意気な子供のように見え
る。
「久しぶりだ、レン」
「…名前で呼ばないでください」
「…ああ、そうだったね。で、状況は?」
 水を向けられたファセラが、戦況を簡単に説明する。いちいち頷
いて聞いていたサダヌーンは、腕を組んだ。
「艦艇の修理や補給は気にしなくていい。戦闘機もだ。今は一刻も
早くアポロを落とす必要がある。これは委員会の意向でもある」
「それは元帥からも伺っています。ですが、アポロ上空には精鋭が
陣取っている以上は…」
「K5を突っ込ませてみれば?」
「サダヌーン!」
 傍らから、ルーディングの鋭い声が飛ぶ。そちらへちらりと微笑
んで、しかし、ファセラに厳しい表情を見せる。
「本来ならK6を投入したいところだが、まだ完成していない。K
5を騙し騙し使ってもらうしかないんだ。その代わり、レグミィや
フェッドを出せるよ」
 ファセラはミラと顔を見合わせる。
「レグミィやフェッド・フォルニールの件は、朗報です。しかし、
K5については…」
「ああ、そうだね。アークライトくんの領分だった。ともかく、月
を完全に掌握しないことには、枕を高くできない連中が大勢いるっ
てことなんだ」
 口調は無邪気だが、その表情を見るといちいち癇に障る。有能な
のだろうが、あまり好かれてはなさそうだ、とファセラは思った。
「数の上では、我が軍に不利はありません。現に、先日の戦闘では
連邦艦隊を圧倒しております」
「にも関わらず、慎重になる。委員会は訝らないかな?」
 その件ですが、とミラが口を開く。
「現在、委員会を始め各方面から、第1・第2の両外軌道と月軌道
へ、制圧艦隊の派遣が要請されております。当該宙域の治安維持と
防衛を考えれば、分散はやむを得ません」
 その後をファセラが継ぐ。
「加えて、地球からの援軍の可能性を考えると、数の差は縮小する
と見てよいでしょう。先日と同条件で戦えるとは…」
「地球からの援軍は、来ないよ」
 ファセラとミラはその断定口調に呆気にとられ、ルーディングは、
軽く片眉をつり上げた。
「大した自信ですね、社長」
「まあ、蛇の道は蛇ってね…。今の段階ではテラは動かない。いや、
動けないよ。だから、安心してアポロの制圧に当たって欲しい」
 サダヌーンはそう言って手をヒラヒラと振った。
「やはりアポを取るべきだったね。いづれお会いできるだろうけど、
元帥には宜しく伝えて欲しい。邪魔をして済まなかった」
 飄々と去っていく後ろ姿を、ルーディングは睨み付けた。
「嘘つき…」

 エフリート・リニスがその男の姿を見つけたのは、その場を20
分ほど眺めた後だった。フラス・ナグズの黒い機体の影で、油まみ
れになりながら作業していたその男は、時折他の作業員に指示を出
しながら、しかし何か面白い玩具を弄ぶような表情で、黒い機体に
取り付いていた。
 意を決したリニスは、その男の元へ、ゆっくりと歩み寄っていっ
た。
 何て言ってやろう…そんなことを考えながら、一歩一歩進んでい
く。いきなり頬を張るのも手だ。顔面を踏みつけてもいいが、今は
スカートなので、危険は避けたい。とすれば蹴り飛ばすか。考えあ
ぐねて、頬を張り飛ばすことに決めた彼女は、彼まであと一歩の位
置にまで近づいていた。軽く肩を引いて、行動に出ようとした矢先、
彼の声が響いた。
「そこのスパナを取ってほしいな、エフリート」
「!」
 振り向いた彼の顔は、いつものように、にやけていた。
「…気付いていたの?」
 手渡されたスパナを持ち直して、ナットにあてがう。
「きみの気配は独特だからな。20分前から見ていただろ?」
 リニスは、嫌そうに表情を歪める。
「別に嫌がることでもないだろ。俺は息子と娘の手当をする。きみ
は弟と妹の心配をする。不自然なことは何一つない」
「本気でそう思っているのなら、今さらだけど軽蔑するわ」
 柔らかい口調は相変わらずだが、それでも険は隠しきれない。
 リニスは男から視線を外して、傍らのフラスの装甲に、そっと手
を這わせた。かつて自分が乗っていた時には鏡にも見えたその肌は、
今では見る影もない。それだけのことをやってきたのだ−。
「センサーのことなら、言い訳はしない。運が良かったとはいえ、
最高の実験データを得られたよ。目処が立った」
 リニスが長い髪を舞わせて振り向く。
「センサーって?」
「ジュノーから報告は来ていたのだけど…知らないの?」
「まさか、サイコセンサー?」
「そうだよ」
 別に彼は笑ったわけではない。しかし、その表情はどう見ても笑
っているようにしか見えなかった。
「…あの子たち、普通じゃないとは思っていたけれど、まさか有資
格者だなんてね…」
「フラスやエヌマで、人並み以上の戦果を上げる子供…とっくに気
付いていたと思ったけど」
「信じたくなかったの。あの子のこと、忘れられないから」
「そう」
 男は視線を合わせずに応じた。
「フラスもエヌマも、相当荒い扱いをされている。当分はK5とK
33で我慢してもらおうかな」
 バン、とハッチを閉めて、男は手袋を外した。物問いたげな視線
を受けて、男はリニスを振り向いた。
「K2とK3に搭載したセンサーは、生体への影響を抑えたタイプ
だ。乗っていても違和感は無かっただろう?」
「それはそうだけど…」
「ただ、K5にはちょっと悪戯をさせてもらったけどね」
「悪戯?」
 顔をしかめる。
「ちょっと、待ってターティア!」
 そのまま歩み去っていくターティア・カッセルを、リニスは呼び
止める。
「−あのふたりは本物だよ、エフリート」
 その顔は、紛れもなく笑顔であった。
 Kプロジェクトと呼ばれる、ラグランジュ軍の次世代戦闘機開発
計画の中心人物−ターティア・カッセル設計開発主任の、それが顔
であった。
「それと、スカートの時に蹴りを入れるのはやめた方がいいと思う
よ」
 ぴく。
 リニスの歩みが止まった。あれ、と思った次の瞬間、盛大な音と
共に、ターティアの頬は張り飛ばされていた。

「…で、どういうこと?」
 頬に掌型の赤い痕をつけたターティアを前に、リニスは視線を鋭
くした。
 MI社アームストロング市工場の食堂である。中途半端な時間の
せいか、それとも食堂へ来るような暇な人間はいないのか、月面の
荒野を見渡せるその食堂は、妙に人気が少なかった。傍らでウェイ
トレスが欠伸をしているのに軽い既視感を覚えながら、ターティア
は目の前に置かれたクリームソーダに手をつける。
「どっちのことかな。サイコセンサーの件? それともK5の件?」
「両方。まずはサイコセンサーのことから」
 リニスは手をつけない紅茶を脇にどかし、顔の前で手を組んだ。
 スプーンでアイスクリームをつつきながら、ターティアが口を開
く。
「だから、フラスのもエヌマのも第2世代のやつだよ。きみは嫌が
るから教えなかったけど、彼女の失敗は無駄ではなかったってこと」
 微かにリニスの眉が動いた。
「彼女の一件で、何が生体へ悪影響を及ぼすか分かったってことね?」
「概ね。特定までは出来なかったけど、そこはリミッターを設ける
ことで危険因子は全て排除した。そもそも、フラスとエヌマのやつ
は、機体操作の補助を目的としたものだから、リミッター付きの方
が都合が良かったわけだね」
「つまり、リミッターの影響でノンキャリアには悪影響も出ないか
わりに、何らの反応も起こさない、と?」
「そういうこと。キャリアのどの因子がトリガーになるかは不確定
だったから、フィードバックを使って、発動時のみ干渉させるよう
にした。…ただ、あのデータは正直予想外だったけどね」
「データって、セアとシャルの?」
「『共鳴』と呼んでいる。一度だけ彼女もやったらしいけど、検証
実験があれだったから…」
 リニスは手をほどいた。
「あれか…。テレパシーみたいなものよね、その『共鳴』って?」
「キャリアの能力は超能力ではないから、テレパシーとは違うけど、
現象としては似てるね。でも、『共鳴』の方がもっとえげつないよ」
 アイスと混じって毒々しい黄緑に変色したソーダを、一口飲む。
「分かるかい? 自分の考えていること全てが、相手に筒抜けにな
ってしまう。それがどんなに苦痛か」
「…それが原因なの? 彼女が…その、壊れたことの」
「分からない。逆に、もしそうなら、どうしてきみの弟妹が無事な
のかに興味が湧くよ」
 リニスは、ようやく紅茶に手を伸ばした。すっかり冷えたそれを、
それでも口を付けずに彼女は目を伏せた。
「…あのふたりだから、というのは答えになるかしら?」
「きみらしい答えだ。悪くないと思うよ。まあ、だからこそK5に
もETを載せてみたんだけど」
「エモーショントリガーって…ピクスのプロトタイプでしょ? K
6のテストベットってことよね。セアだからできたってこと?」
「正直、賭けだったけど。彼があそこまで適応できるとは思わなか
った。今データを洗わせているよ。実機ももうすぐ完成するし、或
いは史上最強の騎士が生まれるかも知れないな」
 脳天気な台詞を無視して、目を細める。
「でも、K33には付けなかったのね?」
 ズッっと異音を発して、ターティアはソーダを飲み干した。
「彼女には大切な役割があると思うから。その上で戦うのならば、
試す価値はあると思っている」
 結局口を付けずに紅茶のカップを戻しながら、リニスが眉根を寄
せた。
「役割?」
「そう。…まだ確認が取れたわけじゃないけど、おそらくは。シャ
ルレイン・セラムという女の子にしか果たせない役割が、あるんだ
と思う」
 ターティアの表情は、今は笑っていなかった。

 −そして。
「シャルレインちゃんがいなくなった?」
 リニスを待っていたのは、動転したセアの訴えだった。彼女は、
うなだれる少年の姿に、唇を噛みしめた。
「…そう、そういうことなのね」


次へ    前へ    目次へ