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天翔ける騎士 第10章「螺旋の歩みの果て」
Dパート
"Earthlight Serenade" D-Part
「どうぞ」
ノックの音に無意識に反応したアークライトは、ドアの閉まる音
でようやく来客があったことを認識した。
「…どうした、セア?」
黒髪の少年が、珍しく憔悴した表情でそこに立っていた。その姿
に、ある予測が脳裏を走る。
「シャルが行きそうな場所って、知りませんか?」
アークライトは無言で眉を動かした。
「シャルが、いないのか?」
セアは痛ましい表情で頷く。
ファディレとの会見の後、アークライトはアルマリックに戻らな
かった。その結果の、シャルの失踪。悪しき予想が現実のものとな
った。
気づかれないようにため息をひとつついて、セアに椅子を示す。
だが、彼は反応を示さなかった。逡巡の後、セアは立ったまま、シ
ャルがいなくなり、丸一日たった今日になっても、艦隊のどこにも
見つからなかったことを、途切れ途切れに語った。
黙って聞いていたアークライトは、口を閉ざしたセアを見て、軽
くこめかみを押さえた。ふと手元の端末に目を戻すと、いつの間に
かタリスからのメッセージがあった。内容はセアの話と大差ないが、
これで裏が取れた。どうやらセアはタリスらの了解も得ず艦を抜け
出してきたらしい。
「…昨日別れた後、アルマリックにも他の艦にも戻っていないんだ
な」
これにも無言で頷くセア。
「シャルは…自分がケムラーの孫だって、そう言って…。だから、
もうここには居られないって、そう思ったのかな」
独り言のように、つぶやく。
「ケムラーの孫…」
「連邦の、ローレンツ・ケムラーの孫娘だって、そう言って…、そ
して…居なくなったんです」
アークライトはしばし瞑目した。やがて、ぽつり、と言った。
「自分から、そう名乗ったのか?」
叩頭するセアを見て、拳を握った。
「そうか」
アークライトは手元の端末を操作した。そして、無言で、プリン
ターから出てきた紙をセアに手渡す。
「…これは?」
「これから、迎えに行って欲しい」
「居場所が、分かるんですか?!」
詰め寄ったセアに、軽く手を振る。
「分かると思ったから、私のところへ来たのだろう?」
冗談めかしたが、鋭い視線にひとつ首を振った。
「君たち…正確にはシャルだけだが、とにかく監視されている」
「監視って…まさか、シャルのこと、知っていたんですか?」
「私は疑っていただけだ。しかし同盟の上層部は、かなり早い段階
で知っていたらしい。当然、彼女の身辺の調査はそれなりに行って
いたようだな。これはその結果だ」
セアの手の中の紙を示した。
「どうして…」
「利用価値があるからな。総帥の孫娘が反乱軍で戦っている…ネタ
になる話だと思わないか?」
「でも」
目の前のデスクに手を付いたセアを。手のひらを向けて制した。
「…いいか、セア。問題はそれだけじゃない。同盟は、シャルを同
盟盟主に据える気でいる」
「え…それって…」
「分かるな? 彼女の存在自体が、戦争の理由、そして目的になっ
てしまう」
セアは息を呑んだ。
彼女が戦う理由。
それが何であったのか。
「だからセア、お前に迎えに行って欲しい。同盟上層部に保護され
るよりも、少なくとも今はアルマリックにいた方が彼女のためにな
る。私はそう考える」
彼女が自分で姿を消したという点で、まだ最悪の事態ではない。
そして、彼女と「話す」ことができるのは、この少年しかいない。
「アークライトさん…」
「彼女の居場所は、おそらくそこしかない。彼女に会って、全てを
話せ。それからどうするかは、彼女と、お前が考えろ」
最悪、すでに身柄が確保されているかも知れない。しかし、強硬
手段に訴えるなら今までに幾らも機会があったはずだ。ならば、幾
度と無く奇跡を起こしたこの少年に、賭けても良い。
「まだ、間に合う」
少年の瞳に、光が戻った。
「ウォリンガー氏が、無事に到着した模様です」
ラグランジュ同盟軍総旗艦「トリスケリオン」。月面解放戦の準
備が本格化し、にわかに活気が戻った艦橋で、ミラがそう声を上げ
たとき、唐突に、警報が響き渡った。
「S17より入電。エリアEMU10K1にアンノウン!」
『EMU8008から8080まで、迎撃態勢クラスD』
「10K1より10K6のサーチ、モードEへ」
「EWAC5より。アンノウンさらに3、9009を進攻中」
『防衛ライン接触まで、あと1万5千』
「機種判別、アンノウン、連邦軍偵察型戦闘機と判明」
『アイオロス型6機、シャーテン型3機』
「編成から見て、強行偵察部隊と思われます」
肉声と合成音声が交錯する中で立ち上がった老人は、しばしの瞑
目の後、右手を振った。
「哨戒中の各機へ打電。目標を落とせ」
「元帥?」
ファセラが老人を振り返った。
彼に、ファディレは頷く。
「アポロへ押し込める。ゲゼルとエックを先行させろ。トリスタ提
督は?」
ミラがコンソールと格闘しながら、返答を返す。
「『ペリス・ベレニス』で待機中…出しますか?」
「後で恨み言を言われるが…構わない。出せ」
オペレーターが慌ただしく動き出す中で、ファディレはルーディ
ングに命じて配置図を出させた。ひとつ頷いて、腕をかざした。
「アークライトとリーを至急呼び出せ。側面から叩き付ける」
間髪入れず、司令部に声が渡る。
「アークライト艦隊、リー艦隊、発進準備。繰り返す…」
「まずいな…」
急遽アルマリックへ戻ったアークライトは、各部の準備状況を見
てうめいた。
「どうした?」
タリスの声に、忌々しげに拳をコンソールに叩き付ける。
「セアにシャルを迎えに行かせたが…タイミングが悪すぎる」
「準備のできた艦から軌道へ乗れ。リー艦隊に追随する。…そうと
も言えんが」
「パターンCで展開しろ。トリスタのおばさんが文句を言う前に前
面へ出るぞ。…あちらが手を引くと?」
「そうだ。まさかエヌマを外すわけにもいくまい。…アルマリック
合流までクラクフを臨時旗艦とする。今からタリスが移乗する!」
「…それで時間稼ぎの手か。良くできた副司令殿だ」
「アルマリックは推進系の故障で発進が遅延する。士気高揚のため、
アークライト司令自ら修理現場で作業を行っている…そういうシナ
リオだ。うかつに司令部からの通信に顔を出すなよ」
そう言って出ていくタリスに手を振って、アークライトは傍らの
モニターに目を遣った。
「セアからの連絡は未だ無し…か」
無意識に机の上を指で叩いていた。
「あの、俺行きましょうか?」
背後からグーランの声が聞こえた。パイロットスーツ姿のグーラ
ンが立っていた。
「…いいのか?」
「行きますよ」
陽気そうな表情で笑う。
「ふたりがいなければ、この船は動きませんからね」
腕を組んで黙って見ていたリニスが、目を細めて腕を解いた。し
かし、口は開かない。
「…ということですが、いいですか、隊長?」
問われたキーツが、苦笑を漏らす。
「休暇中隊員の招集も仕事の内だしな、一応」
アークライトが向き直って、軽く頭を下げた。
「グーラン、頼む」
艦橋を出て格納庫へ向かって歩き出したグーランに、硬い表情の
リニスが並んだ。
「リニスも来るのか?」
「…あいつが何を言っていたのか、ようやく分かったわ」
「あいつ?」
「ターティア。シャルレインちゃんの役割がどうのこうのって言っ
ていたのだけど、こういう意味だったのね」
「…よく分からないな。リニスは、何に怒っているんだ?」
赤毛をかき回しながら、グーランは頭一つ低い女性に問いかけた。
「たぶん、何も知らなかった自分に」
「目標、接触しました」
オペレーターが振り返る。
「敵ペルーンタイプ、囮に食らいついた模様です」
すくっと、老人が立ち上がった。
「あちらのご老体もよほど戦いたいらしいな…。よろしい。敵を迎
撃可能地点まで引き寄せろ」
リト・アドリアンは、照明が落とされた艦橋で、腕を振った。
「ヴァノン艦隊より入電。敵戦闘機をレーダーで確認」
「撃墜を許可する。可能な限り速やかに、敵の喉元へ食らいつけ」
『了解です、大将』
「アルマリック、出発が遅れるようです」
オペレーターからの報告を受けたルーディングが、指揮官席を振
り返った。
「なに?」
ぴくり、と老人の眉が動く。口元が軽く痙攣するかのように動い
た。
「この期に及んで駄々をこねるか、アークライトっ!」
表情の変わったファディレを案じながら、ファセラが補足する。
「艦隊全体の指揮権は一時的にリー提督に委任、自艦隊指揮は、臨
時旗艦からタリス副司令が執るようです。何でも推進器の不具合と
か」
「艦隊が動けば問題はないが…督促は続けろ」
苛立たしげな声を出す老元帥に視線を遣りつつ、ミラがファセラ
に耳打ちする。
「サボですかね?」
「まさか…。あの人はそういう柄じゃないだろ」
「でも、セラム嬢は下ですし…」
「…待っているのだろうな、彼女を」
その男は、一軒の瀟洒な邸宅の前に立った。
その家の佇まいを見遣る表情は柔らかい。温和な表情の見本のよ
うな様子である。年の頃は初老と言っていいだろう。髪の毛はまだ
十分黒いが、所々に銀髪が見える。
「ここか」
何某かの感慨の籠もった声色は、彼にしか聞こえなかった。決し
て高価そうには見えないが、それでも趣味の良いスーツを軽く整え
て、彼はその家のドアへと歩み出した。
「ああ、君たちはそこで待っていて下さい。ちょっと時間がかかる
と思いますから、適当に休憩して構わないですよ」
途中で足を止めて振り返って言う。そこには、黒いスーツに身を
固めた男たちが立っていた。
「それと、例の少年がいらしたら、手荒な真似などせず、丁重にお
連れするように」
釘を差すように、若干厳しめの口調になった。彼らが了解するの
を確認して、彼はノッカーを叩く。
「トマス・ウォリンガーと申します。シャルレイン殿はご在宅でし
ょうか?」
彼女は、木でできたデスクに頬杖をついて、妙にアンティークな
時計の振り子を目で追っていた。目の前のマグカップには、すっか
り冷めて中身が分離したレモネードが入っていた。
…温かいうちに飲んでおけば、美味しかったのにな。
正確に時を刻む時計の音色に身を委ね、ぼんやりと視界を薄める。
その時計が時を告げたのと同時に、玄関のノッカーが鳴った。
「!」
ビクと、身を起こす。
階下で言葉を交わす気配があってしばらく。彼女の部屋のドアが
叩かれた。
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
彼女は、呼吸を整えて立ち上がった。
「はい、何でしょう?」
言いながらドアを開ける。木製のドアが、若干のきしみとともに
開いた先には、上品な雰囲気の白髪の老人が立っていた。
「失礼します。お嬢様にお会いしたいというお方が見えております」
老人の肩越しにちらと階下を見遣る。少なくとも、彼女が欲して
いた人物とは背格好が異なっていた。
「…どちらの方ですか」
「ラグランジュ同盟の盟主代理、トマス・ウォリンガー様と。お一
人で見えられていますが、お帰り願いますか?」
瞬きを数度して、彼女は口元に手を当てた。
「…お一人なら、会います。今降りていきますから、お通しして下
さい」
「かしこまりました」
きしみとともに閉じたドアに、彼女はこつんと額を乗せた。
「間に合わなかったね、セア…」
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