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天翔ける騎士 第11章「辿り着く絶望。そして−」
Bパート
"stigma" B-Part
「全砲門開け。主砲斉射用意」
「ピアス・バトラー」艦橋で、ローゼンスが短く命じた。年の頃
は中年であろう。やや出気味の腹が、彼を年相応に見せている。
「『シェラ』より入電、発射準備完了」
「『ブラッドフォード』、準備よろしと」
「『パニッツィ』以下、ターゲッティング完了!」
報告を受けて、重々しく頷いた。
「トリスタ艦隊は?」
「『ベリス・ベレニス』『キャメリア』『プルヌス・ムメ』以下、
全艦が既に交戦に突入しています」
ローゼンスは指揮席より立ち上がった。
「全艦斉射。ヴァノン艦隊を退けろ!」
ローゼンス艦隊から放たれた高密度のビームが、ヴァノン艦隊の
正面へと突き刺さった。
「敵、新たに突入してきます!」
『「アヴァロン」、被弾!』
『「イナバヤマ」、一時後退を進言しています』
「狼狽えるな! 敵の本隊ではありません。まだ行けます!」
幕僚に何事か指示を出した後、さらに艦橋に向かって声を張り上
げる。
「アドリアン大将の艦隊も未だ合流しない状況で、ここまで踏みと
どまっています。月面を守るのは、我々しかいないのです!」
「穏やかなる颱風」は、その本領を発揮しつつあった。
「ローゼンス艦隊、突入してきます!」
その報に、彼女はパチンと扇を閉じた。
「相変わらず出足が遅いこと。ま、これでわたくしの艦隊の被害は
抑えられるわね」
しかし、すぐに視線を険しくして、状況図を睨み付けた。
「…それにしても、アークライト坊やは何をしているのかしら。か
弱いわたくしに、あの暴走熊を止めろと?」
うんざりしたように息をつくと、それでも声を張り上げて命じた。
「『ファレノプシス』を前進させなさい。ローゼンス艦隊が来る前
に崩れたら洒落にもならないわ」
「暴走熊」と表されたヴァノンがクシャミをしたかどうかはとも
かく、アークライトはクシャミをすることすら忘れて、格納庫の床
へと降り立った。その横に、盛大な音を立てて軍用ジープは停止す
る。戦場のど真ん中を駆けてきた訳でもあるまいに、目に付く損傷
が多くあったのが、不審といえば不審であったが−。
「こら、止めるときくらい、ちゃんと止めないか」
「文句が多いわよ、ダフィナ君」
「…やっと、やっと、着いた」
「わたしたち、生きてるんだよね、セア…」
横転するかと思ったくらい、盛大に遠心力に振り回された車体が
元に戻るや否や、3人の人間が、半死半生の体で社内から這い出し
て来た。
せっかくのワンピースが汚れるのも厭わず、セアと一緒に格納庫
の床に仰向けになったシャルの前に、手が差し出された。
「アークライトさん…?」
のろのろと、その力強い手を掴む。
「…済まなかった」
アークライトの手を借りて立ったシャルは、一瞬瞠目したが、や
がて軽く服を払って、そして微笑んだ。
「いえ。アークライトさんは、わたしを助けて下さいました。感謝
こそすれ、非難することなど、ありません」
軽くセアにも笑ってから、アークライトに向き直る。
「わたし、シャルレイン・ケムラーは、自分の意志でここへ戻って
きました。アークライト提督、またわたしを、エヌマ・エリシュに
乗せて頂けますか?」
アークライトは、しばし彼女を見つめてから、諦めたように頭を
振った。
「…君にとっては、どちらにせよ辛い道だ。せめて、自分の好きな
方を選びなさい。私には、その手助けしか、できない…」
笑顔で頷くシャルから目をそらし、アークライトは怒鳴った。
「全艦、発進準備! 合流急ぐぞ!」
ちらりとふたりに視線を走らせ−
「戦闘機の準備もだ! 『ベズルフェグニル』と…『エヌマ・エリ
シュ』を最優先に!!」
「「了解!」」
アークライト艦隊臨時旗艦「クラクフ」艦橋−
「『アルマリック』より入電!」
指揮席に座らず、相変わらず直立不動の姿勢で戦況を見ていたイ
ード・タリスは、初めて反応らしい反応を見せた。
「読め」
ちらりと視線をオペレーターに向けたが、姿勢は変わらない。
「はい…『推進器の部品到着す。これより合流せん』−以上です」
「…そうか、ようやく来たか」
微かな笑みを浮かべたタリスを、『クラクフ』のスタッフが物珍
しそうに見遣った。その視線を一蹴するように、タリスは落ち着き
払った声で命じた。
「リー艦隊へ打電、『アルマリック』合流次第、熊狩りを行う、と」
「了解。…熊狩りですか?」
不思議そうに見返したオペレーターに、タリスは冷たい視線で答
えた。
「トリスタおばさんがそう言ってきたのだよ。『はやく熊狩りに来
い』と」
「レグミィ第3部隊、発進」
「フェッド・フォルニール隊、順次出します」
「トリスケリオン」艦橋では、前衛が敵を抑えている隙に、戦闘
機隊を発進させようとしていた。
「フェッド・フォルニール、よく間に合いましたね」
ミラが、傍らのファセラを振り返った。
「ベースはエヌマらしいからな。お嬢さんの実戦データが生かされ
たんだろ」
「いよいよKシリーズも量産ですね」
ルーディングが混じってくる。
「エヌマ系は厳密にはKシリーズじゃないらしいけどな」
そう答えたファセラのコンソールに変化が現れた。
「これは…」
慌てて、ファディレを振り仰ぐ。
「どうした?」
「リー艦隊、前進を開始しました。所定のコースで敵側面を狙って
います。…ということは」
「アークライト艦隊には動きが見られません。『クラクフ』や『ア
ルマリック』からも入電ありません」
「…しかし、刻限としては良い頃合いだ。アークライトが出張るま
で、しばらく待ってみるか」
腰を落ち着けるように、ファディレが漏らす。先ほどのような苛
立ちは無いが、前衛だけで支えていることには、若干の不安を抱え
ているようだった。
「ローゼンスとトリスタの損耗状況は?」
「両艦隊とも2%前後です。撃沈や戦闘不能艦は、今のところ確認
しておりません」
ルーディングの声に、ファディレが表情を曇らせた。
「ヴァノン艦隊に2個艦隊を当てて、まだ優位に立てぬか。これで
老練なアドリアンが加われば、こちらが不利かも知れぬな」
「敵、後衛より戦闘機隊を確認!」
「機種照合…未確認機多数です!」
ヴァノンは、太い腕を横に払った。
「迎撃準備。『グラディウス』で遠距離から牽制させなさい。懐に
飛び込まれたら、『ファルカタ』で近接戦闘に。…なるほど、前衛
には戦闘機を出す余裕がありませんか」
不敵な笑みを浮かべたヴァノンは、声を張り上げた。
「突出して左の艦隊へ一撃を食らわせます。至急陣を整えなさい!」
高密度な砲火を浴びながら、敵の突出を受け止めたのは、トリス
タ艦隊だった。
「ベリス・ベレニス」の艦橋で、珍しく彼女は声を張り上げる。
「ここで退けば敵に余裕を与えるわ! 何としても踏み止まりなさ
い」
「提督、ローゼンス艦隊に救援を!」
「無駄よ。奴らの次の標的はローゼンス艦隊に決まってるわ。こち
らを退かせて一息入れるつもりでしょうけど、そうはさせないわよ」
閉じた扇で膝を打つと、彼女は立ち上がった。
「最初の一撃だけ持ちこたえなさい。敵の退くタイミングを計って、
逆撃をかけます」
目まぐるしく動く艦橋を見渡しながら、トリスタは軽くため息を
ついた。
「…なんでわたくしの艦隊がこんな目に」
「ヴァノン艦隊、トリスタ艦隊に突出します」
アドリアンは無言で顎を撫でた。
「司令、そろそろ前進されては?」
幕僚の声に、アドリアンは首を振る。
「まだ早い。ファディレも、アークライトも未だ動かない。ここで
前衛を全力で屠ったところで、残った敵の餌食になるのは明白だ。
それに…」
厳しい表情で、モニターを眺める。
「ヴァノンは思った以上によく戦っている。このまま行けば優勢勝
ちだが…」
ふと、モニターの片隅に目をとめた。
「…そうもいかないか。そろそろ動き出す必要があるかも知れん。
準備せよ」
彼が見た部分には、戦場を迂回するリー艦隊が映っていた。
「そろそろメリエラが来るはずだ。それまでに引っかき回しておく
ぞ!」
おう、と威勢良く艦橋の面々が応える。
「フューネラル」以下リー艦隊は、一個艦隊に満たぬ数ながら、
ファディレ艦隊以下の後衛艦隊の一翼を担っていた。指揮官不在の
アークライト艦隊をも臨時に指揮下には置いていたが、タリスから
の通信を受け、単独で行動を開始した。
「トリスタおばさんが耐えてくれれば、敵の退く一瞬に攻撃を集中
できる」
リーは腕を組みながら、じっとトリスタ艦隊の動きに注視してい
た。すでに戦場の迂回も半ばを過ぎ、一気にヴァノン艦隊の側面へ
躍り出ることの出来る位置を占めていた。
「…とは言え、相手はあの『穏やかなる颱風』か。こちらが巻き込
まれないようにしなくてはな」
「待たせた」
艦橋に上ったアークライトを、スタッフが敬礼で迎えた。それに
軽く応えながら、いつもの指揮席に腰を下ろす。
「…タリスがいないと落ち着かないな」
居心地悪そうに座り直して、前方を睨んだ。
「準備完了し次第、速やかに発進。艦隊と合流だ」
「リー艦隊、突出を開始しました」
報告と共に、スクリーン表示が切り替わる。
「…相変わらずせっかちな」
タリスが指揮するアークライト艦隊を残しているのに気が付いて、
苦笑した。
「各部オールグリーン。推進器も良好です」
副長の報告に苦い顔をしながら、クライブ艦長がアークライトを
振り返った。
「提督、発進準備、完了しました」
その声に頷いて、立ち上がる。
「『アルマリック』、発進!」
「アークライト提督より入電、『アルマリック』発進したと!」
「…遅いな」
不機嫌に答えて、ファディレは顎を撫でた。
「リーとアークライトが側面を突いたら、トリスタとローゼンスを
下がらせろ。さすがに被害が大きいだろう」
「ヴァノン艦隊には、さほどの被害が出ていません…さすがですね」
ルーディングの嘆息に、ファディレが振り返った。
「こと戦闘に関しては容赦がない…『穏やかなる颱風』の異名は伊
達ではないな」
「元帥、アドリアン艦隊に動きが見られます。リー艦隊の突出に対
応しているのでは?」
「そうだな。アークライトは時間差になる…少し本隊を前に出すか。
トリスタとローゼンスには最後で働いてもらわなければな」
「ラグランジュ軍の本隊が、前進してきます!」
アドリアンの眼前で、オペレーターが叫ぶ。
「見苦しいぞ。前衛の援護のために過ぎん。主力を温存している以
上、まだ本気で撃っては来ない!」
一喝して、視線をスクリーンに戻す。
「…ヴァノンめ、少し熱くなりすぎているな」
「『アルマリック』合流まであと400」
その報告に、タリスがひとつ頷いた。
「よし、リー艦隊に続いて前進開始。『アルマリック』が合流した
ら、全速で突っ込むぞ」
そして、ようやく動き出した本隊に視線を向ける。
「元帥も重い腰を上げたか…。あとは力比べだな」
面白く無さそうにつぶやいて、オペレーターにシャトルの手配を
させた。
「『アルマリック』に通信は通るか?」
「強度512まで、帯域確保できます」
「よし。繋げ」
しばらくコンソールに向き合っていた通信士が、振り返って親指
を立てた。軽く頷いて、タリスが声を張り上げる。
「現時刻を以て、指揮権を『アルマリック』のアークライト司令に
返上する。署名、イード・タリス。送れ」
「アークライト艦隊とリー艦隊が、側面へ展開を開始しました」
「正面の敵艦隊、後退を始めました」
「本隊、接近中。あと300で有効射程」
「アドリアン艦隊は?」
「敵前衛の後方、およそ1200」
「よし」
ローゼンスがコンソールに両手を突いた。
「砲火を集中させろ。敵を押し戻して、こちらが陣を整える時間を
稼ぐ。トリスタ提督は?」
「おそらく同じことを考えています…主力艦を前に出しています」
「あのおばさんと息を合わせるのはぞっとしないが…」
しばらく様子を眺めていたローゼンスが、大きく息を吸った。
「撃て!」
「ローゼンス提督もわたくしの真似をするつもりかしら?」
スクリーンで戦況を眺めていたトリスタは、組んでいた足を戻し
て、親指で唇を撫でた。
「確かに、アークライト坊やとリー坊やはいい線を突いている…あ
とは元帥次第ということね」
素早く視線を巡らせて、状況を把握する。
「いいわ。『ベラルゴニウム』と『カレンデュラ』を前に。火力で
敵を押し戻さないことには、こちらの身支度の時間も取れないわね」
それに、と続ける。
「あのふたりには、少しでも恩を売っておかないとね」
旗艦「ベリス・ベレニス」の左右に、戦艦が進み出てくる。
「艦長、この船も前進よ」
振り返った艦長に、艶然と微笑む。
「このツァラ・トリスタは、常に前線にいるわ。隣の出遅れおじさ
んとは一緒にしないでちょうだい」
艦長はひとつ頭を振って、それに了解した。
散発的な砲火の中を、「ベリス・ベレニス」がしずしずと進み出
る。
トリスタは満足げにスクリーンに映る外の景色を眺めていたが、
やがてぱちん、と扇を閉じてそれを振った。
「ローゼンス艦隊とタイミングを合わせなさい。そろそろ行くわよ」
それこそ呼吸を計るように、浅く息を吸って吐いてを繰り返す。
「頼むわよ、アークライト坊やにリー坊や」
普段の超然とした様子からは想像も出来ない、雌豹の目だった。
獣の目が、すぅっと細まる。
「全艦斉射!」
「臨時旗艦『クラクフ』確認!」
「アルマリック」は、ようやく自らの指揮する艦隊に追いつこう
としていた。
「『クラクフ』より通信…『現時刻を以て指揮権を返上する』と。
タリス副司令の署名付きです」
アークライトは首肯して立ち上がった。
「アークライト、確かに指揮権を受け取った。タリス副司令は、速
やかに『アルマリック』に戻られよ」
儀式めいた遣り取りの後、「アルマリック」は自らの艦隊の中へ
と飲み込まれていった。
「タリス副司令の乗ったシャトルを確認、着艦デッキ開きます」
「ビーコンは出すなよ。遠距離でも狙われるぞ」
艦長の怒声を聞き流して、オペレーターが誘導を開始した。
『戦闘機隊、発進準備完了しました』
キーツの声で通信が入った。
「待て、シャトルが着艦する。デッキを空けておけ」
「ガイドレーザー照射…進路クリア」
慌ただしい報告が飛び交う中、アークライトは無言で戦況を写し
た画面を確認していた。
「トゥアンめ、無駄に前に出すぎだぞ…人を当てにするな」
苦笑めいたような、呆れたような声で呻いた。
「しかし、敵も2個艦隊でよくも持たせる」
本隊の前進で敵が若干退いた隙に、ローゼンス、トリスタの両艦
隊は一時的な盛り返しを見せていた。
数分後。
「待たせたな、アークライト」
艦橋のドアが開いて、タリスが入ってきた。
「…」
無言で、何かを待つように、アークライトを見る。
「私の顔に何か付いているか?」
「…『それはこちらの台詞だ』とか、言い様はいくらでもあるだろ
う」
機嫌を損ねたように、吐き捨てた。それでも、すぐに口調を戻す。
すでに、いつもの定位置に立っていた。
「で、どうする?」
「トゥアンには追いつけないが…時間差で交互に叩く」
ばつが悪そうに、傍らを見上げた。
「だろうな。リーくんだけでは荷が勝ちすぎる…相変わらず先走っ
ているな」
「あいつの尻拭いが私の役割というわけだ。当てにされるのは有り
難いが…」
納得したように息を吐いて、ふと横を見上げた。
「…済まなかった。助かったよ」
タリスは、アークライトの方を見ずに、口を開く。口元には微か
な笑みが浮かんでいた。
「お前の尻ぬぐいが俺の仕事だ。…今度ばかりは、お前も堪えただ
ろうから、貸しにはしないぞ?」
「そちらの方が助かる…さて」
アークライトは、ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ行くか」
『リー艦隊、接敵!』
「よし、トゥアンの引くタイミングを計って突出。呼吸を合わせろ
よ!」
「側面より敵艦隊!」
「慌てるな! 正面を退かせるための陽動です。構わず正面を攻め
なさい」
巨体を震わせて怒号するが、すぐに砲火の光にはっとなる。
「この火力…まさか、あの船ですか?!」
「旗艦判別…『ジュピター』級です!」
リー艦隊と呼応して後退したトリスタ艦隊とローゼンス艦隊を追
撃したヴァノン艦隊は、その伸びた戦列にリー艦隊の突出を受け止
めることとなった。したたかに痛撃を受けて、出血を強いられる。
「戦列を側面へ展開。あのバケモノを受け止めなさい」
しかし、ヴァノン艦隊が砲火をリー艦隊に集中させようとするや
否や、リー艦隊の前進が止まった。止まっただけでなく、後退を始
める。
「敵艦隊、後退!」
「深追いはしないように。狙うはあくまで、ファディレの首のみ」
アドリアン率いる艦隊の到着を待って、一気に正面への攻勢を狙
う。しかし、リー艦隊の背後から、別の艦隊が躍り出てきた。
「旗艦確認! …『アルマリック』、アークライト艦隊!」
その声に、艦橋が動揺した。開戦以来、地球圏において無敵を誇
る艦隊。そして、もはや神話に等しい力を持った2羽の鳥を宿す『林
檎の城』−。
アークライト艦隊は、リー艦隊を迂回するように急進し、後退し
始めた戦列に砲火を叩き込んだ。
「リー艦隊、前進します」
挙がった声に、間髪入れずアークライトの声が飛ぶ。
「後退を開始。砲撃は絶やすなよ」
アークライト艦隊に対していた戦列の側面に、リー艦隊の砲撃が
行われる。
「正面はどうだ?」
タリスの声に、スクリーンの一部の表示が変化した。
「ローゼンス、トリスタ艦隊に対していた部隊が、こちらへ移動を
開始しています」
「…間隙はアドリアン艦隊が埋めるか」
数の上ではラグランジュ軍優勢だが、ヴァノン艦隊がよく持ちこ
たえている。しかし、ローゼンス、トリスタ艦隊に次いで、アーク
ライト、リー艦隊の攻勢を受け、徐々に戦線を縮小し、防御の姿勢
へと変化しつつあった。
「ヴァノンが守りに徹すると、厄介だぞ?」
「いや、いつか攻勢に転じる。転じざるを得ない。一発逆転の目を
狙うしかないからな」
「元帥を一気に突くか…」
難しい顔で、といってもいつもとそう変化があるわけではないが
−スクリーンを見遣る。
「おそらく、アドリアン艦隊の合流。そのタイミングしかない」
「向こうも分かっているのだろうな」
「ガンマンの決闘のようなものさ。相手が撃つタイミングは分かっ
ている。そのタイミングで、自分が相手に先んじられるか否か」
「本当に賭けだな」
「多少のイカサマはやむを得ない。『ベズルフェグニル』の準備は
大丈夫だな?」
「敵、正面が退いていきます!」
「いや、アークライトとリーに対処するためだ。すぐにアドリアン
艦隊が来るぞ」
ローゼンスは低く応じて、出気味の腹をさする。
「そろそろ下がるぞ。しばらくは本隊に出張ってもらわねば」
ぽん、とひとつ腹を叩いて、声を張り上げた。
「全艦後退。本隊にぶつかるなよ」
「ローゼンス艦隊、後退を開始」
その報に、トリスタは扇を開いて口元にあてがった。
「遅刻の上に早退? なかなか不良でいらっしゃるわね、ローゼン
ス提督」
すぐに立ち上がって、その扇をかざす。
「ぐずぐずしない! さっさと全速で後退なさい。取り残されれば
狙い撃ちされるわよ!」
急制動と逆方向への加速による慣性を、コンソールに掴まってや
りすごしたトリスタは、指揮席に腰を下ろして、ため息をついた。
「結局、割を食うのはわたくしなのよね…」
しかし、その台詞の割には嬉しそうな表情をしていた。
総旗艦「トリスケリオン」艦橋で、ルーディングが年相応の声を
上げた。
「アドリアン艦隊、前進しつつ艦隊を展開!」
甲高い声に、思わず耳に穴をいじりながら、ファセラは状況を報
告する。
「ローゼンス、トリスタの両艦隊は、既に後退を開始。一部は後衛
へ下がっています」
「アークライトとリーは?」
ファディレが、ややしわがれた声で尋ねる。
「ヴァノン艦隊と交戦中ですが、一時ほどの激しさはありません」
「ふむ…」
口ひげをしごきながら、両眼に険しい光を宿す。
「アークライトへ打電。『神の翼を広げよ』と」
言ってから、わずかに口を歪める。
「あの者ならば、分かってはいようが…」
その呟きをかき消すように、大仰に立ち上がる。
「目標、アドリアン艦隊中央部!」
ゆっくりと手をかざす。
「敵、イエローゾーンに到達。赤まで100」
「ヴァノン艦隊に動きが!」
「アークライトとリーに任せる」
姿勢を変えず、ファディレは即答した。そして、眼前の光景に目
を細める。
「…リト・アドリアン提督か。これもやはり因縁かの?」
確かに、彼は微笑んだ。そして−
「射程到達!」
「撃てい!」
ファディレの腕が空を切った。
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