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天翔ける騎士 第11章「辿り着く絶望。そして−」

Cパート



"stigma" C-Part


「本隊、及びアドリアン艦隊、展開しつつ接近しています」
「そろそろだな」
 タリスの言葉に無言で頷いて、アークライトはキーツを呼び出し
た。
「セアを先行。他の機体はセアを援護しつつ、敵を引っかき回して
くれ」
『…引っかき回す、だけでいいのですか?』
「正面に目を向ける隙を作らせなければいい。方法は問わない」
『なるほど。了解しました』
 軽く苦笑しつつ、敬礼をしてキーツの姿がモニターから消える。
「『フューネラル』のように、マスドライバーはないが」
「加速する艦からリニアカタパルトで打ち出せば、それなりの加速
は付くよ」
 タリスにそう答えて、アークライトはじっとスクリーンを見つめ
た。

『セアが先行。他の機体は、それを援護しつつ、突入。いいな?』
 「はい!」と答えながら、彼女はウィンドウの片隅に映った彼の
姿を盗み見た。機器の設定か調整か、コンソールをいじっていた少
年は、そんな少女の視線に気づいたのか、ふとこちらを見遣った。
そして、柔らかく微笑む。
「大丈夫だよ、シャル。いつも通りにやっていれば」
 彼は全く、いつもの出撃前のように振る舞っていた。
 あまりの慌ただしさに忘れてしまったのか−あるいは、その事実
をどうとも思っていないのか。忘れられるような行為ではなかった
はずだし、今まで彼を見ていて、その行為を何とも思わないはずは
無かった。
「まさか、そこまで鈍感じゃないよね…?」
 ふと眉をひそめるが、右手首に巻いたリボンに目がいくと、自然
と顔がほころんだ。
「セアだって、わたしのことを想ってくれている−だから」
 彼女は、グリップを握り直した。
「わたしは、わたしの翼で飛ばなくちゃいけない」

「いつも通り、か…」
 自分で言った台詞に苦笑する。
 いつも通りではいられない。それは分かっていた。カツンと当た
った歯の痛さが、今でも残っている。それは、彼女の決意だったの
だろう。ならば−
「僕は、今まで通りの僕でいなくちゃいけないんだ−」
 きっ、と前方を見る。いや、顔を上げて目を閉じただけだ。それ
だけで、うっすらとこれから飛ぶべき宇宙が描かれる。
 これだ、と思う。
 「フラス」もそうだったが、この「ベズルフェグニル」は、より
強く意識に干渉してくる。周りが「見える」。その周りに反応する
ように、手足が動く。
「これは、普通じゃない…」
 呟く。だが、その普通じゃない状態に慣らされているのも確かだ。
初めて「フラス」に乗って以来、それに違和感を覚えたことは無か
った。だから。
「だから、これに乗っていられる」
 無意識にコンソールの上を手が走り、機器に光がともる。
 エンジンの吹き上がりを体で感じながら、首を巡らせた。
 黒い機体が3機。その背後には同じ形状で、色が若干異なる機体
が続く。先頭の3機には、それぞれ、赤、青、緑のラインが入って
いる。そして、銀灰色の機体。機体そのものは細身で優美な感じさ
えするが、ゴテゴテしたものがくっついているせいで、妙に不格好
に見える。そして−。
 そして、傍らに在る純白の機体。汚れ無き、白き妖精。

「戦闘機隊、発進準備、完了」
「全砲門、全て射撃位置」
 無意識に頷きつつ、スクリーンから目を離さない。
「そろそろか」
 タリスの声が届くか届かぬかのところで、艦橋で絶叫に近い声が
上がる。
「アドリアン艦隊が、元帥の本隊と接触!」
「ヴァノン艦隊、後退を停止…いえ、前進してきます!」
 アークライトは右手をかざした。
「全艦斉射、続いて戦闘機隊、発進!」

『戦闘機隊、発進せよ!』
 管制室からの声に、セアはもう一度、傍らの機体を見た。同時に、
モニターに映る少女の、やや険しい顔を見遣った。
「じゃ、行くよ」
 その中に座る少女に、なるべく普段の調子に聞こえるように声を
かけて、彼はゆっくりと進み出た。
 ガツン、と機体が固定される音がして、真横へ視界がスライドし
ていく。前方に見えるは、漆黒の空間。
 セアは、ゆっくりと顔を上げた。
「『ベズルフェグニル』、セア・ウィローム、行きます!」
 グン!
 リニアカタパルトが、滑るように機体を前へ前へと押し出す。迫
り来るGと光に目眩を覚えながら、彼はただ前を見据えていた。
 一瞬の後、その灰色の鳥は宙へ投げ出された。滑空するように、
しばしその飛行に身を任せた後、機体の後部から、輝く翼をはため
かせた。羽ばたくように揺らめいた後、鳥は速度を増して、光の中
へと躍り込んでいった。

 無意識のうちに、背後から追いすがる機体と編隊を組むように−
とは言っても、速度も違うし距離もあるので、編隊にはなりようも
ないが−位置を調整しつつ、セアは「ベズルフェグニル」を敵艦隊
目がけて飛ばしていた。
「これで、まだ試作品だっていうんだから…」
 余計なことを考える余裕などは無いはずだが、妙に冷めてる頭が、
あらぬ方向へと走り出す。
 そもそも、この機体が出す「光の翼」が失敗作の証だという。推
進力に変換されなかったエネルギーが出口を求めて噴射される。副
次的にビーム兵器として作用しているものの、後続の味方にとって
は、迷惑極まりない存在でもある。
「今のままでも、十分強い…『神の翼』の名前は伊達じゃない」
 邀撃に出てきた敵戦闘機に、すれ違いざまにビームを食らわせる。
可動式のビームキャノンが、正確に敵機を捉えていた。
「…もし完成したら」
 瞬間、視界が虹色にきらめき、ビームを弾いたことを知らせる。
「それって、本物の『神』じゃないの?」

 眼前を、光の鳥が翼をはためかせ、道を示す−。
 「ベズルフェグニル」の後方についたシャルは、モニターに映る
光景を、そのように見た。光の翼の間には、励起された粒子がプラ
ズマ状態で飛び交っているため、迂闊に入るとビームの直撃を食ら
い続けたような状態に陥る。慎重に位置を確認しつつ、神の翼に続
く。横には、赤いラインの入ったキーツの「レグミィ」が、さらに
視線を転じれば、青のラインのグーラン機、緑のラインのリニス機、
そしてカーツ操る銀灰色の堕天使「ロキ」の姿もある。時折入る「ア
ルマリック」からの戦況報告。
「ここだ…」
 そっと、右の手首に触れた。
「わたしの、居場所−」
 グンと音を立てるように、「ベズルフェグニル」が大きく舞った。
「そして!」
 それに遅れじと、シャルも機体を翻した。
 すれ違いざまに、敵機にビームを叩き込む。
 一瞬で後方へと消えたが、彼女は確かに「何か」を砕いた。
「わたしの戦場!」

「アークライト艦隊に続き、リー艦隊も戦闘機隊を投入」
「既に両艦隊の戦線では、制空権を確保しつつあります」
「ヴァノン艦隊、出鼻をくじかれた形ですね」
 幕僚達の声に耳を傾けながら、ファディレはじっと戦況図に見入
っていた。
 正面にアドリアン艦隊。ファディレ指揮下の艦隊と、激しい砲火
を交えている。
「ローゼンス艦隊、再編完了まであと60」
「トリスタ艦隊は、あと70ほどです」
 ファディレは、ゆっくりと立ち上がった。
「全艦、前進。アドリアン艦隊を蹂躙せよ」
 ルーディングはわずかに色を失う。
「しかし、まだ両艦隊の再編が…!」
「それを待っては、勝機を逸する。今やらねば、こちらの不利を悟
られるぞ」
「しかし、この状況は不利では…」
 ない、と言おうとした時、隣に座っていたミラが、無言でモニタ
ーを指さした。
 衛星軌道。そして地球。
「サダヌーン社長の言葉を信用しない、と言っていたな、ルーディ
ング」
 孫を諭すような口調である。
「ならば、地球からの援軍が来ない、とするサダヌーンの言を信じ
ず、援軍の可能性を考慮に入れるべきだろう」
 無言で彼女は眉をひそめた。
「…我々は、まだ彼らに対して優位に立ってはいない」
 老元帥は重々しく言う。
「月を手に入れ、ようやく彼らと対等の力となりうる。不安定な外
軌道に拠点を築いたところで、彼らは痛痒も感じない」
「−戦場の外も、考えろとおっしゃるのですね…」
 観念したように、軽く息をつく。それに応じるように、軽く鼻か
ら息を抜く。
「いや−。私も戦いたいのだよ」

「敵本隊、前進!」
「ヴァノン艦隊、攻勢を受け戦線を縮小!」
 決して有利とは言えない報告に、アドリアンはそれでも気を張り
続けた。
「ファディレの本隊は、決して数は多くない。後方に下がった艦隊
が出てくる前に、あの老人を落とせば、我々は勝つ!」
 おう!と艦橋に歓声が上がり、艦隊もファディレの攻勢を受け止
めつつあった。
「主砲、連続斉射。前衛を突き崩して、『トリスケリオン』を丸裸
に!」
 間髪を入れず、前線に光の花が咲き乱れた。
「いける−」
 身を乗り出したアドリアンは、すかさず腕を振る。
「最大戦速で前進!」
 だが、損傷した艦と入れ替わるように前進してきた艦列によって
砲火の壁を築かれ、前進を阻まれる。そして、正面にばかり気を取
られていたアドリアンの目に、戦線を縮小したヴァノン艦隊と自艦
隊との間に生じた僅かな間隙が飛び込んできた。
「いかん、ヴァノンに、至急隙間を埋めるようにと」
 それは、ほんの小さな、そしてごく僅かな時間生じたものでしか
なかった。

「アークライト、あれを」
『メリエラ、行くぞ』
 ふたりの声を耳にするかしないかの内に、アークライトはバン、
と指揮卓に両手を突いた。
「全艦、全速前進。あの隙間に割り込め!」
 そして、通信士の方へ向き直る。
「戦闘機隊に打電。あの間隙を確保せよ」
 急速な加速で生じたGを踏ん張った手で耐えながら、彼はじっと
眼前を見据えていた。
 アークライト艦隊に続いて、リー艦隊も急進を開始し、両艦隊は
光の滝となって、ヴァノン艦隊とアドリアン艦隊の境目に向けて突
進していった。

「アークライト艦隊、リー艦隊、アドリアン艦隊との隙間へ向けて
突入してきます!」
「早く間隙を埋めなさい!」
 それは、ほんの一瞬の隙でしかなかった。アドリアン艦隊へと接
近する速度と、戦線を縮小し艦隊を密集させる速度の、僅かのズレ。
凡庸な指揮官なら見逃す程度の、ごく些細なものでしかなかった。
だがアークライトらにとって、それはまさに蟻の一穴であった。

「アドリアン艦隊とヴァノン艦隊の隙間…そこか!」
 光の翼をはためかせ、セアが機を大きくロールさせる。敵の前面
を横切る形になるが、「ベズルフェグニル」に装備されたポイント
バリアは、まだ保つようだ。
「邪魔だ!」
 眼前に躍り出る「グラディウス」や「ファルカタ」にビームを浴
びせながら、全速で両艦隊の間隙へと機を滑り込ませた。
「セア!」
 追いついてきた「エヌマ」の背後に数機の敵機を見て、可動式ビ
ームキャノンを反転、「エヌマ」越しにビームを放つ。それに遅れ
ること反瞬、機を反転させ全力制動、微速まで減速する。双方から
艦隊の壁が接近してくるのに指が反応し、左翼下のハードポイント
からマイクロミサイルポッドを射出させた。数秒の飛行の後、四方
へとミサイルが飛び散る。威力こそ小さいが、熱追尾式なので戦闘
機相手には十分だし、運が良ければ艦艇の推進器や機関部にも当た
る。ミサイルの波をかいくぐって押し寄せるビームは、全てポイン
トバリアで弾いて、「ベズルフェグニル」はほぼ固定砲台と化して
間隙の維持に努めていた。固定砲台と言っても、位置がほぼ変わら
ないというだけで、細かな機動は絶えず行っている。
「まるで独楽みたいだね、セア」
 ちょこまかと動く「ベズルフェグニル」を視界に納めながら、シ
ャルがクスと笑う。そういう彼女も、セアや自分に近づく敵機に牽
制をかけている。
「アルマリックが…見えた!」
 シャルの声にモニターに目を凝らすと、四方に対空砲火の火線を
散らしながら、見慣れたシルエットの船が近づいてくるのが見えた。
「もう少し…やれるよね、シャル?」
「もちろん!」
 砲火が交錯し、死と隣り合わせの空間で、それでもふたりは微笑
み合った。

「ダメです! 戦闘機隊に割り込まれました!」
「くそ、『ラ・ロシェル』被弾、航行不能!」
「『グラディウス』隊、損耗率40%、このままでは戦線を維持で
きません!」
「アドリアン艦隊への合流は?!」
「あと50ですが…アークライト艦隊確認!」
「『リューシュン』より来援要請!」
「損傷艦を後退させなさい。装甲の厚い艦を外へ。アドリアン艦隊
への合流まで、僅かな間だけでもしのぐのです!」
 悲鳴に似た叫びが錯綜する艦橋で、ヴァノンはそれを一喝するよ
うに声を張り上げた。
「『ジュピター』級確認…リー艦隊か!」
 厚みを増す火力には、アークライト艦隊だけでなく、一時後退し
ていたリー艦隊も加わっていた。
「これは…!」
 息を呑むオペレーターに、視線だけで問いかける。
「『ラグンラジュの白い妖精』…『エヌマ・エリシュ』と先日確認
した新型機が、アドリアン艦隊との合流を阻害しています!」
「合流予測、70に修正」
「このままでは、艦隊に割り込まれます!」
 ヴァノンは大きな肩を怒らせながら、眉をつり上げた。
「アドリアン艦隊は? こちらの援護はまだですか?!」
「ファディレの本隊が攻撃を仕掛けており、そちらへの対応に注意
を割かれている模様です」
 ガン、と指揮卓を蹴り飛ばす。
「何をやっている…このままでは包囲殲滅されるのがオチだ…」

「敵戦闘機隊、間隙を維持しています! このままでは艦隊に割り
込まれます!」
「正面! ファディレ艦隊が!!」
「狼狽えるな。戦艦を前に出しつつ、少し下がれ。戦闘機を迂回し
てヴァノン艦隊と合流させる」
 すっかり肉の削げた腕をかざして、的確に指揮を執る。
「…とは言え、そろそろ潮時か。後衛の艦隊が出張れば、一気に崩
れるな」
 アドリアンは前衛に装甲の厚い艦艇を出してファディレの攻勢を
しのぐ一方で、後方から数隻の艦艇を地球方面へ向けるように指示
を出した。
「…退路の確保ですか。納得しましょうか?」
 幕僚の苦い声に、アドリアンも表情を苦らせる。
「納得はすまい。しかし、させねばならん」
 アドリアンは艦隊を密集させて陣を小さくまとめた。ファディレ
艦隊から砲火は集中するが、それは装甲の厚い艦で遮って、逆に密
集砲火で敵を怯ませる。
「ヴァノンに伝えろ。地球方向へ後退しろと。これ以上艦艇を失っ
てはラグランジュ軍への対抗力を失ってしまう」
「了解しました」
 幕僚の声を聞いて、アドリアンは目を閉じる。
「少しは時間稼ぎになりましたかな、ケムラー提督…」

「後退ですと?!」
 物質的な圧力を有した怒号と、熊も怯みそうな視線を、ヴァノン
は通信士に投げかけた。
「は、はい。地球方向へ、後退せよとの、その、アドリアン大将、
からの…」
 端から見ても気の毒になるくらい緊張した通信士を無視し、ヴァ
ノンは無言でコンソールを操作した。
『ヴァノン中将か。速やかに艦隊を引け。もう潮時だ』
 ノイズの混じったアドリアンの顔を睨め付ける。
「ここで引けば月面はどうなります? ラグランジュ軍の蹂躙に委
せろと?!」
『引かねばどうなると? この状況で勝てると思うか?』
 押さえつけるような声色が、この上なく腹立たしい。
「確かに勝てはしないでしょう。ですが、ラグランジュ軍に大きな
損害を与えられます。少なくとも月面占拠の時間を遅らせることが
出来ます!」
 コンソールを殴りつけんばかりに、声を張り上げる。
『その程度の時間を稼いで何になる? すぐに外軌道に出ていた艦
隊も戻ってこよう。今度こそ圧倒的不利な状況で戦わねばならんぞ』
「地球からの援軍を待って攻勢に出れば、ラグランジュ軍など!」
『来んよ』
 ヴァノンの表情が止まった。
「…今、何と?」
『地球からの援軍は来ない。連邦政府は、月面の一時放棄を決定し
た』
 ガシャン!
 アドリアンの顔が、火花とともに砕け散った。
 血とガラス片にまみれた拳を、コンソールに叩きつける。
「…どういう、ことですか!」
『その通りの意味だ。…時間がない。直ちに後退せよ』
 声だけで、アドリアンは静かに答える。
「…最後の一兵まで戦って、連邦軍の存在を知らしめてこそ−」
 絞り出すように、ヴァノンは呻く。
『命令に従え。今度は軍法会議に掛けられるぞ』
「大将は…大将は、それで納得するのですか!」
『……』
 ずぅぅん…。
 『シャリム』に被弾したのだろう。腹の底を揺さぶるような振動
が、艦橋を襲う。それでも、艦橋は静寂を抱いていた。絶望的な静
寂を…。
『繰り返す。地球方向に後退せよ』


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