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天翔ける騎士 第11章「辿り着く絶望。そして−」
Dパート
"stigma" D-Part
「ヴァノン艦隊、戦線を離脱!」
「!」
アドリアンは、消えたモニターの画面から顔を上げた。
「後退し始めたか?!」
安堵と不安が等分された声で、アドリアンが問いかける。
「はい! …あ、いえ、これは!?」
「どうした!」
「進路ベクトル確認…アポロ市へのルートです!」
「ヴァノン艦隊、アポロ市へ向けて後退開始!」
「いかん!」
ファディレが腰を浮かせる。
「アークライトとリーに追撃させろ。いかなる犠牲を払っても、敵
をアポロに降ろすなと。ローゼンスとトリスタは?」
「再編終了まであと15。まだ陣形が整っていません」
ルーディングの落ち着いた声に、ファディレが声を裏返して怒鳴
った。
「構わん、全力で打って出ろ!」
喉をさすりながら座り込んで、ファディレはひとりごちる。
「ヴァノンを甘く見過ぎた…いや、アドリアン提督に気を取られた
ということか」
「くそ、元帥も無茶を言う!」
毒づきながら、アークライトは全速で艦を前進させた。しかしヴ
ァノン艦隊の残存部隊からの逆撃も侮れず、前に進めないでいた。
「しかし、このままでは本当にまずいな」
タリスの表情も露骨に硬い。
「アポロ駐留の部隊だけでも主要施設を一通りカバーできるだけは
いる。それに海兵隊が加わると厄介だ」
軽い振動に顔をしかめながら、アークライトも応じる。
「元帥は?」
「アドリアン艦隊に手こずっているな…セアたちは?」
「ヴァノン艦隊のジャミングで、連絡が付きません…くそ、位置も!」
拳を握って、顔を歪める。
「追撃させたところで消耗も激しい。武装も出そうにも、この状況
では届くかどうか…」
「キーツらも無理そうだな」
タリスのやや落ち着きの戻った声に、通信士をヘッドセットを押
さえて振り返る。
「ジャミングと艦隊の移動に巻き込まれて、ロストしています。手
は尽くしますが…」
うん、とひとつ頷く。
「分かった。続けてくれ」
そして、腰をかがめてアークライトに囁く。
「どうする? ごり押しで突破できんこともないが」
忌々しげに腕を組むアークライト。
「いや、トゥアンと連携して数を削るのが先だ。下手に突出して敵
を自棄にさせるのも危険だろう」
「…すでに自棄になっている気もするがな」
口を噤むアークライトの視線の先で、突出したローゼンス艦隊と
トリスタ艦隊が、アドリアン艦隊に襲いかかっていた。
アークライトは大きく息を吸い込む。
「全速前進! ヴァノンの熊野郎をアポロに降ろすな!」
「敵艦隊急進! ダメです、支え切れません!」
「『ニッポニア』爆沈!」
「全艦、全速後進! 振り切れ!」
左腕をなぎ払って命じたアドリアンは、ノイズ混じりの音声しか
通じない回線を強引に繋いだ。
「どういうことだ、ヴァノン!」
『アポロ市に拠って抵抗を続ければ、地球からの援軍も…』
「そんなものは来ない!」
『−では! 私たちは何のために戦ったのですか!』
返答に窮するアドリアンに、畳みかけるようにヴァノンの声が轟
く。
『月面を守るためではなかったのですか? それとも、地球を守る
ための時間稼ぎでしかかなったと?!』
「…連邦政府の決定だ。我々には、それを拒むことはできない」
『月面の人々を見捨てることになってもですか!』
「では、貴様がこれからやることは何だ、無辜の市民を盾にする気
か!」
激昂したアドリアンの顔面を、刺すような爆光が照らす。
『…あなたも、所詮はカウニッツの走狗か』
吐き捨てるような台詞に、思わずコンソールを殴りつける。
「司令!」
拳の痛みに重ねるように、狼狽した声が飛び込んできた。顔を上
げ、スクリーンを見る。
「『ピアス・バトラー』…!」
無骨な姿の戦艦が、スクリーンを埋めていた。ローゼンス艦隊旗
艦「ピアス・バトラー」。死の色をした砲塔は、全て「アンサー・
アルビフロンス」を向いていた。
『停船せよ。動力を停止して投降せよ。貴艦は完全に包囲されてい
る。繰り返す…』
「ローゼンス艦隊が、敵旗艦を捕捉した模様です」
その報告に、トリスタはパシっと、忌々しそうに扇で膝を叩いた。
「まったく、あのおじさんときたら美味しいところばかり持ってい
って…」
「どうしますか?」
そう問いかけてきたオペレーターに、婉然と微笑みかけた。
「おじさんの食べ残しを漁るほど落ちぶれてはいないわ」
さっと足を組み替えて、指揮卓に示された戦況図の一点を扇で差
す。
「アークライト坊やとリー坊やのお手伝いといきましょう。ついで
に戦闘機隊の回収でもして、恩を売るのも悪くないわね」
「ヴァノンは?」
「全ての回線を閉じています。応答、ありません」
「こちらから追撃へ移った艦隊もありますが…一部艦が盾になって
食い止めています」
「これでは、ラグランジュ艦隊は追いつけません。このままアポロ
市へ入港する模様です」
「……回線を繋げ」
「ヴァノン艦隊ですか?」
振り返った通信士に、吐き捨てる。
「敵艦だ。いや、全艦隊に放送する」
『月面軍司令官、リト・アドリアン大将である』
スクリーンに映った老将に、ローゼンスはやや胸を張りながら対
した。腹の出が気になるが、仕方ない。
「ラグランジュ同盟軍、ローゼム・ローゼンスです」
憔悴しきった表情のアドリアンに、ローゼンスも僅かに表情を曇
らせた。
『旗艦以下、全艦を停止し投降する。ただし、部下達の安全が保証
されない限り、最後の一兵まで抗戦を辞せず』
そう言った痛々しい姿に、ローゼンスは軽く目を閉じた。
「了解しました。こちらも貴艦隊への攻撃を停止します。所定の手
続きに従って投降信号を発信して下さい」
そして、言いにくそうに続けた。
「申し訳ありませんが、アドリアン大将にはお話を伺いたいので、
こちらに来て頂けないでしょうか」
『…詫びるのはこちらの方だ。月面を戦場にしてしまうことを、許
して欲しい』
ローゼンスはひとつため息をついた。
「それこそ、あなたが詫びの必要はありません。…今後の諸手順を
送信しますので、このチャネルを空けておいて下さい」
ローゼンスは、アドリアンの返事を聞かず、通信を切った。
指揮席に座り込みながら、後方から近づいてくるファディレの本
隊にちらりと目を遣る。
「やはり、楽に勝たせてはもらえないか…どうします、元帥?」
通信を切った「アンサー・アルビフロンス」の艦橋には、しばし
沈痛な空気がゆたう。その空気をかき分けるように、アドリアンは
声を絞り出した。
「残った艦艇は?」
「現在指揮下にある戦闘可能艦は、旗艦含め本艦隊の9艦のみです」
オペレーターの声に、艦橋がさらに沈鬱な雰囲気に包まれる。
「撃沈や戦闘不能艦は20余艦。撃沈艦の大半はヴァノン艦隊です」
通信士が後を引き継いだ。
「確認できた限りで、残存艦4隻は下へ行ったようです」
「…わしは、間違ったのか」
月面の近くでは、未だに戦闘の光が時折であるが、小さく咲いて
いた。
「トリスタ艦隊より入電、戦闘機隊は全機収容したとのこと」
その報告に、露骨に顔をしかめる。
「いかんな、あのおばさんに借りを作ってしまった」
「この状況下だ。やむを得まい」
呆れるタリスに、アークライトは非難めいた視線を向けた。
「ったく、何だってヴァノン艦隊の連中は旗艦の盾になるんだ。結
局取り逃がしてしまったじゃないか」
「俺に言っても意味がないだろう」
いらいらと指揮卓を指で叩くアークライトを見遣って、ため息を
ひとつつく。
「自らの身を挺して旗艦を逃す。見上げた心がけじゃないか」
無言で睨むアークライトを見返した。
「無駄死にとも言うがな」
それに答えず、アークライトは立ち上がった。
「トリスタ艦隊から戦闘機隊を受領しつつ、本隊と合流する。航海
士、進路策定を頼む」
「了解」
再び指揮席に座って、アークライトは目を閉じた。
「イヤな戦いになるな」
「全くだ」
ヴァノン艦隊の残存艦艇がアポロ市へ降下して数時間。捕獲した
アドリアン艦隊の処理が終わった頃を見計らってか、公開チャネル
に通信が流れた。
『私はハーコート・ヴァノン中将である』
巨体をより大きく見せるようなアングルのその映像は、ラグラン
ジュ艦隊はおろか、月面全都市に流された。
『アポロ市は侵略者に膝を屈しない。我らは寡兵であるが、その全
戦力を以て、これに抗する覚悟である!』
その瞳に宿った光に気づいたのは、アドリアンだけであっただろ
うか。
『現時刻を以て、アポロ市は臨戦態勢に移行する。当市への侵入は
もとより、当市からの離脱についても、我が軍への利敵行為と見な
すことを明言する』
その放送が流されると同時に、陸戦部隊がアポロ市の主要箇所へ
と展開を始めていた。治安維持のために残されていたアポロ駐留軍
陸戦隊と、艦隊配備の海兵隊である。戦車や装甲車が市内各所へ配
備され、物々しく武装した兵士が街頭に立ち並ぶ。市民は、呆気に
とられながら、その光景を眺めるしかなかった。
『またこれより後、ラグランジュ軍が月面より排除されるまで、軍
の命令と行動があらゆる法に優先することも宣言する。これは連邦
国防法に基づいた、非常時における適切な処置である』
その言葉を体現するがごとく、軍の展開に抗議したり妨害を行っ
た人々は、容赦なく拘束されていった。市庁舎を警備していた警官
隊も排除され、市長以下、市の役員、市議会議員、放送会社や通信
会社、電力会社などが次々に軍の監視下に置かれていった。
『繰り返す。アポロ市は決して侵略者に膝を屈しない!』
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