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天翔ける騎士 第11章「辿り着く絶望。そして−」

Fパート



"stigma" F-Part


「『ベズル』と『エヌマ』が緊急発進!」
 当直要員しかいない艦橋に、副長の悲鳴が響いた。
 月面上空に遊弋するアルマリックから、相次いでふたつの光が放
たれた。
「なに?」
 タリスがアークライトのいない指揮卓へ飛びつく。
「セア、シャル、どういうことだ!」
 だが、戻ってきたのは凄まじい雑音だけだった。
「通信、繋がりません!」
 通信士がヘッドセットから耳を離しながら、タリスを振り返る。
「総員、第一種戦闘配備! アークライトに緊急連絡だ」
 そして、副長に顔を向ける。
「グーランを出せ。キーツは『トリスケリオン』、リニスとカーツ
は『フューネラル』…何もこんな時に!」
 タリスも、艦橋でその映像は見ていた。これで突入は時間の問題
だろうとは思ったが、まさかあのふたりが先走るとは、そもそも考
えなかった。
「…免疫も無くあのようなものを見れば、無理もないか」
 吐き気を押さえて呟くタリスの耳に、グーランの声が飛び込んで
きた。
『追いついて、連れ戻せばいいんですね?』
「頼む。ただ突入命令が出るかも知れん。その時は構わず突っ込め」
『了解』
 程なく、グーランの「レグミィ」が月面へ向けて放たれた。

「セアとシャルが?!」
 会議室の隅で連絡を受けたアークライトは、思わず大声を上げて
しまった。会議室の一同が、アークライトに一斉に注目する。
「…あ、いや、分かった。…こちらもそのように運ぶ。ああ、頼む」
 通話を終えたアークライトは、携帯端末を懐に仕舞いながら、フ
ァディレの正面に立った。
「あの映像を見た我が艦隊のパイロット2名が、独断でアポロ市へ
向けて発進しました。現在、一個小隊が追跡中ですが、いかがいた
しましょう?」
 腕を組んでいたファディレは、ため息をひとつついて、立ち上が
った。
「最悪の事態となった以上、速やかに事態の収束を図るしかあるま
い」
 傍らの中年男性に声を掛ける。
「ローゼンス提督」
「はっ」
 イスを鳴らして立ち上がる。
「作戦に従い、陸戦隊を率いて突入せよ」
「了解しました」
 そして、反対側の中年女性に目を遣る。
「トリスタ提督」
「はい」
 優雅に立ち上がる。
「揚陸艦隊を率いて、アポロの港湾施設を占拠せよ」
「了解」
 そして、視線を正面に戻した。
「アークライト、そしてリー」
「「はい」」
 ファディレは机に手を付いて、視線を厳しくした。
「戦闘機隊を突入させ、アポロの制空権を確保せよ。速やかにゲー
トを開けさせる」
「「了解です」」
 ファディレは背筋を伸ばして、声を張り上げた。
「このような事態に陥ったのは、慚愧の念に堪えない。一刻も早く
事態を収拾し、以て連邦軍の非道を宇宙に知らしめる。全員、心し
て作戦に当たれ。以上!」

「強襲揚陸艦『ヨイマチ』以下5隻、宇宙港へ向けて発進!」
「『ツキミ』以下第2陣5隻、発進準備完了!」
「先行する『ベズル』と『エヌマ』、ゲート到達まであと30」
「強制解錠コード送信! ネゴを確認」
「2機とは未だ連絡取れず」

「セア、あれ!」
「ゲートが、開いていく…!」
 クレーターの崖に、唐突にポッカリと人口のトンネルが口を開ける。
 セアは、ぐっとグリップを握りしめた。
「シャル、行かなきゃ!」
「うん!」
 黒と白の機体が、続いてその口へと躍り込んでいった。

 狭い通路を疾駆する感覚が、目眩を起こしそうになるほんの手前、
光が広がり、次の瞬間空間が開けた。
「これが、アポロ市…」
 シャルが息を呑む。
「ああっ!」
 セアも驚愕の声を上げた。市内の各地では爆煙がたなびき、時折
炎や爆発光すら見える。
「くそ、間に合え!」
 何に間に合えばいいのか、セアにも分からなかった。でも、叫ば
ずにはいられなかった。
「人が、一杯死んでいくなんて!」
 シャルも涙をこらえながら、エヌマを羽ばたかせた。

 灰と白の機影がアポロ市を翔る。
 風にあおられた細い金髪を押さえて、少女は空を見上げた。紫水
晶の瞳に、灰と白の機影が映る。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん…そこにいたんだ」
 その呟きは、爆風の中にかき消えた−。

 突入したはいいが、軍の中枢がどこにあるのか分からず、セアと
シャルは低速で上空を飛行させていた。
「セア、あれ!」
 シャルの声に、なぜその方向が分かったのかすら意識せずに、セ
アが視線を向ける。集まった群衆に砲身を向けた戦車が、そこにあ
った。セアの意識がそこへ流れた瞬間、「ベズルフェグニル」から
放たれた一発のミサイルが、その戦車に突き刺さり、爆発を起こし
た。
「セア!」
 シャルの声に周囲を見ると、数台の戦車と多くの兵士達が包囲の
輪を狭めつつあった。
「やめろーっ!」
 セアの一喝は、そのまま四方へ散り、爆風と土煙、そして血と肉
片を生み出した。煙の晴れたそこは、残骸こそ点在するものの、ほ
ぼ更地のようになっていた。
「セア…」
 うつむくシャルに、セアは、固くグリップを握りしめる。
「…セア、降りよう」
「−うん」
 ゆっくりとスラスターを吹かして、人々を吹き飛ばさないように
注意しながら、群衆の中へベズルフェグニルとエヌマを降下させた。
「大丈夫ですか?」
 ふたりはほぼ同時にハッチを開けて、人々の姿を見回した。砂と
泥と血にまみれた姿。彼らが戦いに巻き込まれた証拠でもあった。
見たところ、女性や子供、老人の姿が多かったが、壮年や中年の男
性もちらほら見えた。それぞれに角材をはじめ得物が握られ、突然
天から降りてきた彼らの姿に、半ば呆気にとられたような様子に見
えた。
「セア…」
 「エヌマ」から降り立って、同じく「ベズルフェグニル」から降
り立ったセアの傍らへ歩み寄ったシャルが、セアの腕に軽く触れた。
 セアも気づいていた。彼らの様子がおかしいことに。
 人々は、セアとシャルを取り囲んでいた。何を言うのでもなく、
ただ黙って、ふたりを取り囲んだ。
「…」
 何かをぶつぶつと呟きながら、人々は包囲の輪を狭めていく。
 シャルは無意識にセアの手を握っていた。
 セアは危険を感じながら、周囲を完全に包囲されて、逃げように
も逃げられない状況に陥っていることを知る。我知らずシャルの手
を握り返しながら、必死で逃げ道を探った。
 護身用の拳銃を持ってはいるが、それを使ってはならないことは、
頭ではなく理解していた。いくら集団ヒステリーのような状態にあ
り、それぞれに得物を持っているとはいえ、老人や女性、子供もい
る中で、銃を使う気にはなれなかった。それ以上に、例え威嚇であ
ったとしても、この状況では却って事態を悪化させる引き金ともな
りかねない。セアは、一度は銃へと延ばした手を引っ込め、代わり
にシャルの手を包んだ。
 狂気が−狂気としか呼べない空気が、そこに漂っていた。獲物を
見付けたような、射るような視線、加虐的な歪んだ笑みが、ふたり
にまとわりつく。シャルに対しては、明らかに下卑た表情を見せる
男もいた。シャルは、セアに寄り添いながら、妙な視線を向けてく
る輩をいちいちにらみ返している。
 と、群集の中からひとりの女性が進み出た。手には赤ん坊を抱い
ている。母子ともども、爆風や破片を浴びたのか、血まみれだった。
赤ん坊が泣きもしないところをみると、既に死んでいるのかもしれ
ない。
 表情を読み取ることの出来ない顔は、突然怒りに歪む。
「あんたたちが!」
 拳がセアの顔面を捉える。さほど力があったわけでもなく、肉体
的な痛みは皆無に近かった。しかし、殴られたという事実にセアは
呆然とした。その自失が解ける間もなく、その女性がセアの足を蹴
る。こちらも痛みは無いが、その行為に、さらにセアは立ちすくん
だ。だが次の瞬間、何かが切れたかのように、人々が一斉にふたり
に襲いかかってきた。背中に打ち据えられた角材の痛みを堪えて、
セアはとっさにシャルを抱え込むようにうずくまった。その背を、
脇腹を、いくつもの足が蹴り飛ばしていく。
 声を上げる余裕もなく、セアはただじっと、嵐を耐えていた。シ
ャルは突然の事態を把握できず、ただ、体を覆うセアの体温と、荒
れる息遣いと、セアの体に加わる衝撃と、そして握りしめ、握り返
すセアの掌だけを、感じていた。
 つうっと、シャルの頬を掠めて落ちるものがあった。地面へ落ち
たそれは、黒くて赤い染みとなった。
「セア!」
 声にならない叫びが、喉の奥で弾ける。だんだんと、体にかかる
重さが増してくる。それは、セアが自らの体を支えられなくなって
きていることを示す。シャルは、何ができるでもなく、ただ、セア
の手を握りしめた。
 その手に気付いたのは、最初に殴りかかった女性だった。赤ん坊
を抱いていた方の手に、大きな釘が握られていた。どこから見つけ
てきたのだろう、木材を打ちつける釘の類ではなく、芯の太い、ロ
ープなどを繋ぎ止める類の釘だ。釘を持つのとは反対の手に、傍ら
の老人からハンマーが手渡された。赤ん坊はその老人の手に預けら
れていた。
 それに気がついたのか、人々がその女性とふたりから少し離れた。
 唐突に止まった嵐に、セアはようやく目を開けた。そして、女性
の姿を見た。彼女は、セアの目を見返し、そしてふたりの繋いだま
まの手に目を止めた。

 笑みが浮かんだ。

 セアはシャルにおおい被さったまま、とっさに自分の手、左手を
上にした。当然ながらシャルの手、右手はセアの手の下になった。
シャルは、そのセアの行為を訝った。恐る恐る視線を向けると、セ
アの体越しに、釘とハンマーを擬した女性の笑みが、映った。
 次の瞬間、言葉にならない絶叫が3人の口から漏れた。
 女性の口からは歓喜とも狂気もつかぬ声が。
 セアの口からは衝撃と激痛による声が。
 シャルの口からは、ただ行き場のない悲鳴が。
 セアの手は必死にシャルの手を握り締めた。
 ろくに動かせないはずなのに、それでもシャルの右手が全ての存
在であるかのように、強く、固く、きつく握り締める。細かく痙攣
するセアの手の温もりと、それとは違う暖かさを右手に感じながら、
シャルは意外と冷静にその時を待った。
「これが罰、なのかな…」
 自分の状況を他人事のように見ながら、セアの手を感じながら、
シャルは右手に罰の打ちこまれるのを知覚した。

 痛みはない。

 高熱が自分の手を貫いた感覚が痛みでないとすれば。
 セアに握り締められ、握り返すこの出来ないシャルの手は、ただ
地面の砂をえぐっていく。その感覚さえも無くす直前、シャルはい
つか祖父に聞かされた古代の伝承を思い出していた。何とかという
宗教の故事。
「そっか、罪の証なんだ…」
 奇妙な冷静さは、目を閉じる時まで保っていた。セアの温もりと、
その体の感触と、彼の手を感じながら、彼女は最後に呟いた。
「でも、セアは、セアだけは…ごめんねセア…」
 地面に横たわったふたりは、上空に現れた数機の戦闘機を見るこ
とはなかった。
 ただ、聞き知った声が響いたような気がした。

 うずくまった少年と少女を取り囲んでいた人垣は、着陸する戦闘
機の爆風になぎ倒されていく。金髪と紫水晶の瞳の少女は、血に染
まった全身を風にさらしながら、その光景をただ無表情に見守って
いた。


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